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論語詳解498A堯曰篇第二十(5)子張子に問う’

論語堯曰篇(5)要約:何事もやり過ぎの弟子、子張が孔子先生に政治の要点を尋ねます。ちゃんと帳簿を付けなさい、仕事そのものを愛しなさい、欲に目が眩んではいけない、威張り返ってはいけない、民を脅してはいけない、と孔子先生。

(検証・解説・余話の無い章は未改訂)

論語:原文・白文・書き下し

原文・白文

子張問*於孔子曰、「何如斯、可以從政矣。」子曰、「尊五美、屛四惡、斯可以從政矣。」子張曰、「何謂五美。」子曰、「君子惠而不費、勞而不怨、欲而不貪、泰而不驕、威而不猛。」
(次回に続く)

校訂

諸本

  • 武内本:清家本により、子張問の下に政の字を補う。

後漢熹平石経

…󱩾󱩾󱩾󱩾󱩾󱩾󱩾󱩾斯可…費勞而…不驕威而不猛

  • 「不」字:〔一八个〕。

定州竹簡論語

張問a於b子曰:「何如斯可以從正矣?」子曰:「[尊五美,屏]603惡,可c以從正矣。」子張曰:「何胃d五美?」子曰:「君子604……費,勞而不怨,欲而不貪,泰而不驕、威而不猛。」605

  1. 皇本、高麗本、”問”下有”政”字。
  2. 今本”於”下有”孔”字。
  3. 今本”可”前有”斯”字。
  4. 胃、今本作”謂”。胃借為謂。

→子張問於子曰、「何如斯、可以從正矣。」子曰、「尊五美、屛四惡、可以從正矣。」子張曰、「何胃五美。」子曰、「君子惠而不費、勞而不怨、欲而不貪、泰而不驕、威而不猛。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文張 金文大篆問 金文於 金文子 金文曰 金文 何 金文如 金文斯 金文可 金文㠯 以 金文従 金文正 金文矣 金文 子 金文曰 金文 尊 金文五 金文美 金文 平 金文四 金文亜 金文 斯 金文可 金文㠯 以 金文従 金文正 金文矣 金文 子 金文張 金文大篆曰 金文 何 金文胃 金文五 金文美 金文 子 金文曰 金文 君 金文子 金文恵 惠 金文而 金文不 金文弗 金文 労 金文而 金文不 金文夗 怨 金文 谷而 金文不 金文貪 甲骨文 大 金文而 金文不 金文喬 金文 威 金文而 金文不 金文孟 金文

※張→(金文大篆)・屛→平・惡→亞・費→弗・怨→夗・欲→谷・貪→(甲骨文)・泰→大・驕→喬・猛→孟。論語の本章は、「可以」は戦国中期にならないと確認できない。

書き下し

子張しちやう孔子こうしひていはく、何如いかなるかこれまつりごとしたがる。いはく、五なすきをたふとび、四なすしきをしりぞかば、これまつりごとしたがり。子張しちやういはく、なにをか五なすきとふ。いはく、君子もののふめぐつひえず、つかうらみず、もとむさぼらず、ゆたかにしおごらず、ありたけからず。

論語:現代日本語訳

逐語訳

子張が孔子に質問して言った。「政治に従うことの出来るものとは何ですか。」先生が言った。「五つの良い事を尊び、四つの悪いことを遠ざければ、それは政治に従うことが出来る。」子張が言った。「何を五つの良い事と言うのですか。」先生が言った。「君子は恵みを与えてすり減らない。苦労しても恨まない。求めても貪らない。余裕があっても威張らない。威厳があっても荒々しくない。」

意訳

子張 孔子 説教
子張「政治を執るのに必要な資質とは何でしょう。」
孔子「行うよう心掛けるべき事が五つ、避けるよう心掛けるべき事が四つだな。」

子張「行うべき五つとは?」
孔子「為政者は恵み深くあっても自分はすり減らないこと、天下万民のために働いて露ほども不平を言わないこと、貰う物は貰うが欲張りにならない事、自分が優位にあっても人を馬鹿にしないこと、侵し難い威厳はあっても乱暴者にならない事だ。」

