論語詳解108公冶長篇第五(16)晏平仲よく人と’

論語公冶長篇(16)要約:孔子先生の国・魯の隣は、東方の大国・斉です。その賢臣として知られた晏嬰アンエイは、先生より一世代上ですが、潜在的な敵国の臣下として、政治的に先生とやり合う仲でした。本章は先生によるその人物評。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「晏平仲善與人交。久而*敬之。」

校訂

武内本

清家本により而下に人の字を補う。唐石経人の字なし。疏文による皇侃本又人字あり此本(=清家本)と同じ。

定州竹簡論語

曰:「晏平中a善]與人[交,久]而b敬之。」96

  1. 中、今本作「仲」。
  2. 皇本、高麗本「而」下有「人」字。

→子曰、「晏平中善與人交。久而敬之。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 論語 晏 金文大篆平 金文論語 中 金文論語 善 金文論語 与 金文人 金文交 金文旧 金文而 金文敬 金文之 金文

※晏→(金文大篆)・久→𦾔(旧)。論語の本章は晏の字が論語の時代に存在しないが、固有名詞のため後世の捏造とは言えない。

書き下し

いはく、晏平仲あんへいちうひとまじはる。たもこれゐやまふ。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 肖像 論語 晏嬰
先生が言った。「アン平仲は人付き合いがうまかった。交流を続けた後でやっと人を敬った。」

意訳

論語 孔子 水面キラキラ
斉国の名家老・晏嬰アンエイどのとは私もずいぶんやり合ったが、人との付き合いを心得ておられた。その証拠に、人とは長く付き合って人柄をよく吟味してからから、やっと敬った。

従来訳

論語 下村湖人
先師がいわれた。――
晏平仲(あんぺいちゅう)は交際の道をよく心得ている人である。どんなに久しく交際している人に対しても()れて敬意を失うことがない。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「晏平仲善於交朋友,交往越久,越受人尊敬。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「晏平仲は友人づきあいの達者だった。交友が長ければ、長いほど人に尊敬された。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

、「 。」


晏平仲(アンヘイチュウ)

論語 晏 金文大篆 論語 平 金文 論語 仲 金文
「晏」(金文大篆)・「平仲」(金文)

?-BC500。晏嬰アンエイのこと。氏は晏、諱は嬰、字は仲、諡は平。晏子とも尊称される。孔子と同時代の斉の君主・景公を支え、国を繁栄に導いた。孔子は晏嬰の反対により斉で仕官し損なったのだが、本章のように高く評価している。

晏嬰が進み出て言った。

論語 晏嬰
「そもそも儒者は口車が達者なだけで、手本にするべきではありません。おごりたかぶり自らを正しいとしますから、家臣に雇うことは出来ません。葬儀を尊びわあわあと嘘泣きし、財産をはたいて厚く葬るので、習俗とすべきではありません。諸侯を転ばせて金をせびり取るので、国を治めさせるべきではありません。

周文王・武王の如き大賢者が亡くなってから、周室はすでに衰え、礼儀と音楽が欠けてからしばらくたちます。今、孔子は見た目を飾り立て、上り下りの礼や作法を面倒にしましたから、世代を重ねても覚え切ることはできません。今年一年ならなおさらです。殿が孔子を用い、斉の習俗を変えようとするのは、数多い民を導く方法ではありません。」

その後、景公は孔子を敬って会ったが、礼は問わなかった。さらに別の日、景公は孔子を引き止めて言った。「そなたを李氏のよう待遇することはできない。李氏と孟子の中間程度でどうか。」この噂を聞いた斉の家老たちは、孔子を殺害しようと企てた。孔子はその話を聞いたが、景公が言った。「私は老いた。そなたを用いることはできない。」

孔子はとうとう去ることにし、魯に帰った(昭公二十七年、BC515)。(『史記』孔子世家)

晏の字の初出は秦・楚の戦国文字。カールグレン上古音はʔɑn(同音:安・案・按)、またはʔan(鴳・鷃=共に”ふなしうずら”)。ʔは空咳の音に近い。

論語 久 金文 久 解字
(金文)

論語の本章では”交友を維持する”。原義は人を後ろからつっかい棒で支える姿で、”ひさしい・ながい”という伝統的な語釈は、「旧」と音が通じて後世に生まれた語義。最古の古典である論語に適用していいかは慎重に検討すべき。論語の時代の置換候補は、音通により𦾔(旧)。

