論語492子張篇第十八(21)衛の公孫朝子貢に

論語子張篇(21)要約:亡命中、口うるさく復古主義を唱える孔子先生。ありゃ本当に昔の聖王の教えかね、とある貴族。見てきた人がいないのをいいことに、弟子の子貢の口車が猛威を振るいます。いわく、あなたもその一味ですよと。

論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文・白文

衛公孫朝問於子貢曰、「仲尼焉學。」子貢曰、「文武之道、未墜於地、在人。賢者識其大者、不賢者識其小者、莫不有文武之道焉。夫子焉不學。而亦何常師之有。」

書き下し

ゑい公孫朝こうそんてう子貢しこううていはく、仲尼ちうぢいづくにかまなべる。子貢しこういはく、文武ぶんぶみちいまちずして、ひとり。賢者けんしやだいなるものり、不賢者ふけんしやせうなるものる、文武ぶんぶみちらざるり。夫子ふうしいづくんぞまなばざらむ、またなんつねこれあらむ。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

衛国の公孫朝が言った。「仲尼どのはどこで学んだか。」子貢が言った。「文王・武王のは、まだ地に落ちないままで、人の中にある。賢者はその大いなるものを見分けて知り、不賢者はその小さなものを見分けて知る。文王・武王の道が無いわけでは無い。先生はどこで学ばないことがあろうか。そしてまた、どのような決まった師匠がいるだろうか。」

意訳

論語 貴族
公孫朝「二言目には文王だ武王だとうるさく言うが、そんな昔の話を、孔子どのはいったいどこで学んだというのかね?」

論語 子貢 問い
子貢「おやまあ、気付きませんかな。我らの立ち居振る舞いにも、文王・武王の遺訓がそこら中に残っておりますぞ? 賢い人ならそのどこからでも偉大な教えに気付きますが、そうでもない人はチマチマしたことしか気付かず、それで一人前の君子だと済ますワケですな。」

公孫朝「…。」

子貢「かように、文王・武王の道は、世に絶えたわけではないのです。だから我らの先生は、世間のあらゆる事からその道を見分け、学ぶことが出来るのです。裏を返せば、どこそこの師匠だけに習った、そんなチマチマした教えではないのですよ。」

従来訳

衛の公孫朝が子貢にたずねていった。――
「仲尼は誰について道を学ばれたのか。」
 子貢がこたえた。――
「文王・武王の道は地におちてほろびたわけではありません。それはまだ人々の間に生かされています。賢者はその大道を心得ていますし、不賢者もその小道ぐらいは心得ていますので、万人に道が残っているともいえるのです。かようなわけでございますから、私共の先生にとっては、すべての人が師でありまして、これといってきまった師があるわけではありません。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

衛公孫朝

論語 衛 金文
「衛」(金文)

論語の本章では、衛国の大夫(家老)。古来誰だか分からない。「公孫」というのは諸侯の孫が名乗る氏で、世襲もされるから公孫朝その人が衛国公の孫であるとは限らない。

子貢

論語 子貢

論語では孔子の弟子で、弁舌の才を孔子に評価された孔門十哲の一人。孔子は諸国の放浪に当たって、まず衛国に向かったが、子貢は衛国出身で、おそらく公孫朝はじめ衛国の有力者と太いコネがあったと思われる。

仲尼(チュウジ)

論語 孔子別像

論語では孔子のあざ名。「孔子」という呼称が”孔先生・孔さま”といった立派な敬称であるのに対し、「仲尼」は”孔さん・孔どの”という軽い敬称に当たる。

焉(エン)

論語 焉 金文
(金文)

論語の本章では、完了の文末助辞と疑問辞に使われている。原義はエンという黄色い鳥だが、漢文ではその意味で使われることはほとんど無い。多用されるのは”~てしまった”という完了、または詠嘆の意で、文頭・句読では「いずく」と読む疑問・反語の辞に用いられる。