従来訳

下村湖人

子張が先師にたずねていった。――
「どんな心がけであれば政治の任にあたることが出来ましょうか。」
先師がこたえられた。――
「五つの美を尊んで四つの悪をしりぞけることが出来たら、政治の任にあたることが出来るであろう。」
子張がたずねた。――
「五つの美というのは、どういうことでございましょう。」
先師がこたえられた。――
「君子は恩恵を施すのに費用をかけない。民に労役を課して怨まれない。欲することはあるが貪むさぼることはない。泰然としているが驕慢ではない。威厳はあるが猛々しくはない。これが五つの美だ。」

下村湖人先生『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子張問孔子:「怎樣才能從政呢?」孔子說:「尊五美,去四惡,就可以從政了。」子張說:「什麽是五美?」孔子說:「領導應該給群衆實惠而不浪費財政,讓群衆辛勤工作而無怨很,想經濟繁榮而不貪圖錢財,平易近人而不驕傲自大,威武嚴肅而不凶猛可怕。」

中国哲学書電子化計画

子張が孔子に問うた。「どうなったら、政治に携わることができますか?」孔子が言った。「五つの美を尊び、四つの悪を取り除くと、すぐにも政治に携わってよい。」子張が言った。「五つの美とは何ですか。」孔子が言った。「政治を指導するのに、群衆に実利があり、かつ浪費しない事、群衆に辛い役務を課しても、恨まれない事、金儲けに目が眩んで、財産を独り占めしようと考えないこと、素朴に人に接して、威張り返らないこと、立ち居振る舞いは厳かにしながら、凶暴でなく人に怖がられないようにすることが必要だ。

論語:語釈

() 、「 () 。」 、「 、() () 。」 、「 ( 。」 、「 。」


子張

子張

論語では孔子の若き弟子で、「何事もやり過ぎ」と評された、セン孫師子張のこと。

可以(カイ)

論語の本章では”~できる”。現代中国語でも同義で使われる助動詞「クーイー」。ただし出土史料は戦国中期以降の簡帛書(木や竹の簡、絹に記された文書)に限られ、論語の時代以前からは出土例が無い。春秋時代の漢語は一字一語が原則で、「可以」が存在した可能性は低い。ただし、「もって~すべし」と一字ごとに訓読すれば、一応春秋時代の漢語として通る。

先秦甲骨金文簡牘詞彙庫 可以

「先秦甲骨金文簡牘詞彙庫」

可 甲骨文 可 字解
「可」(甲骨文)

「可」の初出は甲骨文。字形は「口」+「屈曲したかぎ型」で、原義は”やっとものを言う”こと。甲骨文から”~できる”を表した。日本語の「よろし」にあたるが、可能”~できる”・勧誘”…のがよい”・当然”…すべきだ”・認定”…に値する”の語義もある。詳細は論語語釈「可」を参照。

以 甲骨文 以 字解
「以」(甲骨文)

「以」の初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、名詞(人名)、動詞”用いる”、接続詞”そして”の語義があったが、前置詞”~で”に用いる例は確認できない。ただしほとんどの前置詞の例は、”用いる”と動詞に解せば春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照。

政→正

『学研漢和大字典』によると、正とは、止(あし)が目標線の━印に向けてまっすぐ進むさまを示す会意文字。征(セイ)(まっすぐ進む)の原字。政は「攴(動詞の記号)+(音符)正」の会意兼形声文字でで、もと、まっすぐに整えること。のち、社会を整えるすべての仕事のこと。正・整(セイ)と同系のことば、という。詳細は論語語釈「政」を参照。

『定州竹簡論語』で「正」と書くが、すでにあった「政」の字を避けた理由は、おそらく秦帝国時代に、始皇帝のいみ名「政」を避けた名残。加えて”政治は正しくあるべきだ”という儒者の偽善も加わっているだろう。詳細は論語語釈「正」を参照。

何如斯、可以從政矣。

ここでの「斯」(これ)は指示詞=代名詞の一種だが、「これ」と指させるただ一つのものでなく、幅広い概念や環境、ものごとの程度を指す。つまり「何如斯」(何がそのような環境のようですか)と聞き、直後に「斯」の内容として「可以從政矣」(それを使って政治に関わる事が出来るもの)と問うている。

