(検証・解説・余話の無い章は未改訂)
論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
堯曰、「咨、爾舜、天之曆數在爾躬、允執其中。四海困窮、天祿永終。」舜亦以命禹。
校訂
定州竹簡論語
……[四海困窮,天祿永終。「舜亦以命禹。曰:「予小子履敢用]598……
復元白文(論語時代での表記)
咨 舜 數 舜
※曆→厤・躬→身・困→(甲骨文)・窮→究。論語の本章は赤字が論語の時代に存在しない。舜は戦国時代になって孟子が創作した架空人物。堯の創作はそれよりさらに時代が下る。本章は戦国時代以降の儒者による創作である。
書き下し
堯曰く、咨、爾舜、天之曆數爾の躬に在り、允に其の中を執れ。四海困み窮まば、天の祿永へに終らむ。舜も亦以て禹に命る。
論語:現代日本語訳
逐語訳
堯が言った。「ああ、そなた舜よ。天の巡り合わせはそなたの身にある。まじめに物事の中心をしっかり握れ。世界が押し詰められ行き詰まって苦しむなら、天の恵みは永遠に終わる。」舜もまたこのようにして禹に命令した。
意訳
堯「チッチッチ。そなた舜よ。天界の巡り合わせにより、天下の大権がそなたの身に下った。心して世の中のバランスを取れ。そなたの政治が悪くて天下が苦しむようなら、永遠に天から見放されるぞ。」
こうして天下の権を譲られた舜は、自身もまた同じようにして、禹に天下の権を譲った。
従来訳
堯帝が天子*の位を舜帝に譲られたとき、いわれた。――
「ああ、汝、舜よ。天命今や汝の身に下って、ここに汝に帝位をゆずる。よく中道をふんで政を行え。もし天下万民を困窮せしめることがあれば、天の恵みは永久に汝の身を去るであろう。」
舜帝が夏の禹王に位を譲られるときにも、同じ言葉をもってせられた。下村湖人先生『現代訳論語』
*天子:この言葉が中国語に現れるのは西周早期で、殷の君主は自分から”天の子”などと図々しいことは言わなかった。詳細は論語述而篇34余話「周王朝の図々しさ」を参照。
現代中国での解釈例
堯說:「好啊!你這個舜。天命降臨到你的身上,讓你繼承帝位。如果天下都很窮困,你的帝位也就永遠結束了。」舜也這樣告誡過禹。
尭が言った。「よいか、なんじ舜よ。天の命がお前の身の上に下りたもうた。お前に帝位を譲って継がせる。もし天下がこぞって困窮すれば、お前の帝位もまたすぐさま永遠に終わるのだ。」舜もまたこのように禹に告げて戒めた。
論語:語釈
堯(ギョウ)
論語のみならず漢文では、太古の聖王とされる人物。『史記』などに記された伝説では、中国最古の王朝とされる夏より以前の人物で、初めて暦を作った技術的英雄として記録されている。しかし歴史的実在人物ではなく、架空の人物に過ぎない。
中国に漢字が現れるのは殷中期からで、それより以前の諸王は信用できるとしてもせいぜい数代前で、発掘された甲骨文からは、夏王朝開祖の禹についての記述や治水伝説は無い。従って甲骨文より時代が遡る諸王は、全て後世の創作。
「堯」(新字体:尭)の初出は甲骨文で、原義は高い山。派生義として、仰ぐように偉大な(人)の意。カールグレン上古音はŋioɡ(平)で、近音に「仰」ŋi̯aŋ(上)。つまりもともと「仰ぎ見るような偉い人」の意であり、個人名ではない。詳細は論語語釈「尭」を参照。
咨(シ)
(金文)
論語の本章では感動詞の”ああ”。論語では本章のみに登場。感嘆の舌打ちをあらわす擬声語。動詞としては、はかる。意見を並べ出して相談すること。初出は戦国中期の金文。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補も無い。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、次は、ざっと並べる意を含む。咨は「口+(音符)次」で、意見を並べそろえて、もみあうこと。中国では、よしあしどちらの場合にも舌打ちをする、という。詳細は論語語釈「咨」を参照。
爾
(金文)
論語の本章では二人称の”そなた”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は印章だが、印章はピタリと付けて押すことから、そばにピタリとつく者=二人称へと転用されたという。詳細は論語語釈「爾」を参照。
舜
論語のみならず漢文では、太古の聖王とされる人物。創作したのは孔子より一世紀後の孟子で、顧客だった斉王が、国を乗っ盗って間もない当時、その家格を上げるために、斉王の始祖としてでっち上げた。現在まで伝わる伝説は、およそ人間離れしていて実在とは思えない。
文字の初出は戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補も無い。戦国時代になってにわかに出現した文字であり、原義は何とも確定しがたい。はじめから聖王舜の名として創作されたと思われる。論語語釈「舜」を参照。
曆數
「暦」(古文)・「数」(金文)
論語の本章では”こよみの結果”。星の巡り合わせ、と言っても良い。伝統中国の暦は、太陽と月と、木星を観測して作製した。ゆえに木星を「太歳」という。「暦」は太陽の運行を、「数」は数珠つなぎに順序立てて行われる物事を意味する。
