論語詳解495子張篇第十九(23)叔孫武叔仲尼をそしる

論語子張篇(23)要約:門閥家老が孔子先生の悪口を言いました。子貢が弁を振るいます。悪口を言うのはおやめなさい。先生の偉さは太陽や月と同じほどだ。悪口を言えば、もの知らずにも程があると、世間の笑いものになりますぞ、と。

論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文・白文

叔孫武叔毀仲尼。子貢曰、「無以爲也、仲尼不可毀也。他人之賢者、丘陵也、猶可踰也。仲尼*日月也、*無得而踰焉。人雖欲自絕*、其何傷於日月乎。多見其不知量也。」

校訂

武内本:清家本により、仲尼の下に如の字を補う。無の前に人の字を補う。絕の下に也の字を補う。

書き下し

叔孫武叔しゆくそんぶしゆく仲尼ちうぢそしる。子貢しこういはく、すをもちふるけん仲尼ちうぢそしからざればなりほかなるひと賢者けんしや丘陵をかなりなり仲尼ちうぢ日月じつげつなりゆるなりひとみづかたむとほつすといへども、なん日月ひつきやぶらむかずらざるをあらはなり

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逐語訳

叔孫武叔が孔子を批判した。子貢が言った。「おやめなさいよ。孔子先生はおとしめることが出来ないからです。他の賢者は丘です。やはり越える事が出来るのです。孔子先生は太陽や月です。越えることが出来ません。人が自分で関係を断とうとしても、何の損害を太陽や月に与えられるでしょうか。まさしく数を知らないことを表すのです。」

意訳

叔孫武叔が孔子を批判した。

子貢「おやめなさいませ。先生の悪口を言っても無駄です。そこらの賢者が丘だとすれば、先生は太陽や月です。手が届くものではなく、人がどう騒ごうが痛くもかゆくもありません。悪口を言えば、却って物笑いの種になりますぞ。」

従来訳

論語 下村湖人

叔孫武叔が仲尼をそしった。すると子貢がいった。
「そういうことは仰しゃらない方がよろしいかと存じます。仲尼先生は傷つけようとしても傷つけることの出来ない方です。ほかの賢者は丘陵のようなもので、ふみこえることも出来ましょうが、仲尼先生は日月のように高くかかっていられて、ふみこえることが出来ません。仲尼先生をそしって、絶縁なさいましても、日月のようなあの方にとっては何の損害もないことです。却ってそしる人自身が自分の力を知らないということを暴露するに過ぎないでしょう。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

叔孫武叔

魯国門閥家老三家の一家、叔孫氏の当主。

毀(キ)

論語 毀 金文
(金文)

論語の本章では”悪口を言う”。漢文では一般に「こぼつ」と読み下し、”壊す”を意味する。『学研漢和大字典』による原義は、叩き壊すこと、また、穴を開けて壊すこと。

仲尼

論語 孔子別像

論語では、孔子のあざ名。「仲」は金文まで遡れるが、「尼」は年代不詳の古文からしか見られない。つまり孔子生前のあざ名であった可能性は低く、後世の創作である可能性が高い。

古文は一般に、春秋戦国時代に通用した金文と、文書行政が盛んになった秦漢帝国で用いられた篆書との間をつなぐ文字と言われるが、本当にその時代のものと確定できる文字とは限らない。

子貢

論語 子貢

論語では、孔子の弟子で、弁舌の才を孔子に評価された孔門十哲の一人、端木賜子貢のこと。

無以爲也

論語の本章では”おやめなさいよ”。伝統的な論語の解説では、「以て為す(こと)無かれ」と読むが、それでは何を「以て」なのか意味不明。

ここでの「以」は前置詞や接続詞ではなく、動詞の”用いる”。「無為」(為す無かれ)でも”するな”の意となるが、「以」を加えることで、「(そのような)行為をするな」の意となり、つまり”わざわざそんなことをするな”。