『学研漢和大字典』では「用例はきわめて少ない」とするが、論語での他の用例として、為政篇16を挙げている。

攻乎異端、斯害也已。
自分と違った意見を責めても、それは害があるだけだ。

詳細は論語語釈「斯」を参照。

屛(屏)

屛 古文
(古文)

論語の本章では”しりぞける”。初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しない。近音「平」に”鎮める”の語釈があり、論語時代の置換候補となる。論語語釈「平」を参照。

「屏」は『学研漢和大字典』による原義は、ついたてを立てて隠し、行き来を斥けること、という。詳細は論語語釈「屏」を参照。

論語の本章では”悪いこと”。新字体は「悪」。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。部品の「亞」(亜)は「悪と通ず」と『大漢和辞典』はいい、”みにくい”の語釈をのせる。詳細は論語語釈「悪」を参照。

謂→胃

論語の本章では”…と評価する”。同じ「いう」でも、そのものの性質について論評することを言う。現行書体の初出は春秋の石鼓文。同義で原字の「胃」の初出は春秋初期の金文。論語語釈「謂」論語語釈「胃」を参照。

論語の本章では”費用を費やす”。春秋時代には「弗」と書き分けられず、初出は春秋早期の金文。『学研漢和大字典』によると弗(フツ)は「豆のつる+ハ印(ふたつにわける)」の会意文字で、まとまった物を左と右にはらいわけること。拂(=払。はらう)の原字。費は「貝(財貨)+(音符)弗(フツ)」の会意兼形声文字で、財貨を支払って、ばらばらに分散させてしまうこと、という。詳細は論語語釈「費」を参照。

惠(恵)而不費

論語の本章では、”恩恵を与えてもすり減らない”。「費」は『学研漢和大字典』によると、貝=財貨を弗=払い分けること。価値あるものをばらまくこと。いかなる大金持ちだろうが、恵めばその分すり減るのは当然であり、つまりこの言葉は儒教的ファンタジーに読める。

それは例えば『仏説阿弥陀経』に描かれた、金銀宝玉でキンキラキンの極楽の様子を、現実として理解できないのと同じである。信者の脳内にキンキラキンの極楽が実在しないと、阿弥陀教は崩壊する。孔子はそんな無責任なことを言ったのだろうか?

又舍利弗 極樂國土 七重欄楯 七重羅網 七重行樹 皆是四寶 周帀圍繞 是故彼國 名曰極樂。
大仏
(仏は説かれた。)またサーリプッタよ、極楽の国土には、七重の手すり、七重の薄網、七重の並木があって、これらはみな金銀宝玉で、国土をぐるりと取り巻いている。それゆえにこの国を、名付けて極楽というのだ。(『仏説阿弥陀経』)

これは孔子の教説に関わっている。孔子は血統貴族に代わり、教育を受けた新興士族が為政者になる事を主張した。そのために行った教育の一つに「数」があり、計量や簿記を教えた。昭和の土建屋おやじが、帳簿を付けないで倒産するようなことをするな、と言ったのだ。

論語における「君子」はこうしたテクノクラートを指す。詳細は論語にける「君子」を参照。

夗 怨 字解

論語の本章では”うらみ”。この文字の初出は戦国文字で、論語の時代に存在しないが、同音の夗を用いて夗心と二文字で書かれた可能性がある。『学研漢和大字典』によると、上部の字(音エン)は、人が二人からだを曲げて小さくまるくかがんださま。怨はそれを音符とし、心を加えた会意兼形声文字で、心が押し曲げられてかがんだ感じ。いじめられて発散できない残念な気持ちのこと、という。詳細は論語語釈「怨」を参照。
アルファー 怨 字解

勞而不怨

論語の本章では”一生懸命働いても怨みに思わない”。従来訳や現代中国での解釈は、”民に労役を課しても怨まれない”だが、「勞」(労)も怨も、主語が直前の「君子惠而不費」から変更された記号がないので、ともに主語は「君子」とすべき。そう読まないのは古注儒者の猿真似。

古注『論語集解義疏』

云勞而不怨者二也君使民勞苦而民其心無怨故云勞而不怨也

論語義疏
皇侃「”労しめて怨ましめず”が五美の二番目である。民に辛い労役を課しても怨まれないので、”労しめて怨ましめず”というのである。」

なお朱子の新注はこの部分の解釈について、何も言っていない。古注の言う通りに書いている論語の「現代語訳」の書き手は、同じ「勞而不怨」が論語里仁篇18にあり、そこの注では”奉仕して怨んではいけない”と皇侃がヌケヌケと言っているのを、どう考えているのだろう。

