論語詳解496子張篇第十九(24)陳子禽子貢に謂いて

論語子張篇(24)要約:子貢の弟弟子で、何かと孔子先生に辛口の子禽が言います。兄者の腰は低すぎる、孔子先生がそんなに偉いんですかと。子貢がコラとたしなめます。よおく聞け、孔子先生の偉さはなあ、はしごで登れぬ天と同じだと。

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原文・白文

陳子禽謂子貢曰、「子爲恭也、仲尼豈賢於子乎。」子貢曰、「君子一言以爲知*、一言以爲不知*、言不可不愼也。夫子之不可及*也、猶天之不可階而升也。夫子*之得邦家者、所謂『立之斯立、道*之斯行、綏之斯來、動之斯和。其生也榮、其死也衰*』。如之何其可及也。」

校訂

武内本:唐石経、智知に作り、及下也の字あり。夫子の下之の字あり、導道に作る。

衰、日中の版本いずれも「哀」とするが、対句として不自然であり、「衰」の誤字と解した。

書き下し

陳子禽ちんしきん子貢しこうひていはく、ゐや仲尼ちうぢあにかしこ子貢しこういはく、君子くんしは一ことさとしとされ、一ことさとからずとさるれば、ことつつしまざるからざるなり夫子ふうしおよからざるてんきざはしのぼからざるがごときなり夫子ふうし邦家くに所謂いはゆるこれつらばここち、これみちびかばここき、これやすんずらばここきたり、これうごかさばここやはらぎ、くるさかえ、するおとろふ。これ如何いかんおよけむ

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逐語訳

陳子禽が子貢に言った。「あなたの恭しい態度は(不釣り合いです)、孔子先生がどうしてあなたより優れているでしょうか。」子貢が言った。「貴族や知識人は、一言で賢いと評価され、一言で賢くないと評価されるから、言葉は慎まないことが出来ない。孔子先生に及ぶことが出来ない有様とは、あたかも天にはしごを掛けて登れないのと同じだ。孔子先生が一国の政権を得たら、丁度言われているように、国が成り立つようにすれば成り立ち、国を導けばその道を国が行き、国を落ち着ければ民が慕い寄り、国を動かせば民が和み合って従う。先生が生きれば国が栄え、亡くなれば衰える。そのような有様に、どうやって及ぶと言うのか。」

意訳

子禽「兄者は腰が低すぎます。孔子先生はそんなに偉い人じゃないでしょう。」

論語 子貢 怒り
子貢「コラ! 何てこと言うんだ。君子たる者、たった一言で評価が決まってしまうぞ? 言葉に気を付けろ。お前は孔子先生の偉さを知らないだけなんだ。教えてやるから、よおく耳をかっぽじって聞け!」

子禽「はあ。」

子貢「先生の偉さはな、はしごを掛けても天に昇れないのと同じだ。先生が政治を取れば、あの善政を讃える歌と同じだぞ?」

♪政務を取りたまえば あら不思議
 国は栄える 民従う
 安らぐ暮らしに 遠くの者まで慕い寄る
 そのお触れを疑う者なく みなこぞって精を出す
 生きておわせば国賑わい みまかればすなわち国沈む

子貢「…と、いうわけだ。私やお前如きが、至れる境地ではないと知るがよいぞ。」

子禽「はあ。」

従来訳

論語 下村湖人

陳子禽が子貢にいった。――
「あなたはご謙遜が過ぎます。仲尼先生といえどもあなた以上だとは私には思えません。」
すると子貢がいった。――
「君子は一言で知者ともいわれ、一言で愚者ともいわれる。だから、口はうっかりきくものではない。先生が、われわれの到底及びもつかない方であられるのは、ちょうど天に梯子をかけて登れないのと同じようなものだ。もし先生が国家を治める重任につかれたら、それこそ古語にいわゆる、「これを立つればここに立ち、これを導けばここに行われ、これを安んずればここに来り、これを動かせばここに和やわらぐ。その生や栄え、その死やかなしむ。」とある通り、民生もゆたかになり、道義も作興し、人民は帰服して平和を楽しみ、先生の御存命中はその政治をたたえ、亡くなられたらその徳を慕うて心から悲しむだろう。とても、とても、私などの及ぶところではないのだ。」

下村湖人『現代訳論語』

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陳子禽(チンシキン)

論語 子禽

論語では孔子一門の一人で、名はコウ。おそらくは孔子の直弟子ではなく、子貢の門人。論語季氏篇16が史実とすると、孔子に先立った一人息子のと問答しているので、孔子の直弟子の可能性はあるが、孔子と直問答した記述は論語になく、季氏篇16の史実性も怪しい。

