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論語詳解499堯曰篇第二十(8)命を知らざらば°

論語堯曰篇(8)要約:天の表す自然現象の意味を読み取れなければ、貴族になれないぞ。礼儀作法を知らないと、公の場で立場を失うぞ。言葉を知らないと、人を知ることは出来ないぞ。孔子先生のこの教訓で、論語は終わります。

論語:原文・白文・書き下し

原文・白文

子曰、「不知命、無以爲君子也。不知禮、無以立也。不知言、無以知人也。」

校訂

後漢熹平石経

(なし)

定州竹簡論語

……隣 外字胃之有司。」・子a曰:「不知命,無以為君子;不知禮,無以・立[也;不知]言,無以知[人也]。」b611

  1. 今本”子”字上有”孔”字。
  2. 這一部分今本別為一章。簡本在此用二個圓點間隔、以雙行小字書于此簡的下部。

※本章は、横書きで示せば次のようになっていたことになる。

內之隣 外字胃之有司 ・子曰不知命無以為君子不知禮無以
・立也不知言無以知人也

簡611号


→子曰、「不知命、無以爲君子。不知禮、無以立也。不知言、無以知人也。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 不 金文智 金文命 金文 無 金文㠯 以 金文為 金文君 金文子 金文 不 金文智 金文礼 金文 無 金文㠯 以 金文立 金文也 金文 不 金文智 金文言 金文 無 金文㠯 以 金文智 金文人 金文也 金文

※論語の本章は、「以」「也」の用法に疑問がある。

書き下し

いはく、めいらば、君子もののふし。ゐやらば、なりことらば、ひとなり

論語:現代日本語訳

逐語訳

孔子
先生が言った。「天命を知らなければ、それゆえ貴族になることはない。礼を知らなければ、それゆえ立つことが無い。言葉を知らなければ、それゆえ人を知ることが無い。」

意訳

孔子 水面
孔子「天の表す自然現象を理解できないようでは、貴族にはなれない。貴族らしい立ち居振る舞いを知らないようでは、公の場で立場がない。言葉に出来るように知らなければ、人を知ることはできない。」

従来訳

下村湖人

先師がいわれた。―― 「天命を知らないでは君子たる資格がない。礼を知らないでは世に立つことが出来ない。言葉を知らないでは人を知ることが出来ない。」

下村湖人先生『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「不懂得客觀規律,就不能做君子;不懂得道德規範,就無法建功立業;不懂得分辨言論,就不能瞭解人。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「客観的な規律を知らないと、全く君子にはなれない。道徳規範を知らないと、全く業績を挙げ事業を行うことが出来ない。人の言葉を見抜けないと、全く人を理解できない。」

論語:語釈

知(チ)

知 智 甲骨文 知 字解
(甲骨文)

論語の本章では”知る”。現行書体の初出は春秋早期の金文。春秋時代までは「智」と区別せず書かれた。甲骨文で「知」・「智」に比定されている字形には複数の種類があり、原義は”誓う”。春秋末期までに、”知る”を意味した。”知者”・”管掌する”の用例は、戦国時時代から。詳細は論語語釈「知」を参照。

命 金文
(金文)

論語の本章では”天命”。天が定めた運命を言う。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は、シュウ=人々を集めて口で言葉を伝えるさまで、神や君主が命令を伝えること。詳細は論語語釈「命」を参照。

孔子は古代人にしては珍しく、無神論に近い立場に立った(孔子はなぜ偉大なのか)。従って孔子生前での「天命」とは、自然現象など天が人に見せる状況や予兆であり、カミサマのたぐいの”命令”ではない。

それを知るために、孔子塾の必須六科目に「数」が入っており、地道なデータ取りと帳簿付けが、孔子一門が庶民から貴族へ成り上がることの出来た原動力だった。孔子は何かにつけウンチクを語ることが出来たから、門閥貴族に重宝されたわけではない。

孔子、貧且賤、及長、嘗為季氏史、料量平。嘗為司職吏、而畜蕃息。由是為司空。

史記
孔子は貧しく身分が低かった。成長すると、短期間李氏の文書係になり、計量が正しかった。短期間下っ端の役人になり、家畜が繁殖し太った。これを褒められて土木監督官になった。(『史記』孔子世家)