云勞而不怨者若諫又不從或至十至百則已不敢辭已之勞以怨於親也故禮記云雖撻之流血不敢疾怨是也

古注 皇侃
皇侃「”勞而不怨”とは、老いた親に注意して、十度でも百度でもなお聞かれなくとも、子たる者は奉仕を止めてはならないということである。ゆえに『礼記』にいわく、”鞭打たれるような流血沙汰があろうと、決して怨んではならない”と。」

ひどい目に遭えば怨むのが人の性で、怨まないように見える人こそ、陰険で危険極まりない人物だという当たり前の事実を分からないようでは、論語を正しく読めない。このような偽善と奴隷根性が、後漢帝国の遺産であったことについては、論語解説「後漢というふざけた帝国」を参照。

論語の本章では”求める”。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しないが、金文では原字の「谷」を用いる。『学研漢和大字典』によると、谷は「ハ型に流れ出る形+口(あな)」の会意文字で、穴があいた意を含む。欲は「欠(からだをかがめたさま)+(音符)谷」の会意兼形声文字で、心中に空虚な穴があり、腹がへってからだがかがむことを示す。空虚な不満があり、それをうめたい気持ちのこと、という。詳細は論語語釈「欲」を参照。

初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しないが、大・太が語義を共有する場合にのみ、論語時代の置換候補になりうる。詳細は論語語釈「泰」を参照。

驕(キョウ)

驕 睡虎地秦墓竹簡 驕
(秦系戦国文字)

論語の本章では、”おごり高ぶる”。初出は戦国文字だが、同音部品に「喬」があり、”たかぶる”の語義がある。詳細は論語語釈「驕」を参照。

論語の本章では”凶暴な”。初出は戦国文字。同音異調の「孟」に”大きい”・”猛々しい”の語釈を『大漢和辞典』が載せ、初出は殷代末期の金文。

『学研漢和大字典』によると、孟は「子+皿(ふたをしたさら)」の会意文字で、ふたをして押さえたのをはねのけて、どんどん成長することを示す。猛は「犬+(音符)孟」の会意兼形声文字で、押さえをきかずにいきりたって出る犬。はげしく外へ発散しようとする勢いを意味する、という。詳細は論語語釈「猛」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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カーラ 能吏

論語の本章は、定州竹簡論語に損傷が少ない。文字の上に付けた「•」印は、ふだの綴じ跡が確認できて、その文字が簡の先頭、あるいは末尾であるのが確認できるという記号。今仮に文字を横書きにして元の簡を想像すれば次の通り。

張問於子曰何如斯可以從正矣子曰尊五美屏簡603号(文字数20字)

惡可以從正矣子張曰何胃五美子曰君子……簡604号(文字数18字)

費勞而不怨欲而不貪泰而不驕威而不猛……簡605号(文字数18字)

曰何謂惠而不費子曰因民之所利而利之不亦簡606号(文字数19字)

而不費乎擇可勞而勞之有誰怨欲仁而得仁……簡607号(文字数19字)

従っておそらく「惠而」は簡604号の後ろに付き、604号の総字数は20字だったろう。605号と606号の間には「子張」が抜けているから、一字ずつわけあって文字数は19字と20字だっただろう。定州竹簡論語の「紹介」には、簡1枚の字数は19-21字という。

次の論語の本章、この部分の史実性についてだが、「五美四悪」という概念が、戦国時代に引用されていないのが気に掛かる。

孟子 董仲舒
「労而不怨」は『孟子』に見えるが、同じ句がある論語里仁篇18の引用である公算が高い。「恵而不費」「欲而不貪」「泰而不驕」「威而不猛」は前漢になるまで再出しない。とりわけ「欲而不貪」は董仲舒という、極めていかがわしい男が論語以外の初出。

董仲舒についてより詳しくは、論語公冶長篇24余話を参照。おそらく論語の本章は、なにがしか子張と孔子の対話を伝えるものではあっても、現伝の通り整理されたのは前漢になってからだろう。

『論語』堯曰篇:現代語訳・書き下し・原文
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