論語学而篇10では孔子について子貢と問答しているが、季氏篇と同様に孔子に対しては辛口で、かつ学而篇の問答は孔子没後の思い出話の可能性が高い。『孔子家語』によれば孔子より40年少。孔子神格化以降の公式な人物像は以下の通り(百度百科より和訳)。

南頓侯陳亢(BC508?~BC430)、あざ名は子元、または子禽、または子亢。春秋時代の頓子国(現在の河南省項城市南頓鎮)出身。十八歳で孔子に入門し、のち孔子に付き従って衛国に赴き、儒者として衛国に仕官した。河南省郡志の記載によると、北宋の大中祥符元年 (AD1008)真宗皇帝が孔子に玄聖文宣王の位階を追贈した際、陳亢も南頓侯の爵位を追贈された。明の嘉靖九年(AD1530)に、世宗皇帝が至聖先師の称号を孔子に追贈した際には、孔子廟で孔子と共に祀られた。

論語 謂 金文
(金文)

論語の本章では”論評する”。同じ「いう」でも、何かについて、それをめぐってあれこれ言うこと、と『学研漢和大字典』にある。

子貢

論語 子貢

論語では、孔子の直弟子で、弁舌の才を評価された孔門十哲の一人、端木賜子貢のこと。

論語 子 金文
(金文)

論語の本章では”先生”。具体的には子貢を指す。論語での用例はほとんど孔子を意味するが、個々では例外。本来は王の息子を意味し、高貴な身分であることから、貴族や師匠への敬称へと転用された。

論語 恭 古文
(古文)

論語の本章では”控えめで丁寧である”。『学研漢和大字典』による原義は、ものを両手で差し上げるさま。文字的には、甲骨文・金文には見えないが、楚系戦国文字と金文大篆、古文より見られる。

孔子の在世当時には「兢」と書かれていたと考えられる。すなわち「戦戦兢兢」の「兢」であり、”恐れてブルブル震えるような気持ちでいる”という有様を指す。詳細は論語語釈「恭」を参照。

なお「恭」の字は本章と共に、子禽と子貢の対話である論語学而篇10にも現れており、共に後世の創作である可能性を残している。

子爲恭也~子乎。

ここでの「也」は断定であり、「子はキョウたるなり」と読み下すのが伝統的な論語の解釈で、特に矛盾はない。しかし、この「也」を主格を提示し強調する意だと解し、「や」と読み下した場合、書き言葉だと文法的におかしいが、この部分が口語ならば矛盾がなくなる。

子爲恭也、仲尼豈賢於子乎。
文語:あなたが恭しい態度でいることは、仲尼はあなたより優れているだろうか。
口語:兄者の腰の低さよ、孔子先生がそんなに偉いんですか。

仲尼(チュウジ)

論語 孔子別像

論語のみならず漢文一般では、孔子のあざ名とされる。仲は次男を意味し、尼は母親が尼山に祈って孔子を産んだという伝説に基づく。従って孔子在世当時のあざ名ではなく、後世の創作である可能性がある。

論語 豈 古文
(古文)

論語の本章では”なぜ~か”。反語を意味する。『学研漢和大字典』によると、もとはにこやか・賑やかなさまを意味したが、指示詞のと音が通じたので転用され、指示・強調を加えて反問する語気をあらわすようになった。文字的には秦系戦国文字・古文より見られる。

論語 賢 金文
(金文)

論語の本章では”優れている”。吉川説では、”かしこい”よりもむしろ”えらい”に近いと言うが、例によって論拠のない、吉川博士の個人的印象に過ぎないので、必ずしもそうとは言えない。語源的には、宝箱を上からじっと見つめて、抜け目なく管理すること。

論語 於 金文
(金文)「

論語の本章では”~よりも”。漢文では一般的に「おいて」と読み下し、”~で”の意味に使われることが多い。

爲(為)

論語 為 金文
(金文)

論語の本章では”~だと判定される”。原義は象を調教するさま。

愼(慎)

論語 慎 金文
(金文)

論語の本章では”慎む・慎重になる”。

論語の時代に通用した金文では、りっしんべんを欠く姿で書かれた書体を『字通』は載せる。しかし眞(真)との書き分けについて、『字通』は眞の甲骨文・金文を載せず、漢字古今字資料庫(http://xiaoxue.iis.sinica.edu.tw/ccdb)では愼(慎)の甲骨文~古文を載せない。

要するに上掲の画像は『字通』の編者である白川博士の独自採集による金文であり、来歴が明瞭でないのを遺憾とする。

論語 也 金文
(金文)

論語の本章では、「なり」と読み下して断定を意味し、また「や」と読み下して文頭の主語・副詞を強調する意を示す。この場合、”~こそは・まったく”を意味する。

論語 猶 金文
(金文)

論語の本章では「なお~ごとし」と読み下して”~のようなものである”。再読文字の一つ。詳細は論語語釈「猶」を参照。

論語 階 金文
(金文)

