論語詳解482子張篇第十九(11)大徳は閑を踰えざらば

論語子張篇(11)要約:行動の根本は決まりから外れてはいけないが、こまごまとしたことは多少決まりから外れてもかまわない、と弟子の子夏。もっとも、漢代の創作の可能性がありますから、道徳的なお説教かも知れません。

論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文・白文

子夏曰、「大德不踰閑、小德出入可也。」

書き下し

子夏しかいはく、大德たいとくのりえざらば、小德せうとく出入でいりなり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

子夏が言った。「大きな行動が決められた枠を越えなければ、小さな行動は枠を出入りしてもよろしい。」

意訳

子夏「何のためにそれをするのか、という目的を忘れなければ、手段は多少決まりから外れてもよろしい。」

従来訳

論語 下村湖人

子夏がいった。――
「大徳が軌道をはずれていなければ、小徳は多少の出入りがあっても、さしてとがむべきではない。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

子夏

論語 子夏

論語では、孔子も若き弟子で孔門十哲の一人、ボク商子夏のこと。

德(徳)

論語 徳 金文 論語 徳治
(金文)

論語の本章では、この発言が子夏のものか、後世の作文かで解釈が異なる。孔子は「徳」を”人間など生物が持つ機能”という意味で徹底して述べており、道徳とは一切関係が無い。その直弟子の子夏が、「徳」を道徳的な何かの意味で使うとは考えがたい。

詳細は論語における「徳」を参照。

仮に本章を実際の子夏の発言とするなら、大徳は大きな人間の機能=大まかな人間の行動であり、小徳はちまちま・こまごました些細な行動のこと。

踰(ユ)

論語 踰 篆書
(篆書)

論語の本章では”越える”。枠を破って外に出ること。甲骨文~古文には見られず、本章が秦漢帝国時代の作文である可能性を示している。

論語 閑 金文 論語 閑 字解
(金文)

論語の本章では”枠・決まり”。

『学研漢和大字典』によると「門+木」の会意文字で、牛馬の小屋の入り口(門)にかまえて、かってに出入りするのをふせぎとめるかんぬきの棒。▽ひまの意に用いるのは「間(すきま、あきま)」に当てた仮借的な用法だが、のちにはむしろ閑を使うことが多い。

憲(人間をおさえるきまり)・干(敵の刃をふせぐたて)と同系のことば、という。

小德出入可也

論語の本章では、”こまごました行動は原則を出入りして良い”。伝統的には「小徳は出入りするとも可なり」と読む場合があるが、「小徳出入」までが主部で、「可也」が述部だから、「小徳の出入は可なり」と読む方が理にかなっている。

論語:解説・付記

論語の本章について、従来訳の注は以下のように言う。

大徳は五倫五常といつたような道徳の大本になるもの、小徳は坐作進退の如きものを指すであろう。この言葉は、万事にひかえ目で細心な性格の子夏の言としてはめずらしい。

それもそのはずで、おそらくは漢代の儒者の作文であるからには、「子夏らしくない」との感があるのももっともだ。

論語の本章の言葉は、もとは孔子と同時代の斉の宰相・晏嬰の言葉だったとする説が有る。

晏子曰:「…且吾聞之,大者不踰閑,小者出入可也。」晏子出,仲尼送之以賓客之禮,不計之義,維晏子為能行之。」

(景公のお供で魯を訪れた)晏子が言った。「…それに私はこう聞いています。基本方針が掟を超えないなら、些事は多少外れてもかまわない、と。」晏嬰は孔子の前を去り、孔子は晏嬰を賓客の礼儀で見送った。取り繕いをしない正しさは、ただ晏嬰だけが行うことが出来た。(『晏子春秋』景公使魯有事已仲尼以為知禮2)

銀雀山漢簡の出土により、『晏子春秋』は戦国時代まで成立が遡るとされるが、竹簡にこの部分があるかどうかは分からない。

また本章の別の解釈として、清儒・方観旭の『論語偶記』は次のように言う。

「大徳・小徳は、どれも徳の有る人を言う。大小とは、徳の優劣を言う。孟子に”小徳は大徳に使われる”とあるのがその証拠だ。」

この意見には賛成できない。『孟子』も論語と同様に、相当に後世の儒者による偽作が竄入しており、とりわけ天命思想を説いた部分は、その発案者である前漢の董仲舒一派の手による偽作が疑われる。『孟子』の該当部分は以下の通り。

孟子曰:「天下有道,小德役大德,小賢役大賢;天下無道,小役大,弱役強。斯二者天也。順天者存,逆天者亡。齊景公曰:『既不能令,又不受命,是絕物也。』涕出而女於吳。

孟子曰く「天下に原則があれば、徳の少ない者が徳の大きい者に使われ、小知恵のある者は大賢者に使われる。天下に原則が無くなると、小さい者が大きい者に使われ、弱い者が強い者に使われる。両者の違いは天に原因がある。天に従う者は生き延び、逆らう者は死に絶える。だから斉の景公も言った。”(わが斉は呉に)すでに言うことを聞かせられないし、また天の恵みにも見放されている。そして二度と会えないだろう。」そう言って泣きながら娘を呉に嫁がせた。

高校教科書的には孟子のライバルとされる荀子が、著作にズバリ「天論篇」を書いて天命を否定しているので、ライバルである孟子は天命を主張したと考えがちだが、荀子は孟子より60も年下で、かつ天命を唱える人物は孟子に限らない。論語だけで手一杯の訳者には、孟子の面倒まで見切れないので、偽作の断定は出来ないが、印象的には董仲舒による竄入だとと見ている。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。覚悟致せ。

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