論語360憲問篇第十四(28)君子は思いその位を

論語憲問篇(28)要約:うすのろ曽子くん、鼻を垂らして本心を暴露、と思いきや、前章と合わせて本章は、キャンキャン吠えつく曽子派を、子貢派が叩き潰すための宣伝でした。孔子先生が生きていたら、どんな風に思ったことか…。

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

曾子曰、「君子思不出其位。」

書き下し

曾子そうしいはく、君子くんしおもくらゐでず。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 曽子
曽子が言った。「君子が考える事はその身の程を出ない。」

意訳

論語 曽子 ウスノロ
私はウスノロですから、分相応のことしか考えられません。

従来訳

曾先生がいわれた。――
「君子は自分の本分をこえたことは考えないものである。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

曾(曽)子

論語 曽 金文 論語 子 金文
(金文)

孔子から「うすのろ」と評された弟子。後世になって神格化された。詳細は論語の人物:曽参子輿を参照。

君子

論語 君 金文 論語 子 金文
(金文)

論語の本章では、平民に対する”貴族”。

論語では多くの場合、”諸君”という呼びかけに解されるが、その場合の発言者は孔子であり、あきらかに弟子に対して話していると思われるので、呼びかけと解される。しかし曽子の場合は個人的つぶやきの可能性の方がむしろ高く、”諸君”と解さねばならないような理由がない。

論語 思 金文大篆
(金文)

論語の本章では”考えの及ぶ範囲”。

『学研漢和大字典』によると会意文字で、囟(シン)(ひよめき)は、幼児の頭に泉門(空門)のある姿。俗にいうおどりこのこと。思は「囟(あたま)+心(心臓)」で、おもうという働きが頭脳と心臓を中心として行われることを示す。小さいすきまを通して、ひくひくとこまかく動く意を含む。鰓(シ)・(サイ)(ひくひくする魚のえら)・崽(サイ)(小さい)と同系のことば、という。

論語 位 篆書
(篆書)

論語の本章では、”身の程”。『大漢和辞典』によると、くらい。位す。相似る。たつ。畫(かぎる)と同じ。人の数を示す敬語。姓。

『学研漢和大字典』によると会意文字で、立は、人が両足で地上にしっかりたつ姿。位は「立+人」で、人がある位置にしっかりたつさまを示す。もと、円座のこと。まるい座席にすわり、または円陣をなして並び、所定のポストを占めるの意を含む。また、のち広く、ポストや定位置などの意に用いられるようになった。囲(イ)(まるくかこむ)・胃(まるくかこんだ胃袋)などと同系のことば、という。

詳細な語釈は論語語釈「位」を参照。

論語:解説・付記

論語の本章を、従来訳の注には「古註では、前章と合して一章となつている。」という。実際そうなっている。

子曰不在其位不謀其政曾子曰君子思不出其位註孔安國曰不越其職也疏子曰至其位 云子曰云云者誡人各專己職不得濫謀圖他人之政也云曾子曰云云者君子思慮當已分內不得出己之外而思他人事思於分外徒勞不可得袁氏曰不求分(『論語集觧義疏』)

二つ合わせた現代語訳はこうなる。

孔子「人の仕事にちょっかい出すな。」
曽子「はい。私はうすのろですから、分不相応なことは考えられません。」

この憲問篇を含む論語の後半は、曽子一派と対立した子貢一派の影響が強いと繰り返したが、二章合わせて、これは曽子に対する痛烈な罵倒と言える。曽子一派は安全な魯国に止まって、論語の前半に繰り返しあったように、子貢一派の政治工作にケチを付けて回った。

本章はそれに対する、「●゛カは黙っていろ」という子貢の怒りが表れたもので、ウスノロと孔子に評された曽子が(論語先進篇17)、孔子没後に子貢一派に対してどれだけ手ひどい罵倒を投げ付けたかを証明している。なぜなら子貢たちには、曽子を批判する理由がないからだ。

金持ちケンカせずと言う通り、すでに政治的地位も財産もある子貢は、子を亡くした子夏を罵倒したように人柄も悪く、魯鈍で無位無冠で物乞いをして回る曽子など、無視してもかまわない。加えて孔子が没した当時、儒家の本流は子貢派と見なされていた(『史記』貨殖列伝)。

そもそも孔子が天下に有名になったのも、子貢から始まったことである。

これに困ったのが曽子と有若の一派。仕官するにも子貢派の者ばかりが選ばれたことだろう。しかし曽子派は、孔子の孫というご本尊をかかえていた。そこで子貢派をおとしめる一大キャンペーンとして、彼らの編纂になる原・論語を作り始めた。子貢は頭に来ただろう。

と言うより、地位も財産もある子貢が、わざわざ別の原・論語を編纂せざるを得なくなったのは、元はと言えば曽子にふっかけられた喧嘩だった。もとより孔子を尊崇すること弟子の誰よりも篤かった子貢が、独自に孔子の言行録をまとめていた可能性は高い。

しかしそれが、論語の前半と後半で山彦のように、悪口合戦になった経緯は上記の通りで、のちに学派としての子貢派が消えてしまったように、もともと学者業に大して価値を見いださなかった子貢も、対抗上別の原・論語を編纂し、曽子に反駁せざるを得なかったわけ。

従って論語の本章は、曽子がある時しおらしいことを言ったのを子貢派の誰かが覚えていて、こき下ろすタネに使ったわけ。こういうのを漢文で断章取義と言うが、のちの儒者がありがたがったように、「君子とは分相応の事のみ言う者である。オホン。」との説教ではない。

どうありがたがったか?

此艮卦之象辭也。曾子蓋嘗稱之,記者因上章之語而類記之也。范氏曰:「物各止其所,而天下之理得矣。故君子所思不出其位,而君臣、上下、大小,皆得其職也。」(『論語集注』)
朱子「これは易のゴンの卦を説明したのである。たぶんいつの日か曽子が易を説明したのを、論語の編者が覚えていて、前章の説明のために入れたのである。」
范祖禹「物にはおのおのふさわしい場所というものがある。そのように整えて初めて、天下のことわりが分かるというものである。だから君子は分不相応なことを思わず、君臣・身分の上下・年齢の大小は、それにふさわしい場所を得るのである。」

易の艮とはの形。象徴するものとしては山、頂から二筋の尾根と間の谷、北東うしとら。「性止まる」とされる。だから「分相応」につながる。だが曽子の頭脳で易が分かるとは思えない。朱子とその引き立て役の話はヲタ話であり、まともな人間にはヨタ話に過ぎない。

しかし朱子にとって曽子は自派閥の開祖。尊崇しないわけにいかなかったのだ。

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