論語詳解406衛霊公篇第十五(28)衆これを憎むも

論語衛霊公篇(28)要約:人気者や嫌われ者は、世間がその判断を下します。しかし孔子先生は世間の評判を、全く当てにしていませんでした。見る目のある者が見なければ、人は分かるものではないよと。超人の先生だからこそ言える言葉。

論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文・白文

子曰、「衆惡之必察焉、衆好之必察焉。」

書き下し

いはく、しうこれにくむもかならまもたれしうこれよみするもかならまもたれ

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 キメ
先生が言った。「大勢の人が憎む者も、必ず自分で見て判断せよ。大勢の人が好む者も、必ず自分で見て判断せよ。」

意訳

「こいつは悪党です」と大勢が言う。当てにならないぞ。
「この人いい人です」と大勢が言う。自分の目で見るまで信用できないぞ。

従来訳

論語 下村湖人

先師がいわれた。――
「多数の人が悪いといっても、必ず自分でその真相をしらべてみるがいい。多数の人がいいといっても、必ず自分でその真相をしらべてみるがいい。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

論語 衆 金文
(金文)

論語の本章では、”人々”。

惡(悪)

論語 悪 金文大篆
(金文)

論語の本章では、”憎む”。『学研漢和大字典』によると地面にへこみをつくり、そこに押し込められるような不快感を言う。

論語 之 金文
(甲骨文・金文)

論語の本章では、直前が動詞であることを示す記号で、意味内容を持っていない。ちゃんと意味内容を持っている「焉」や「矣」を置き字として読まないのなら、むしろこのような記号こそ、読まない方がいいのでは無かろうか。詳細は論語語釈「之」を参照。

察 金文
(金文)

論語の本章では、”自分の目で見て判断する”。詳細は論語語釈「察」を参照。

焉(エン)

論語 焉 金文 論語 焉 篆書
(金文・篆書)

論語の本章では、”きっと~せよ”。詳細は論語語釈「焉」を参照。

『学研漢和大字典』によると句頭に用いられた場合は「いずくに」と読む疑問辞だが、句末に用いられた場合の語法は以下の通り。

  1. 文末において訓読せずに、「~なのだ」「~にちがいない」と訳す。語調を整え、断定の語気を示す助詞。▽「矣」と同じ用法だが、矣ほど断定の程度が強くない。「有君子之道四焉=君子の道四つ有り」〈君子の道を四つそなえていたのだ〉〔論語・公冶長〕
  2. 「や」「か」とよみ、「~か」「~であろか」と訳す。疑問・反語の意を示す助詞。「雖褐寛博、吾不惴焉=褐寛博(かつかんばく)と雖(いへど)も、吾惴(おそ)れざらんや」〈だぶだぶの粗末な服を着た卑しい者であっても、恐れずにいられようか〉〔孟子・公上〕

論語 好 金文
(金文)

論語の本章では”好む”。

論語:解説・付記

孔子は世間の評判を、ほとんど当てにしなかった。本章とほぼ同じ言葉が論語にはある。

論語 子貢 論語 孔子
子貢「ある村です。”この人ですこの人です、この人いい人です”とみなが言います。」
孔子「それだけじゃ分からんよ。」
子貢「別の村です。”こいつですこいつです、こいつ悪党です”とみなが言います。」
孔子「それだけじゃ分からんよ。ただ有能か無能かは分かる。大勢が言おうと、人の人格は決まらないよ。」(論語子路篇24)

人々が褒めそやす、有名人も評価していない。

論語 孔子 切手
人気者はその場の他人の作り笑顔を、いつまでも続く自分への好意と勘違いして、行動を誤る者だ。だからずっと自分は人気者のままでいられると思っている。人気なんて、そんなの長続きしないのにな。(論語顔淵篇20)

これは同時に、自分や一門が世間からどう評価されるかを、さほど気にしなかったことを意味する。それゆえに、魯国政権の中枢にいた五十代前半、根城を壊して貴族の支持を失い、風俗を厳格に取り締まって庶民の支持を失った。その結果魯国を追い出されることになった。

孔子が論語で説いた君子は、徳=自分の機能を高めているから、世間の評判から超然としていられた。その割には孔子も弟子たちも「人に知られない」ことを愚痴る矛盾はあるものの、君子でない者の判断力を、全く信用していなかったことには変わりがない。

この点論語には、一見矛盾がある。

論語 孔子 キメ
唯〻ただ上知じやうち下愚かぐとはうつらず。
賢者も愚人も極みに至ると、もう別者にはなりようがない。(論語陽貨篇3)

と言いつつも、孔子は次のようにも言った。

論語 孔子 楽
教えあり、たぐい無し。
教育すれば誰でもまともになる。(論語衛霊公篇38)

この矛盾を解決するには、下愚とは教育も受け付けないような愚かさを言うのだろう。そして少なからぬ人が教育を受け付けないこと、論語の時代も現代も変わりはない。ただし受け付けないのにも色合いに階調があり、どんな教育にも耐える人間などこの世には居ない。

全く受け付けない者もおらず、居たら生きていけないだろう。この点、孔子は自身を知の点で論語の時代における頂点に立っていると思っており、上から目線に見える発言を平気で行った。それは終生学びをやめなかった事実の裏打ちがあり、微塵も疑っていなかった。

つまり孔子は異常人で、論語はその異常人の語録に他ならない。超人と言っても同じ事だ。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。覚悟致せ。

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