論語の本章では”はしご段”。

『学研漢和大字典』では「阜(土盛り)+(音符)皆(きちんとそろう)」の会意兼形声文字とするが、へんはどう見てもはしご段であり、こざとへんだからといって”おか”と解釈するのには同意しかねる。

『字通』はこの字のへんを、神梯=神が天から祭壇など祭の場へ上り下りするはしごであり、もと祭壇の階を言う語であった、とする。

論語 升 金文
(金文)

論語の本章では”のぼる”。

夫子

論語 夫 金文 論語 子 金文
(金文)

論語の本章では”先生”。直訳すれば「きみ」=”あの方”であり、具体的には孔子を指す敬称。

得邦家者

論語の本章では”一国の政権を握れば”。「邦家」は論語の時代の諸侯国を指すと古来解する。

論語 邦 金文 論語 家 金文
(金文)

「家」は『字通』によれば犠牲獣を埋めて地鎮祭を行った建物の意であり、甲骨文では一族の祖先祭殿をも意味するという。土地神と穀物神を意味する「社稷」が”国家”を意味するように、領域と祭殿を組み合わせて”くに”を意味することは、『詩経』大雅・思斉にも「以て家邦をおさむ」とあるという。

論語 者 金文
(金文)

またここでの「者」は、主格を特に取り上げて提示する働きをする。”~とは、それは”。

立之斯立~其死也哀

論語の本章が史実とすると、この部分の前に「所謂」があるので、当時そのような言い廻し、おそらく歌があったと思われる。ここでの「其」は孔子を指す。詳細は論語語釈「其」を参照。

論語 斯 金文
(金文)

論語の本章では、「すなわち」「ここに」と読み下し、”~ならば…である・~したら…する”を意味する。前後の句をつなぐ意を示す。

論語 道 金文
(金文)

論語の本章では動詞として”導く”。

綏(スイ)

論語 綏 古文
(古文)

論語の本章では”落ち着かせる”。「妥当」の「妥」に当てた用法。論語郷党篇18では、馬車に取り付けられたつり革としての用例がある。『学研漢和大字典』による原義は、いきりたつ女をまあまあと手でなだめて落ち着かせるさま、という。

來(来)

論語 来 金文
(金文)

論語の本章では”民が慕い寄る”。

春秋戦国時代の庶民には戸籍らしきものがあったとされるが、領主や国君が暴政を行うと、ただちに反乱を起こすか、さもなくば逃げ散ってより暮らしやすい国に移動した。論語の本章はそうした遠い地の民が”やってる”ことを意味し、儒教的価値観では善政の証拠とされる。

中国史上、最古の古典の一つである論語だが、そうした記述は子路篇4にも見える。また孔子の自称後継者である孟子が、魏(梁)の恵王と対談した記述に、王が「よそより善政を敷いておるというのに、ちっとも隣国の民が慕い寄ってこない」と嘆くくだりがある。

察鄰國之政、無如寡人之用心者。鄰國之民不加少、寡人之民不加多、何也。(『孟子』梁恵王上篇)

其生也榮(栄)、其死也哀

論語の本章では、”生きていると栄え、死ぬと悲しむ”の意だが、「生→死」に呼応する「栄→哀」は対句として不自然であり、「哀」は「衰」の誤りに違いない。

如之何

論語の本章では”どのようにして”。受験生を悩ます「如何」の間に目的語の「之」が挟まった形だが、それは平安朝以来の読み下しの流儀を引きずったに過ぎず、逐語的に「かくの如きは何ぞ」と読み下しても一向に差し支えない。

論語:解説・付記

論語の本章は、おおむね金文まで遡れること、また口語らしい表現があることから、史実の問答を伝えると言っていい。ただし孔子をくさす子禽を、兄弟子の子貢がたしなめる筋立ては論語学而篇10と同じであり、子張篇の終わりに重出する子貢ばなしの一つでしかない。

つまりこれら子張篇の子貢ばなしから分かるのは、一門で最も出世した子貢でありながら、こと孔子に対しては、しおらしいご立派な弟子でした、ということに止まり、要するに子貢派の宣伝である事を免れない。

免れないが、子貢の孔子に対する尊崇の篤さは、孔子没後、師の墓のかたわらに小屋がけし、その服喪の期間も他の弟子の倍であったことが伝えられるように、おそらく本物だったろう。出世したからこそ、事実を伝えるだけで宣伝になったのである。
論語 孔子聖蹟図 治任別帰

本章をもって子張篇は終わる。引き続く堯曰篇は付録に過ぎず、論語は本章で事実上終わると言っていい。

『論語』子張篇おわり

お疲れ様でした。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。未だ人を斬ったことが無い。刀(登録証付)の手入れは毎日している。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。
斬首
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