「暦」は論語では本章のみに登場。初出は後漢の説文解字。論語の時代に存在しない。部品で同音の「厤」を、『大漢和辞典』は『玉篇』を引いて「暦の古字」とする。『学研漢和大字典』によると、厤(レキ)は「禾を並べたさま+厂印(やね)」の会意文字で、順序よく次々と並べる意を含む。曆は「日+(音符)厤」の会意兼形声で、日を次々と順序よく配列すること。清(シン)代の乾隆帝の諱(イミナ)の弘暦をさけて、厯(レキ)と書くことがある、という。詳細は論語語釈「暦」を参照。
「數」(新字体:数)の初出は戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。音は複数あり、”かず・かぞえる”の意では同音の漢字が存在しない。部品の「婁」は”しばしば”の意味で「數に通ず」と『大漢和辞典』が言い、西周早期の金文から存在する。ただし本章には当てはまらない。詳細は論語語釈「数」を参照。
躬(キュウ)
(篆書)
論語の本章では人格を意味し、”身”。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。部品の身の字は近音とは言えないが、甲骨文から存在した。『学研漢和大字典』によると「身+(音符)弓(弓なりに曲がる)」の会意兼形声文字で、屈曲するからだ、という。詳細は論語語釈「躬」を参照。
允
論語の本章では”まじめに”。論語では本章のみに登場。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、「儿(人体)+柔らかくくねった形」の会意文字で、なごやかな姿をした人を示す、という。詳細は論語語釈「允」を参照。
執
(金文)
論語の本章では”手にしっかりと握る”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は、手枷をはめられた人を捕らえたさま。詳細は論語語釈「執」を参照。
允執其中(まことにそのなからをとれ)
「中」は物事の中心であり、”片寄りがないようにせよ”の意。藤堂本によると、『書経』大禹謨篇の「惟精惟一、允執厥中」(これ精、これ一、允に厥の中を執れ)は、この論語の文をまねたものという。北京紫禁城中和殿の玉座に、この額がかかっている。
四海
(金文)
論語の本章では”世界”。中国的世界観では、大地の東西南北に海が有り、それに囲まれた領域が世界で、中国はその真ん中にある唯一の文明国=中華で、中華の主権者である王や皇帝は、全世界の管理を天から任されたとされる。
「四」の初出は甲骨文。四本並べた算木の象形。現行の「四」は、『学研漢和大字典』によると、「囗+八印(分かれる)」の会意文字で、口から出た息が、ばらばらに分かれることをあらわす。分散した数。呬(キ)(ひっひと息を分散させて笑う)の原字。論語語釈「四」を参照。
「海」の初出は西周早期の金文。『学研漢和大字典』によると、「水+(音符)每」の形声文字で、暗い色のうみのこと。北方の中国人の知っていたのは、玄海・渤(ボツ)海などの暗い色の海だった、という。詳細は論語語釈「海」を参照。
困窮
(楚系戦国文字)
論語の本章では”苦しむ”。「困」は枠など制限を掛けられて苦しむこと、「窮」は行き詰まって苦しむこと。
「困」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、「囗(かこむ)+木」の会意文字で、木をかこいの中に押しこんで動かないように縛ったさまを示す。縛られて動きがとれないでこまること、という。詳細は論語語釈「困」を参照。
「窮」の初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。近音同訓「究」の初出は西周中期の金文。ただしという大変複雑な字形。『学研漢和大字典』によると、「穴(あな)+(音符)躬(キュウ)(かがむ、曲げる)」の会意兼形声文字で、曲がりくねって先がつかえた穴、という。詳細は論語語釈「窮」を参照。
天祿
(金文)
論語の本章では”天の恵み”。「祿」(禄)のへんは祭壇を意味し、つくりはこぼれ落ちる事を意味する。つまり祀られる天からこぼれ落ちるもの=天の恵みの意となる。酒を「天の美禄」と呼ぶのはここから来ている。
「天」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、大の字にたった人間の頭の上部の高く平らな部分を一印で示した指事文字で、もと、巓(テン)(いただき)と同じ。頭上高く広がる大空もテンという、という。詳細は論語語釈「天」を参照。
「禄」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、彔(ロク)は、刀でぽろぽろと竹や木を削るさまを描いた象形文字。小片が続いてこぼれおちるの意を含む。剥(ハク)の原字。祿は「示(祭壇)+〔音符〕彔」の会意兼形声文字で、神からのおこぼれ、おかみの手からこぼれおちた扶持米(フチマイ)などの意、という。詳細は論語語釈「禄」を参照。
永
(金文)
論語の本章では”永遠に”。論語では本章のみに登場。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、水流が細く支流にわかれて、どこまでもながくのびるさまを描いた象形文字で、屈曲して細くながく続く意を含み、時間のながく続く意に用いることが多い、という。詳細は論語語釈「永」を参照。