孔子はめったに、天命を口にしなかったとされる(論語子罕篇1)が、その子罕篇冒頭は史実が疑わしい。対して孔子の逝去(BC479)後、9年後に生まれた諸子百家の一人、墨子(BC470-BC390?)は、儒家が二言目には天命で責任逃れをするのを、口を極めて罵っている。

有強執有命以說議曰、「壽夭貧富、安危治亂、固有天命、不可損益。窮達賞罰幸否有極、人之知力、不能為焉。」群吏信之、則怠於分職。庶人信之、則怠於從事。 吏不治則亂、農事緩則貧、貧且亂背政之本、而儒者以為道教、是賊天下之人者也。


(儒者は)天命にこじつけてこう説教する。「寿命や貧富、安危や治乱は、元々天が定めるものだ。人力ではどうしようもない。出世や賞罰や幸不幸もすでに決まっており、人の知力ではどうしようもない」と。

これを真に受けて役人は仕事を放り出し、庶民は働かない。世は役人が行政を怠れば乱れ、庶民が農作業を怠れば貧しくなる。そのせいで政治は無茶苦茶だ。だから儒者に世の指導を仰ぐのは、天下の人々に盗賊を働くのと変わらない。(『墨子』非儒下篇)

つまり孔子在世当時の教えでは、”天の命令”という意味での「天命」は無かったのだが、孔子没後は急速に、儒家の中で”天の命令”として重んじられる言葉になっていったと考えられる。

以(イ)

以 甲骨文 以 字解
(甲骨文)

論語の本章では”それで”。初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、名詞(人名)、動詞”用いる”、接続詞”そして”の語義があったが、前置詞”~で”に用いる例は確認できない。ただしほとんどの前置詞の例は、”用いる”と動詞に解せば春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照。

以爲

論語の本章では、”それだから、…である”。「無以爲君子」で”それだから、君子ではない”。論語語釈「為」も参照。

君子

貴族 孟子

孔子の生前では単に”貴族”を意味した。そこに”情け深い教養人”のような曖昧な語義をなすりつけたのは、孔子没後百年に現れた世間師、孟子である。詳細は論語における「君子」を参照。

「命」=”天が示す現象や予兆”が分からなければ、人を指導する立場の「君子」=”貴族”には成り上がれないぞ、と孔子は言ったわけ。

礼 金文
(金文)

論語の本章では”(貴族にふさわしい)礼儀作法と行動規範”。新字体は「礼」。初出は甲骨文。へんのない豊の字で記された。『学研漢和大字典』によると、豊(レイ)(豐(ホウ)ではない)は、たかつき(豆)に形よくお供え物を盛ったさま。禮は「示(祭壇)+(音符)豊」の会意兼形声文字で、形よく整えた祭礼を示す、という。詳細は論語語釈「礼」を参照。

原義はお供え用のたかつきに、お供えのめしをたっぷり盛った姿。単にお辞儀や儀式の式次第だけでは無く、どのような順序で食べ物を食べるか、までを定めるほどの、日常動作のあらゆる行動を規制する規則。

儒者にとってこれを知ることは、冠婚葬祭業で食うためのタネだったから、「無以立也」=独り立ちできない、重要な知識だった。さらに孔子の教説として、「仁」=貴族らしさの細目が「礼」であり、貴族に成り上がるには必須の教養だった。

立(リュウ)

立 甲骨文 立 字解
(甲骨文)

論語の本章では”立場”。初出は甲骨文。「リツ」は慣用音。字形は「大」”人の正面形”+「一」”地面”で、地面に人が立ったさま。原義は”たつ”。甲骨文の段階で”立てる”・”場に臨む”の語義があり、また地名人名に用いた。金文では”立場”・”地位”の語義があった。詳細は論語語釈「立」を参照。

公の場で、貴族らしい作法を知らないと、立場が無いぞ、と孔子は言ったわけ。

言(ゲン)

言 甲骨文 言 字解
(甲骨文)

