論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文・白文
子夏曰、「雖小道、必有可觀者焉、致遠恐泥。是以君子不爲也。」
書き下し
子夏曰く、小道と雖も、必ず觀る可き者有り焉も、遠きを致さば泥むを恐る。是を以て君子は爲さざる也。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
子夏が言った。「つまらない技でも、見る価値のあるものはきっとあるだろうが、長い時間がかかる業績を達成するに当たって、まとわりついて動きが取れなくなることを恐れる。だから君子たる者、つまらない技は習わないのだ。」
意訳
子夏「ちまちました技にも、それなりの価値はあるだろう。しかしその技にこだわると、大きな業績を成し遂げるには邪魔になる。だから君子たる者は、つまらない技を身につけようとはしないのだ。」
従来訳
子夏がいった。――
「一技一芸の小さな道にも、それぞれに意義はある。しかし、そうした道で遠大な人生の理想を行おうとすると、おそらく行き詰りが来るであろう。だから君子はそういうことに専念しないのである。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
子夏
論語では、孔子より44歳年少の若い弟子、卜商子夏のこと。文学の才を孔子に評価された、孔門十哲の一人。孔子没後は一流派を開き、北方の魏国で弟子を育成した。
雖(スイ)
(金文)
論語の本章では”~ではあるが”。「いえども」と読む逆接の仮定条件を表す接続辞。
甲骨文には見られないが、春秋中期の金文から見られる。具体的なものや動作を表す言葉ではないが、比較的早くから文字化されたことが分かる。『学研漢和大字典』によると、もとは「スイ」というとかげの一種の名で、接続辞に転用されたという。
まれに「ただ~(のみ)」「これ」と読み、”ただ~だけ・~にすぎない”を意味する限定・強調の意を示す場合がある。
小道
(金文)
論語の本章では”取るに足らない技や教え”。「道」は”やり方・方法”を意味し、どのような道かによって重要にも取るに足らなくもなる。
觀(観)
(金文)
論語の本章では”価値を認めて見る”こと。『学研漢和大字典』による語源は、へんは水鳥が並んで鳴くさまで、並び揃ったものを見渡すこと。単に視覚に止めることではなく、さまざまあるものを比較して見渡し・見定めることを言う。詳細は論語語釈「観」を参照。
焉(エン)
(金文)
論語の本章では”きっと~だろう”。ものごとの終わりや断定を意味する助辞。もとは「エン」という黄色い鳥のことだという。詳細は論語語釈「焉」を参照。
致遠
(金文)
論語の本章では”長大な仕事を達成する”。”遠方にいく・志を遠大にする・遠くまで広げる”の意がある。「遠」は物理的・時間的距離が長いこと、「致」はある地点まで至ることを意味する。本章では時間的に長い期間ある行為を継続して何かを成し遂げること。
あるいは、手に届かない遠くのものに手を届かせることで、簡単には理解できない遠大な道を突き詰める、と解釈することも出来る。
余談になるが、清朝末期の北洋艦隊の主力艦の一隻に、致遠という名の巡洋艦があった。
恐泥
「恐」(金文)・「泥」(古文)
論語の本章では”動きが取れなくなることを恐れる”。「泥」は 意外にも甲骨文・金文には見られず、戦国文字でも未発掘。古文でもへんを欠いたり、土へんに作る。「拘泥」のように、ねっとりとまとわりつかれて動きが取れなくなること。この場合は去声に読む、とされる。
古い中国語の去声とは何かについては、そんな音はなかったという説まであるので、ここでは深入りしない。漢字の四つの発音の仕方の一つ。
「恐」の初出は上掲戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はkʰi̯uŋで、同音は存在しない。部品の巩(カ音不明)”いだく・かかえる”の派生字である鞏(=𢀜、カ音ki̯uŋ)に、”おそれる”の語釈を『大漢和辞典』が載せる。詳細は論語語釈「恐」を参照。
是以
(金文)
論語の本章では”だから”。ここでの「以」は下に目的語を持たず、接続詞として働いている。
論語:解説・付記
論語の本章は、論語雍也篇13「なんじ君子の儒となれ」と対応する内容で、「チマチマするんじゃない」と師の孔子から諭された子夏が、自らの弟子にも同じ様な訓戒を残したもの。