禹(ウ)
論語のみならず漢文では、古代の聖王とされる人物。中国最初の王朝とされる夏の開祖とされるが、夏王朝の時代には文字がなく、その遺跡ではないかと言われる場所はあっても、それが中国史上に言う夏王朝の遺跡と言える証拠はない。仮に夏王朝があったとしても、黄河流域の小さな拠点都市国家であって、広大な領域を統治した王朝とは言えず、つまりは禹も夏王朝も想像上の概念に過ぎない。
創作したのは孔子とすれ違うように春秋末から戦国初期を生きた墨子で、儒家と対抗するために、儒家が聖王とする周の文王・武王より古い聖王として創作した。墨家が土木技術者の集団であったことから、治水技術の開祖と位置づけた。
墨子の後で儒家を再興した孟子が、禹より古い王として舜を創作したのは、禹と同じ「古いことに価値がある」と信じる中国人の習性に従ったもの。
論語:付記
論語の本章は、荒唐無稽な絵空事ではあるが、中国文明に重大な意義を持っている。
「允に其の中らを執れ」は「中庸」と短く言い換えられて、『礼記』の中庸篇という解説書きを生み出した。だが何が中庸なのかは、儒者はもちろん孔子ですら知らなかった。後になって結果的によかった判断を中庸と言っただけであり、人は事前に中庸を知り得ない。
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言ったらしいが、量子論の立場に立つ物理学者は、「バクチの常習犯だ」という。政治的決断は常に、未来から責任を問われるが、誰がどうやってもダメな手はあっても、ダメでないと言える決断などただの一つも無い。
だが儒者≒官僚は、王朝や世間から中庸を知る者と期待された。だが儒者の誰一人、『中庸』を読んで中庸を知った者はいなかった。そこに記されたウンチクを語ることで、お茶を濁していただけだ。その代わり、思考停止して過去にならうのが中庸だとされた。
『中庸』の一節に言う。「仲尼、堯、舜を祖に述べ、文、武(王)に憲りて章せり。」つまり孔子もいにしえにならった、いにしえこそが正しいのだ、と理解された。これは文字さえ読めれば、どんなバカにも政治的決断が出来る道を開いた。そしてとにかく「新」を嫌った。
儒家が政界を独占するのは宋代になってからだが、宋帝国を最終的に滅ぼしたモンゴル帝国に仕えた、耶律楚材は言った。
常曰:「興一利不如除一害,生一事不如省一事。任尚以班超之言為平平耳,千古之下,自有定論。後之負譴者,方知吾言之不妄也。」
いつも言っていた。「利益のあることを一つ始めるより、害のあることを取り除く方がよい。何かを始めるよりも、済んだことを反省する方がよい。確かに”虎穴に入らずんば虎児を得ず”と班超は言ったが、ごく常識的な教訓には及ばず、太古の昔から、常識というのは変わらない。もし失敗を非難される者がいるなら、我が輩の言葉が嘘で無かったと知るだろうよ。」(『元史』耶律楚材伝)
班超の故事など、契丹知識人である楚材の漢籍の教養が伺えるが、中庸の概念はこのようなものだと、中国周辺諸国の学界・官界にまで理解されるに至った。あるいは、信じられないようなモンゴル帝国の勃興を見て、しょせん予知など出来るものか、と諦めたのだろう。
世界史上、モンゴル帝国に支配された地域は、それまで高度な文明を誇っていた地域でも、ほぼ例外なく野蛮化している。テムジンが敗戦で部衆のほとんどを失って泥水をすすったとき、平原でも中華でも、当時の君公の誰一人、後のチンギスハンを予測した者はいない。
政治家は自分が天秤の差配をしながら、自分もより大きな天秤の片方に乗っている。痛い目に遭ってそれを知ったとき、二度と変わったことをするものか、と決意する。ゆえに新たなことを始めるには、「託古改正」=昔にかこつけて過去にもあった、と言い張る必要が出来た。
結局「私は中庸を知りません」と、どの儒者官僚も言うことが出来なかった。そうした者が政治に携わったのだが、政治とは利益分配に他ならず、それはある者の利権を諦めさせることでもある。不利になる者は必死に抵抗するから、だから権力には暴カ装置が要るのだ。
ゆえに暴カ装置が働いている、あるいは不利が辛抱の範囲内にあるうちは、中国の王朝は倒れない。それはひとえに偶然で、儒者が中庸を知っているからではない。中庸の派生形に「等しからざるを憂う」があるが、儒者は自分の賄賂のためなら平気で不等を推し進めた。
それが積もり積もって、ある時庶民の辛抱の範囲を超える。そのような時かならず、王朝はシロアリ官僚に食い荒らされて財政危機に陥っており、潤沢な財政が無いと軍隊は維持できない。よって内乱は起こるは外寇はやられるはで、中国王朝は滅びることになる。
中国史に似たような事件ばかり繰り返し起こるのには、こうした事情が背景にある。だから中国の行方はある程度予知が可能で、金がある限りは政権は続く。戦争も仕掛ける。ただし中国にまともな統計は存在しないから、何かが起きる時期を知ることは難しい。
諸外国の対中貿易の合計から分かることもあるらしいが、それらも果たしてまともかどうか。
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