論語に見る弟子の言葉(孔門十哲)現代語訳

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論語に見る弟子の言葉(孔門十哲):要約

論語 孔子 微笑み 論語 アルファー 10
アルファー:孔子先生の解説は、訳者が詳解を書き終えてから掲載します。しばらくお待ち下さい!

子夏

賢者を敬って表情を行儀良く改め、父母のお世話を力一杯できるようにし、主君に仕えるには精一杯務めに励めるようにし、友達と付き合うには言葉にウソがなければ、”私は勉強が足りない”と言う人にも、私はきっと足りていると言おう。(学而篇)

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司馬牛が嘆いて言った。
「人には誰でも兄弟がいるというのに、私ひとりがいない。」
子夏「私はこう聞いています、生きるも死ぬも天命だ、富むも貧しきも運命だ、と。君子が敬いの態度を忘れず、道を踏み外さず、人を敬いつつ礼儀正しければ、世界中が兄弟です。君子は兄弟がいないと嘆くことはありません。」(顔淵篇)

*司馬牛の兄が、孔子一門を襲った桓魋カンタイだから、と古来言われるが、疑問が残る。

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大したことではない芸や技術にも、見て感心するようなことはあるだろう。
しかし政治のように遠大な事業を仕上げようとするなら、そうした道になじんでしまうとよろしくない。
だから君子は、これをしない、という事柄があるのだ。(子張篇)

毎日欠かさず、自分の足りない所を確認し、月ごとに出来ている所を忘れなければ、学問を好むと言っていい。(子張篇)

幅広く学んで立てた志に熱中し、疑問を突き詰め問題を自分ごととして思えば、仁はその中に存在する。(子張篇)

職人は仕事場で仕事をする。
君子は学ぶことで仕事を達成する。(子張篇)

凡人が間違いを起こすと、必ずいいわけを言う。(子張篇)

君子には三つの違った姿がある。

遠くから見るといかめしい。
近くに寄ると温かい。
言葉を聞くと厳しく激しい。(子張篇)

君子は信用を得てから民に労役を課す。
信用もないのに労役を課すと、民はいじめられたと思う。

君子は信用を得てから主君をいさめる。
信用もないのにいさめると、悪口を言ったと思われる。(子張篇)

10

人道の大枠は道を外れてはいけないが、細かなことなら臨機応変に変えてよろしい。(子張篇)

*この訳文、自信が無い。

11

うちの弟子がダメだって? 子游はわかっちゃいない。君子の修行に、あれが先これは後なんてあるものか。草木を枝と幹に分けたところで、それが君子のたとえになるわけではない。言いがかりではないか。そんな批判は、万能の賢者(聖人)になってから言って貰おう。(子張篇)

12

職について余裕があれば、学ぶといい。
学んで余裕があれば、職に就くといい。(子張篇)

子游

主君にべたべた仕えればバカにされるし、友人とべたべた付き合えば、いやがられる。(里仁篇)

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子夏の弟子たちは、掃除や応対や仕事の選択は結構だ。しかしそれは小さなことで、根本がなってない。どうしたものかな?(子張篇)

葬儀では、ひたすら哀しむのみ。(子張篇)

我が友子張は、難しいことでもやってのける。
ただし情けがない。(子張篇)

閔子騫ビンシケン

季氏が閔子騫を費邑の代官にしようとし、使者を使わした。
閔子騫「私に代わって、よくお断り下さい。再びお招きがあれば、私は間違いなく、汶水を渡って斉国に亡命します*。」(雍也篇)

*ただし『孔子家語』によると、ちゃかり費邑の代官に収まっている。

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子貢

棘子成「君子は中身が大切だ。なんでうわべを飾るのか?」
子貢「残念ですなあ、あなたのお話は。君子が一旦言葉を出したら、四頭立ての馬車でも追いつかず、取り消せません。飾りより中身が重要ですって? 違いますね、飾りも中身の一部です。中身だって人に見えてしまえば飾りも同じです。例えばなめし革は、高価な虎や豹のでも、安価な犬や羊のでも、毛を抜いてしまえば同じでしょう?」(顔淵篇)

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殷の紂王が暴君だったと言っても、世間が言うほど悪かったわけではない。だから君子は、そういうゴミためのような所を避ける。あること無いこと言われるからだ。(子張篇)

君子が間違いを起こすということは、日食や月食のようなもので、人は皆見る。改めると、皆が褒めそやす。(子張篇)

孔子先生に師匠がいたか、ですって? 師匠なんて要りません。周の開祖文王・武王の示した道は、まだ消え去らずに人の世に残っています。賢者はその中でもすばらしいものに気付けますが、凡人は下らぬものしか気付きません。それでも文王武王の道は、この世の隅々にまで、かすかであっても生き残っているのです。従って明敏な孔子先生は、この世のどこからでも道を学び取れるのです。となれば、決まった師匠がいなくても、全然困りはしないんです。(子張篇)

私を宮殿の塀に例えるなら、肩に届く程度の高さです。外から家中が修まっているのが見えるでしょう。しかし先生の高さは人二人分はあるでしょう。きちんと門から入らなければ、祖先祭殿の美しさや官吏たちの居並ぶ姿が見えません。しかしこの門から入ることは難しい。だから叔孫武叔どのが、先生より私が賢いと仰るのも、無理はないでしょうね、うふ。(子張篇)

おやめなさい。先生の悪口は言うだけ無駄です。世の賢者とは丘程度で、歩いて越えられますが、先生は月や太陽のようなもの、越える手立てはありません。しかもこちらで縁切りしたくても、相手は天体、痛くもかゆくもありません。悪口を言えば、却ってもの笑いになりますぞ?(子張篇)

コラ! なんてこと言うんだ。君子は言葉一つで評価ががらりと変わるぞ? 先生は天のようなもので、はしごの掛けようもないほど高い賢者だ。先生が一国の政治を執れば自由自在。自立させるも、導くも、安心させるも、和ませるも思いのままだ。先生あればこそ国は栄え、亡くなれば人々は悲しむ。私如きの及ぶ所ではない。(子張篇)

子張

*子張はいわゆる孔門十哲(論語先進篇2)ではないが、それに次ぐ者としてここに載せる。

士族は命を投げ出して人の危難を救う。
利益を前にする時は筋が通っているかを思う。
祭礼では敬いの心を忘れない。
葬儀では心より悲しむ。

…これでよろしい。(子張篇)

大した芸も身に付いていない。
自分の志を信じられない。

そんな奴はな、取り柄以前の問題だ。(子張篇)

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