論語の本章では”ことば”。初出は甲骨文。字形は諸説あってはっきりしない。「口」+「辛」”ハリ・ナイフ”の組み合わせに見えるが、それがなぜ”ことば”へとつながるかは分からない。原義は”言葉・話”。甲骨文で原義と祭礼名の、金文で”宴会”(伯矩鼎・西周早期)の意があるという。詳細は論語語釈「言」を参照。

言葉を知らなければ、「無以知人也」=人を知ることが出来ない、との一節で論語は終わる。情報伝達手段としての言葉が無ければ人を知り得ないと言われると、当たり前のようであり、かつ物足りなさから、何か深い意味があるのかと考え込みたがるのは、やむを得ない。

古注『論語集解義疏』

註馬融曰聴言則别其是非也

古注 馬融
注釈。馬融「言葉を聞かない限り、その善し悪しは分からない。」

儒者
江熙曰不知言則不能賞言不能賞言則不能墨彼猶短綆不可測於深井故無以知人也
江熙「言葉を知らなければ、発言を吟味できない。だから発言者を批評できない。短いひもで、深井戸の深さを測れないのと同じだ。だから人が分からないのだ。」

新注『論語集注』

言之得失、可以知人之邪正。尹氏曰、「知斯三者、則君子之事備矣。弟子記此以終篇、得無意乎。學者少而讀之、老而不知一言為可用、不幾於侮聖言者乎。夫子之罪人也、可不念哉。」

朱子 新注 尹焞
言葉の善し悪しで、人の善し悪しが分かる。

トン「天命、礼、言葉を知る事が出来たなら、一人前の儒者と言っていい。孔子のお弟子はこの最後の言葉を記して、何も思わなかっただろうか。儒学を学ぶほどの者が、若くしてこの言葉を読んでおきながら、老いても実践できないようでは、尊い言葉を馬鹿にするようなものではないか。孔子先生が誰を罪有る者と思うか、考えないわけにはいかないだろうよ。」

以上の通り、儒者は考え込んだ挙げ句に、より一層もったいを付けて分けを分からなくしただけで、”言葉を知らないと人を知ることが出来ない”と説く本文に、新たな視点での解説を一切加えることが出来なかった。

孔子が言ったのはそのようなことではない。自然現象を統計を通して観察しないと「天命」が知り得なかったように、言葉に出来ない印象だけで、人の善し悪しは分からない、ということ。「言」が”明言”の意であるように、「あの人は○だ」とはっきり言えねばならない。

孔子 居直り
ウソツキは、その人の善し悪しが分からない。(論語為政篇22)

ブッダもイエスもムハンマドも、世界の大宗教の開祖は必ず「ウソつくな」と教えるが、人間についてもその情報にウソがあれば、真に受けると大変な目に遭う。悪党は大概よさげに見える。政治を詐術にしないためには、人を正しい言葉で知ることが、孔子一門には必要だった。

だからこそ、門閥貴族からも重んじられたのである。

筆頭家老家の一員、季子然がやってきた。
季子然「子路と冉有は、有能な仕事人ですかな。」

孔子「おやおや、人をお求めですか。有能な者は、有能だからこそ道理に従います。主君が無茶を言えば、辞めるでしょうよ。だからあれらはまあ、とりあえずのアタマかず揃えにはなるでしょうが。」

「ほほう、では優遇すれば、バリバリ働いてくれますかな。」
「いやいや、謀反を企むようなら、刃向かいますぞ。」(論語先進篇23)

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

論語の本章の史実性については、「也」の用法に目をつぶれば、史実の孔子の発言と解してよい。以上を以て、おおよそ後漢末に確立した現伝『論語』は終わる。なおこの堯曰篇は短いので、このサイトではこれ以降、付録として後世の儒者が付けた序文の類を、順次掲載する。
孔子 さらばじゃ

事象に対して誠実であり続ける努力。これが分からないと終世論語は分からない。

『戦争と平和』は描く。ペテルブルクの宮廷に干された老ボルコンスキー公は、広大な領地と私兵を持ちながら、毎日娘に三角法を教える事を日課とした。米国も中国もあまりに恵まれた国土を持ちながら、スプートニクを打ち上げたのもガガーリン少佐も、ロシア人だった。

それが分からないと、論語に何が書いてあるかは分からない。

『論語』堯曰篇:現代語訳・書き下し・原文
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