論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文・白文
子曰、「當仁、不讓於師。」
書き下し
子曰く、仁に當りては、師於も讓らざれ。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
先生が言った。「まさに貴族にかなった行為なら、師匠にも譲歩するな。」
意訳
それが立派な貴族にふさわしいという確信があるなら、私がどう言おうと従わずに貫け。
従来訳
先師がいわれた。――
「仁の道にかけては、先生にも譲る必要はない。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
當(当)
(金文)
論語の本章では、”まさに~については”。「当」の字は再読文字として「まさに~すべし」と読む場合があるように、まぎれもなくそれだ、ぴったりだ、の意。ここから、”もし~ならば”の意味が派生する。”まさにそれなら、そのときは”の意。
『学研漢和大字典』によると形声文字で、「田+(音符)尚(ショウ)」。尚は、窓から空気のたちのぼるさまで、上と同系。ここでは単なる音符にすぎない。當は、田畑の売買や替え地をする際、それに相当する他の地の面積をぴたりと引きあてて、取り引きをすること。
また、該当する(わく組みがぴったりあてはまる)意から、当然そうなるはずであるという気持ちをあらわすことばとなった。擋(トウ)(面をおしあててはばむ)・賞(それに相当する礼を払う)・傷(面をぶちあてこわす)などと同系のことば。
類義語の直は、ちょうどその番になる。抵は、値うちがそれに相当する、という。
仁
(金文)
論語における教説の中心概念。孔子の生前は”貴族らしさ”を意味する。この概念は、孔子が社会の底辺からはい上がってくる過程で、過去の記録を読み、それぞれ別の人物の望ましい点を、切り貼りしてこしらえた理想像。思春期の人間が思い描く、理想の異性のようなもの。
しかしそれでは教説にはならず、弟子に教えようもないので、仁者のスペックを孔子は語った。それが礼。しかし文字に書き起こした条文集ではなく、孔子がそのたびごとに思いついたことを話していた。従って仁の真の定義は、孔子にしか分からないことになる。
孔子没後は、一世紀を経て孟子が現れ、「仁」を「仁義」として戦国諸侯に売り出した。その大まかな意味は”常時無差別の愛”。売り出しごとのキャッチコピーだから、相手次第で意味が変わるので、大まかな意味しか分からない。現伝の儒教はこの解釈だが、孔子生前とはまるで違う。
詳細は論語における「仁」を参照。
讓(譲)
(金文大篆)
論語の本章では、”ゆずる”。その否定「不譲」で”自分の意志や行動を貫く”。この文字は秦帝国期の金文大篆が初出で、論語の時代には恐らく「襄」(のぼる・たすける)と書かれたと考えられる。詳細は論語語釈「譲」を参照。
師
(金文)
論語の本章では”師匠”すなわち孔子。
論語:解説・付記
論語の本章で、”それが仁なら私が止めてもやれ”と言った孔子だが、弟子の子路があるまちの代官だった時、自分の俸禄をはたいて労役に駆り出された民に給食を出したら、礼法破りだと言って止めさせた、という伝説が『韓非子』やそのコピペ『孔子家語』に収録されている。
怒り狂った子路が「これは仁ですぞ!」と食ってかかると、孔子は「民は殿様の領民で、お前ごときが可愛がってはならない」という。史実かどうか分かりかねるが、儒者の二枚舌は孔子も同じだったと、当時の人が思っていた証拠だろう。孔子も自分の二枚舌を気にしなかった。
晋国が法を公開した時、孔子は口を極めてののしっているが(『左伝』)、同じく法を公開した鄭の子産を、口を極めて褒めちぎっている(論語公冶長篇15)。仁や礼についても同様で、その時の気分によって孔子も言うことが違う。これは相手に合わせて教えたのが理由の一つ。
しかしつまるところ、解釈権の独占だ。
この背景には中国人はインテリだろうと、概して抽象的思考や客観性の確保が苦手なことにある。これは論語の時代もそうだったし、現在でも変わらない。現世利益の飽くなき追求が、そうした機能を眠らせてしまうのだろう。従って哀れなほどに、数理的理解の中央値は低い。
ところが中国の恐ろしいところは、最高値は他の文明圏と変わらないことだ。何せ人口が多いからだ。中国人はゼロは発見できなかったが、位取り表記は文字の出現と同時に発明した。地動説は発見できなかったが、論語の時代にすでに1年が365+1/4日だと分かっていた。
つまり全天を365+1/4度に分けて観測できるだけの、数学と観測機器作成技術が揃っていたことになる。唐の時代、インドの数字と天文学が中国に入ってきたが、「実用的でないし、おかしな文字を使う必要もない」と『新唐書』はこき下ろしている(銭宝琮『中国数学史』)。
そして数学書では、インド数字の部分は伏せ字。汚らわしいとでも思ったのだろうか。
『新唐書』を書いたのは宋代の儒者で、宋代は後漢とは違った意味で儒者の高慢ちきが最高潮だった時代でもある。後漢は偽善とごますりの時代だが、宋代は中国なりの合理主義が芽生えた時代でもある。しかしその合理主義はあっという間に黒魔術化して、迷信同然になった。
やはり中国人に客観性は受け付けがたいのだろう。数理に気付いた人がいても、膨大な数理わからん人の手で主観主義に引き戻されてしまう。主観主義とは、正しさの基準を自分の好悪だけに置き、自分以外の何かにゆだねないことだ。だから法治は根付かなかったし、今も同じ。
論語に話を戻せば、孔子もまたそうで、全人類の中で自分だけが正しいと信じて疑わない。論語を「インディアンの酋長のおしゃべり」とマックス・ウェーバーが評したのも無理からぬ事だ。論語に潜むそうした危うさを理解しないで読もうとすると、読み誤ることになるだろう。