「以為」は、漢文では一般に「思えらく」と読み下し、”思うことには・考えてみると”の意となるが、その場合の「以」は接続詞で、直前の叙述内容を「以て」~だと「為す」の意。論語の本章とは異なる。またここでの「也」は詠嘆の意で用いられており、”よ”に当たる。

「為すをもちうる無けんや」との読み下しは、日本古語の文末助詞「や」が、終止形・已然形にしか付かないための工夫で、「無」を「なかれ」と命令形に読むと、そのままでは接続できない。そこで命令形の代わりに意志の助動詞「む」を挟み、その終止形に「や」を付ける。

このような「~けん」の読み下しは、平安朝では漢文専用に用いられたと見え、『百人一首』にも歌が残る小野おののたかむらの才を示すエピソード、「無悪善」の読み下しにも見られる。これは「さがなくてよからん」と読んでもいいし、「さがなくてよけん」と読んでもいい。

わたのはら やそしまかけて こぎいづと ひとにはつげよ あまのつりふね
(『小倉百人一首』11番 参議篁)

余談ながらこの挿話は、才能はあるものの何かと楯突くことが多かった小野篁に、朝廷人の誰一人読めなかった投書をよませたもの。嵯峨さがなくてけん、つまり嵯峨天皇はいなくていいだろうの意だが、読み下せたことで却って投書の当人ではないかと疑われたという。

そうでないと抗弁する篁に対し、嵯峨天皇が「子子子子子子子子子子子子」を読めたら疑いを説いてやろうという。篁はみごと、「ねこのここねこ、ししのここじし」と読み下し、天皇を感服させたと『宇治拾遺物語』にある。

丘陵

論語 丘 金文 論語 陵 金文
(金文)

論語の本章では”丘”。

「陵」は『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、坴(リョウ)は「渓(土盛り)の略体+夂(あし)」の会意文字で、足の筋肉にすじめを入れるほど力んで丘に登ること。陵は「阜(おか)+(音符)坴」で、山の背のすじめ、つまり稜線(リョウセン)のこと。

凌(リョウ)(氷のすじ)・綾(リョウ)(すじめ入りのあや織り)と同系のことば。また、力(手足の筋肉をすじばらせてりきむ)・翕(ロク)(大地のすじめ)・肋(ロク)(すじめのあらわな胸の骨)などは、陵の語尾xがkに転じたことば、という。

猶(ユウ)

論語 猶 金文 論語 猶

論語の本章では、”それでもなお”。詳細は論語語釈「猶」を参照。

論語 踰 篆書
(篆書)

論語の本章では”越える”。この文字は甲骨文~古文に見られず、論語の本章が秦漢帝国以降の成立である可能性を示唆している。

絕(絶)

論語 絶 金文
(金文)

論語の本章では”関係を断つ”。「すつ」と読む論語本もあるが、意味をよく取る読みと思う。

『学研漢和大字典』によると「糸+刀+卩(セツ)(節の右下)」の会意文字で、刀で糸や人を短い節に切ることを示す。ふっつりと横に切ること。右側の部分は、もと色ではなくて刀印を含む。卩は、また、人の姿と解してもよい。

脆(セイ)(もろくて切れやすい)・最(きわめて小さいこま切れ)などと同系のことば、という。

論語 傷 秦系戦国文字 論語 傷 楚系戦国文字
(秦系戦国文字・楚系戦国文字)

論語の本章では”おとしめる”。甲骨文・金文・古文には見られないが、戦国文字には見られ、楚系戦国文字では現行書体のへんとつくりが入れ替わっている。

多見其不知量也

論語の本章では”まさにその量の多さを知らない事を暴露する”。「見」の原義は”目立つ”ことであり、それが”見える”ことでもある。「見」の主語が子貢だとすると、「見」を”見る”と解して、”知らない事を見る”と訳しても誤りではない。

