論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
子曰、「衆惡之必察焉、衆好之必察焉。」
校訂
定州竹簡論語
子曰:「衆好之,必察焉,從惡之,[必察焉a]。」442
- 衆好之必察焉從惡之必察焉、今本作”衆惡之必察焉衆好之必察焉”。『潜夫論』、『風俗通義』引”衆好”句在”衆惡”前、『唐石経』”衆惡”在上、『風俗通義』”好”作”善”。
→子曰、「衆好之必察焉、衆惡之必察焉。」
復元白文(論語時代での表記)
※焉→安・惡→亞。論語の本章は、「之」の用法に疑問がある。
書き下し
子曰く、衆之好するも必ず察り焉、衆之惡むも必ず察り焉。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「大勢の人が取り立てて好む者も、必ず自分で見て判断せよ。大勢の人が取り立てて憎む者も、必ず自分で見て判断せよ。」
意訳
わあわあと、「この人いい人です」と大勢が言う。当てにならないぞ。
わあわあと、「こいつは悪党です」と大勢が言う。自分の目で見るまで信用できないぞ。
従来訳
先師がいわれた。――
「多数の人が悪いといっても、必ず自分でその真相をしらべてみるがいい。多数の人がいいといっても、必ず自分でその真相をしらべてみるがいい。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「衆人厭惡的,必須仔細觀察;衆人喜歡的,必須仔細觀察。」
孔子が言った。「人々が嫌悪するものは、必ず詳しく観察する必要がある。人々が愛好するものは、必ず詳しく観察する必要がある。」
論語:語釈
眾(シュウ)
(甲骨文)
論語の本章では”大勢の人”。「眾」「衆」は異体字。初出は甲骨文。字形は「囗」”都市国家”、または「日」+「人」三つ。都市国家や太陽神を祭る神殿に隷属した人々を意味する。論語の時代では、人々一般を意味した可能性がある。詳細は論語語釈「衆」を参照。
好(コウ)
(甲骨文)
論語の本章では”好む”。初出は甲骨文。字形は「子」+「母」で、原義は母親が子供を可愛がるさま。春秋時代以前に、すでに”よい”・”好む”・”親しむ”・”先祖への奉仕”の語義があった。詳細は論語語釈「好」を参照。
『学研漢和大字典』によると、このむ(動詞)は去声、よい(形容詞)は上声に読む、という。
之(シ)
(甲骨文)
論語の本章では、”まさに”。初出は甲骨文。原義は進むことで、本章のような副詞や、”…の”のような助詞の用法は、戦国時代にならないと現れない。”これ”という指示代名詞に用いるのは、音を借りた仮借文字だが、甲骨文から用例がある。”…の”の語義は、春秋早期の金文に用例がある。詳細は論語語釈「之」を参照。
直前が動詞であることを示す記号で、意味内容を持っていない。つまり動詞の目的語にならない。従って「これを」の訓読は誤り。ちゃんと意味内容を持っている「焉」や「矣」を置き字として読まないのなら、むしろこのような記号こそ、読まない方がいいのではなかろうか。
察
(金文)
論語の本章では、”自分の目で見て判断する”。初出は西周末期の金文。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、祭の原字は「肉+手+清めの水のたれる姿」の会意文字。のち示印が加わった。お供えの肉をすみずみまで清めることを示す。察は「宀(いえ)+〔音符〕祭」で、家のすみずみまで、曇りなく清めること。転じて、曇りなく目をきかす意に用いる、という。詳細は論語語釈「察」を参照。
焉(エン)
(金文・篆書)
論語の本章では、”きっと~せよ”。初出は戦国時代末期の金文。論語の時代に存在しない。『学研漢和大字典』によると安・anと焉・ɪanとは似た発音であるので、ともに「いずれ」「いずこ」を意味する疑問副詞に当てて用い、また「ここ」を意味する指示詞にも用いる、という。詳細は論語語釈「焉」を参照。
また『学研漢和大字典』によると句頭に用いられた場合は「いずくに」と読む疑問辞だが、句末に用いられた場合の語法は以下の通り。
- 文末において訓読せずに、「~なのだ」「~にちがいない」と訳す。語調を整え、断定の語気を示す助詞。▽「矣」と同じ用法だが、矣ほど断定の程度が強くない。「有君子之道四焉=君子の道四つ有り」〈君子の道を四つそなえていたのだ〉〔論語・公冶長〕
- 「や」「か」とよみ、「~か」「~であろか」と訳す。疑問・反語の意を示す助詞。「雖褐寛博、吾不惴焉=褐寛博(かつかんばく)と雖(いへど)も、吾惴(おそ)れざらんや」〈だぶだぶの粗末な服を着た卑しい者であっても、恐れずにいられようか〉〔孟子・公上〕
惡/悪
(金文大篆)
論語の本章では、”憎む”。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。”にくむ”の場合、同音は存在しない。『字通』によると亜は悪に通じ、醜悪の意がある、という。
『学研漢和大字典』によると地面にへこみをつくり、そこに押し込められるような不快感を言う、という。詳細は論語語釈「悪」を参照。
論語:付記
孔子は世間の評判を、ほとんど当てにしなかった。本章とほぼ同じ言葉が論語にはある。
子貢「ある村です。”この人ですこの人です、この人いい人です”とみなが言います。」
孔子「それだけじゃ分からんよ。」
子貢「別の村です。”こいつですこいつです、こいつ悪党です”とみなが言います。」
孔子「それだけじゃ分からんよ。ただ有能か無能かは分かる。大勢が言おうと、人の人格は決まらないよ。」(論語子路篇24)
人々が褒めそやす、有名人も評価していない。
人気者はその場の他人の作り笑顔を、いつまでも続く自分への好意と勘違いして、行動を誤る者だ。だからずっと自分は人気者のままでいられると思っている。人気なんて、そんなの長続きしないのにな。(論語顔淵篇20)
これは同時に、自分や一門が世間からどう評価されるかを、さほど気にしなかったことを意味する。それゆえに、魯国政権の中枢にいた五十代前半、根城を壊して貴族の支持を失い、風俗を厳格に取り締まって庶民の支持を失った。その結果魯国を追い出されることになった。
孔子が論語で説いた君子は、徳=自分の機能を高めているから、世間の評判から超然としていられた。その割には孔子も弟子たちも「人に知られない」ことを愚痴る矛盾はあるものの、君子でない者の判断力を、全く信用していなかったことには変わりがない。
この点論語には、一見矛盾がある。
と言いつつも、孔子は次のようにも言った。
この矛盾を解決するには、下愚とは教育も受け付けないような愚かさを言うのだろう。そして少なからぬ人が教育を受け付けないこと、論語の時代も現代も変わりはない。ただし受け付けないのにも色合いに階調があり、どんな教育にも耐える人間などこの世には居ない。
生まれつき賢い者は上等だが、普通は学んで知識を得る。それはまあ、悪くない。必要に迫られて学ぶ者も、劣りはするがまだよろしい。だがこの期に及んで学ばない者は、全くもって最低だ。(論語季氏篇12)
全く受け付けない者もおらず、居たら生きていけないだろう。この点、孔子は自身を知の点で論語の時代における頂点に立っていると思っており、上から目線に見える発言を平気で行った。それは終生学びをやめなかった事実の裏打ちがあり、微塵も疑っていなかった。
つまり孔子は異常人で、論語はその異常人の語録に他ならない。超人と言っても同じ事だ。
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