詳細は論語語釈「久」を参照。

久而人敬之→久而敬之

論語の本章では、”長くなってからやっと敬った”。ここでの「之」は直前が動詞であることを示す記号で、意味内容を持っていない。強いて訳すなら強調で、論語の本章では”やっと”。宋儒は”それでも”と解釈し、”付き合いが長くなっても敬意を失わなかった”と訳している。

これは古注の付け足しに引っ張られ、程頤が「人付き合いは長くなるとお互いにバカにし合うようになる」という個人的感想を言ったことから来るもので、なるほど人とはそういうものかも知れないが、そうばかりとも言えないだろう。どうも儒者の幼稚が表に出たように思う。

なお上記校訂により、定州本と唐石経の間の期間、つまり『論語義疏』の時代に限り、「而」の下に「人」があったことになる。下記新古の注は、それを反映している。

久而人敬之(たもこれを敬う)。
→”(晏嬰は)一見取り付きにくい人柄だったが、付き合いを長く続けた人は、晏嬰を敬った”。

論語:解説・付記

論語の本章では、従来訳のように解したのは唐石経に従ったもので、その限りでは誤訳とは言えない。晏嬰については、次のような伝説がある。晏嬰の最晩年は、孔子が魯の宰相格だった時期に当たり、政治の世界での先輩として、孔子は尊敬していたように思われる。

六年(BC548)、…崔杼サイチョの妻と密通した荘公は追われて塀から転げ落ち、とうとう崔杼の私兵に殺されてしまった。そこへ家老の晏嬰が来て、崔杼の屋敷の門外に立って言った。

論語 晏嬰
「国君が国のために死んだなら、後を追います。国のために滅んだなら、私も滅びます。もし自分のために死に自分のせいで滅んだなら、親しかった者はともあれ、そうでない誰が後を追いますか。」そして門を開けて屋敷に入り、荘公の死体に頭を付けて泣きの礼をし、三度飛び上がる仕草で死を悼んだ。

ある人が崔杼に言った。「晏嬰を生かしておいてはいけない。」崔杼が言った。「民に人望がある。許さないと民が何をしでかすか分からない。」(『史記』斉世家・荘公)

「久而(人)敬之」の部分については、新古の注で上掲のように原文を違えている。

子曰晏平仲善與人交久而人敬之註周生烈曰齊大夫也晏姓平諡名嬰也疏子曰至敬之 云晏平仲善與人交者言晏平仲與人結交有善也云久而人敬之者此善交之驗也凡人交易絶而平仲交久而人愈敬之也孫綽曰交有傾蓋如舊亦有白首如新隆始者易克終者難敦厚不渝其道可久所以難也故仲尼表焉(『論語義疏』)

原文「子曰晏平仲善與人交久而人敬之」。
注釈。周生烈「斉国の家老である。晏は姓で平はおくり名で嬰はいみ名である。」

付け足し。先生は人を敬うことの至りを言った。「晏平仲善與人交」とは、晏平仲が人とよしみを結んで良い点があったということだ。「久而人敬之」とは、よい交わりをした証拠だ。凡人の交友は簡単に切れるが、平仲の交友は長く続き、長くなるほど人は晏嬰を敬った。

孫綽「交友にはひいき目というものがあって、昔の悪事を知らんふりする。また共白髪になるまで続くことがあって、日ごとに親密の度が増す。ただし交わりを始めるのはたやすいが、上手く終えるのは難しい。懇ろさが変わらないようにしなければ長持ちしない、ここが難しいのである。だから孔子先生は讃えた。

”孔子先生は讃えた”の原文は、中国哲学書電子化計画のテキストでは「仲尼表馬」となっており、大坂懐徳堂本で訂正した。このままでは馬=悪口を言う、になってしまう。

子曰:「晏平仲善與人交,久而敬之。」晏平仲,齊大夫,名嬰。程子曰:「人交久則敬衰,久而能敬,所以為善。」(『論語集注』)

原文「子曰、晏平仲善與人交、久而敬之。」
晏平仲とは斉国の家老である。いみ名は嬰。

程子「人との付き合いが長くなると、普通は馬鹿にし合うようになる。長くなっても敬意を保ったから、善だと言ったのだ。」

なお史実ではないが、孔子と晏嬰との対話伝説が『孔叢子』嘉言5にある。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だし、訳者に連絡のお気遣いも不要だが(ただしネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。

言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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