武内本では「多」を「たまたま」と読んでおり、”たまたま~知らないだけだ”と解するのだろうが、この語義は『大漢和辞典』にもない。「多」を「ただ・まさに」と読むことは『学研漢和大字典』にも見えるが、その訳は”まさしく”であり”たまたま”ではない。

ここでの「其」は英語の関係代名詞と類似の働きをしており、「不知量」を導いている、と解することも出来る。しかし単に代名詞として、「自ら絶たんとする人」を言い換えていると解した方が単純で、わかりやすい。

論語:解説・付記

論語の本章の、時期について。

従来訳の注に、「子貢が孔子のことを「仲尼」と呼んだのは、相手が大夫で、孔子より高位の人であつたからである。」とある。相手=叔孫武叔はBC505に当主となっており、それは孔子が中都の宰となり、魯国政界にデビューする4年前のことだった。

その年は魯国門閥家老=三桓の筆頭である季孫氏の当主が、季桓子に代わったのと同年で、後年、季桓子は孔子が帰国する直前に世を去った。別して三桓のもう一家である孟孫氏の当主・孟子は、没年からおそらく孔子と同世代と思われるが、BC535に当主になっている。

そして子貢が魯国政界で活躍し始めるのは、孔子の帰国前後のことであり、故に本章はそれ以降の状況を描いたと見てよい。その語り手の子貢は孔子と23の年齢差がある。論語の登場人物は、生没年の記録が必ずしも無いが、おそらく子貢は叔孫武叔と同世代だったのでは。

叔孫武叔の「武」はおくり名だから、論語の本章は少なくとも、叔孫武叔没後に書かれたことになる。加えて文字に新しいものが含まれていることから、おそらく秦漢帝国になってからの成立だろう。

『小倉百人一首』11番 参議篁
余談ながら、引用の和歌について、多くは「こぎいでぬと」と記すが、篁ほどの才人が、そんなキモチ悪い歌を詠んだとは思えないので「こぎいづと」と記した。小野篁の歌を、定家卿がどう撰んだか訳者は知らない。ただ音が一つ余計だから、キモチ悪いと感じた。

高校古文で字余りという。受験的にはそれを覚えれば済むが、実際歌ってみるがいい。その気持ち悪さを。古今・新古今の世界は奈良朝日本語も読めぬヲタどもの吹きだまりで、幽玄・艶の世界が古今伝授として、丹後宮津城開城の理由になったことを思えばぞっとする。

全く姿がないものが、大勢の戦国将士の生き死にを左右する。歌が読めねば死ぬ明日が史上あったのだ! 遠く異朝をとぶらえば、漢詩でこうした破格が許されるのは、古来李白ただ一人とされる。それが許されたのは、つまり感性によるものであり、感性とはほぼ流行かぶれファディズムだ。

両人対酌 山花開 一杯一杯復一杯(李白「山中与幽人対酌」)

千万人言えども我往かん、が出来る人に会った事が無い。人はどうしようもない我と、どうしようもない彼の間に生きるが、生きるために彼に従うしかない。だがどの程度従うかで個性が決まるが、できるだけ我に近づける技能習得と、彼に近づけるそれとは全くわけが違う。

玄宗皇帝という、当時最大最高の宣伝媒体に近づいた李白ゆえ、破格が許された。ついでに唐帝国のような世界帝国は、中国史上空前で、おそらく絶後だろう。だからこその李白だが、訳者の感性には響かない。唐も玄宗皇帝も無き今、訓んだり詠んだりしても大して面白く無い。

皇帝が褒めそやすから、お追従を言う者が多いのだ。多いから音量が大きくて、イヤでも耳に入るのだ。それなしで実直な音調子で詠んだ杜甫の方が、よほど心に迫る。感性感性と言い張る連中が、概して軽薄な宣伝業者か、まるまるの愚か者であることを思う。

渋谷でハロウィーン騒ぎしている連中のように。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。未だ人を斬ったことが無い。刀(登録証付)の手入れは毎日している。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。
斬首
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