論語詳解484子張篇第十九(13)仕えてゆたかならば

論語子張篇(13)要約:仕事に励んでも余裕があるなら勉強しなさい。勉強しても余裕があるなら職に就きなさい、と弟子の子夏。はあそうですか、と言うしかない退屈なお説教で、本当に子夏の発言かどうかも怪しい一節。

論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文・白文

子夏曰、「仕而優則學、學而優則仕。」

書き下し

子夏しかいはく、つかゆたかならばすなはまなぶ、まなびてゆたかならばすなはつかふ。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

子夏が言った。「仕えて余裕があれば、必ず学ぶ。学んで余裕があれば、必ず仕える。」

意訳

子夏「就職してなお余裕があるなら学べ。学んでまだ余裕があるなら就職せよ。」

従来訳

論語 下村湖人
子夏がいった。――
「仕えて餘力があったら学問にはげむがいい。学問をして餘力があったら、出でて仕えるがいい。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

子夏

論語 子夏

論語では、孔子の若き弟子で文学の才を孔子に評価された孔門十哲の一人、ボク商子夏を指す。

論語 仕 金文
(金文)

論語の本章では”就職する・仕える”。論語の時代に就職先と言えば、王侯しかないので、事実上現在の役人になるしかない。封建制の世の中では、日本の諸大名が公権力そのものであったように、貴族もその私領内では公権力に他ならなかったからである。

権力に由らず財力だけで食客=私兵や参謀集団を抱えられるようになったのは、孔子からやや遅れた、もと越の軍師だった范蠡ハンレイから始まる。子夏は范蠡と同時代人だが、本章がもし子夏の発言として事実であっても、とりたてて食客を意識したわけではないだろう。

論語 優 篆書 論語 優 字解
(金文)

論語の本章では”余裕”。甲骨文~古文の全てで未発掘であり、本章が秦漢帝国時代の作文である可能性を示している。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、憂の原字は、人が静々としなやかなしぐさをするさまを描いた象形文字。憂は、それに心を添えた会意文字で、心が沈んだしなやかな姿を示す。優は「人+(音符)憂」で、しなやかにゆるゆるとふるまう俳優の姿。

『説文解字』に「饒(ユタ)かなり」とあるのはその派生義である。幽(奥深い。かすか)・夭(ヨウ)(しなやか)・窈(ヨウ)(しなやか)と同系のことば、という。

一方『字通』によると憂は喪に服して悲しむ人の姿であり、にんべんがついた優はその姿を取る人を指す。さらに雇われて悲しむ姿を見せる者を言い、「俳優」の優はここから来ている。『説文解字』で”ゆたか”の意味に取るのはやはり派生義とする。

のち優は服喪にかかわらず山川の神を慰め楽しませる所作をする者の意となり、それが更に人の娯楽となって、”戯れる”の派生義を生んだという。

訳者の見解としては、『説文解字』の言う通り、「ユウ」の音に余「裕」の意味があるのは確かだろうが、だとするなら本章も「学びて裕あらば」と書けばいい所、わざわざわかりにくく「優」の文字を使ったのは、おそらく文を古く見せるためのハッタリだろう。

論語:解説・付記

論語の本章について、従来訳の注はこう記している。

この語は前段と後段との順序が逆になつているのではないか、という説がある。なるほど、それがわれわれの常識に合致する。

それはその通りなのだろうが、そもそも本章が漢代の儒者による偽作だとすると、一々有り難く受け取るのが馬鹿らしくもある。この論語子張篇は子夏篇と改めてはどうかと思えるほど子夏のお説教が多いが、多くがこうした退屈な作り話でしかない。

むしろ漢代の儒学の様子を知るための手がかりと考えていいだろう。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。未だ人を斬ったことが無い。刀(登録証付)の手入れは毎日している。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。
斬首
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