文武之道

論語 文 金文 論語 武 金文
「文武」(金文)

論語の本章では”文王・武王の残した文化遺産”。”文化と武芸・軍事”と解せないこともないが、孔子をはじめ一門が周の文王・武王の遺業を継ぐことをタテマエとしている以上、そのように解釈するのが一番いい。

もっとも、周の文王・武王は一応歴史上の実在人物であるにしても、その事跡とされる事柄は、孔子やその一門、さらに後世の儒者によって仮託(かこつける)された可能性が極めて高く、すでにどこまでが史実と言っていいかわからない。

要するに孔子はその教説を、文王・武王に源をひくと主張して権威づけたわけ。詳細は論語における「仁」を参照。

墜(ツイ)

論語 墜 古文
(古文)

論語の本章では”落ちる”。甲骨文・金文・戦国文字では未発掘。文王・武王の道が「地に墜ちず、人にあり」という下りは、天地人思想の風味がするので、この文字が金文にさかのぼれない事と同様に、本章の成立が新しい可能性を示している。

論語 識 金文 論語 識
(金文)

論語の本章では”知り分ける”。同じ「しる」でも、目印や名によって、いちいち知り分けること。

亦(エキ)

論語 亦 金文 論語 学而 亦 エキ
(金文)

論語の本章では”また”。「夫子焉不學。而」に続けた内容なので、”一方で○、また一方で○”の意味と解して良い。伝統的論語の解釈ではむやみに”また”と解するが、そのほとんどは”大いに”の意。原義は人の両脇で、右もあれば左もあるので、”また”を意味した。

常師

論語 常 古文 論語 師 金文
「常」(古文)・「師」(金文)

論語の本章では”いつも教えを受ける、決まった師匠”と古来解する。

「常」は甲骨文・金文には見られず、秦・楚の戦国文字から見られる。『学研漢和大字典』によると形声文字で、「巾(ぬの)+(音符)尚(ショウ)」。もとは裳(ショウ)と同じで、長いスカートのこと。のち時間が長い、いつまでも長く続く、の意となる。長・暢(チョウ)(のびる)と同系。

類義語の恒は、いつも緊張してたるまないこと。経は、縦糸のように前後一貫して長くつらぬくこと、という。

論語:解説・付記

論語の本章は漢文の常として、言っている事がよく分からない。発言の背景や楽屋ネタが書かれていないので、どうとでも解しうるし、逐語訳だけでは分けが分からない。従って訳する者の想像次第で解釈が分かれるが、一例として意訳のような解釈を提示する。

孔子は自分の教説を、文王・武王の道を受け継ぐものだとして宣伝したが、論語の当時も現在も、文王・武王の道の何たるかはまるで分からない。確実な史料が残っていないからだ。つまり言い出す者に迫力なり権力なり権威なりがあれば、それはそれで通ってしまう。

これは再現実験の出来ない人文の世界には付きものの欠点で、実利はことのほか重んじるが事実はどうでもいい中国人の常でもある。従って公孫朝は”孔子の教説が聖王の道だという証拠を出せ”と迫ったのだが、子貢はそんなものは無いのを重々承知で言いくるめているのである。

さすがに弁舌をもって孔門十哲に入っているだけあって、子貢の口車は善く回っている。「あなたの君子然とした立ち居振る舞いも、聖王の遺訓だと思ってやってるんでしょう?」と、公孫朝の痛いところを突いているわけだ。否定すれば野蛮人を自認することになるから。

だがこれは却って、孔子の教説が文・武王の遺訓とは関係が無いと言うようなもので、要するに孔子の教説は、孔子のこしらえた架空といっていい。それは論語における「仁」に記した通りで、本章は教説を疑う者が多かったこと、子貢の口車がそれを阻んだことを伝えている。

なお本章以降、論語は子貢の口車をいくつか載せて子張篇を終える。

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