論語:原文・書き下し
原文
子曰、「不在其位、不謀其政。」
*論語泰伯篇14と重複。
復元白文(論語時代での表記)
書き下し
子曰く、其の位に在らざらば、其の政を謀らず。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「その職分に居ないのなら、その仕事を考えるな。」
意訳
自分の仕事に専念し、人の仕事に口出しするな。
従来訳
先師がいわれた。――
「その地位にいなくて、みだりにその職務のことに口出しすべきではない。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「不在那個職位,就不要考慮那個職位上的事。」
孔子が言った。「ある職責になければ、決してその職分のことを考えてはならない。」
論語:語釈
在
(金文)
現伝論語の本章では、”ある仕事を担当する”。『学研漢和大字典』による原義は、川をせき止めるせき。詳細は論語語釈「在」を参照。
位
(金文)
論語の本章では、”職分”。『学研漢和大字典』による原義は、人の立ち位置。詳細は論語語釈「位」を参照。
謀(ボウ)
(金文)
論語の本章では、”たくらむ”。初出は西周早期の金文で、ごんべんが付いていない。「謀反」の「ム」の読みは呉音。原義は諸説あってはっきりしないが、初出の金文は”たくらむ”と解釈されており、論語の時代までには否定辞の語義が加わった。だが”ウメ”・”なにがし”の語義は、戦国時代の竹簡まで時代が下る。詳細は論語語釈「謀」を参照。
政
(金文)
論語の本章では、”仕事の詳細・事務処理”。
『学研漢和大字典』によると、正とは、止(あし)が目標線の━印に向けてまっすぐ進むさまを示す会意文字。征(セイ)(まっすぐ進む)の原字。政は「攴(動詞の記号)+(音符)正」の会意兼形声文字でで、もと、まっすぐに整えること。のち、社会を整えるすべての仕事のこと。正・整(セイ)と同系のことば、という。詳細は論語語釈「政」を参照。
『定州竹簡論語』で「正」と書くが、すでにあった「政」の字を避けた理由は、おそらく秦帝国時代に、始皇帝のいみ名「政」を避けた名残。加えて”政治は正しくあるべきだ”という儒者の偽善も加わっているだろう。詳細は論語語釈「正」を参照。
論語:付記
上記の検証にかかわらず、論語の本章は後漢になってからつけ加えられた節だろう。定州竹簡論語には、簡392に前章を、簡393に次章を収めるが、本章だけがすぽりと抜け落ちている。丁度本章だけが失われたのだと言い張ることは出来るが、それは無理というものだ。
もし墓泥棒や紅衛兵による破壊で失われたのではないのなら、前漢宣帝時代の論語には本章が無く、従って論語泰伯編14との重複も無かったことになる。ただし事はこれで終わらない。これが事実なら、以前より架空説が出ていた前漢の儒者、孔安国の実在が疑われるからだ。
孔安国は孔子の末裔とされ、前漢武帝時代に孔子の旧宅から出土した古論語を、当時ただ一人読めた人物とされている。ところがその孔安国は、定州論語より前の武帝時代の人物でありながら、論語泰伯編と同様に、定州論語に無い本章にさえ、注釈を付けたことになっている。
古注・論語泰伯編14
子曰不在其位不謀其政也。註孔安國曰欲各專一於其職也
注釈。孔安国「それぞれが、自分の仕事に専念するのを求めたのだ。」
古注・論語憲問篇27(本章)
子曰不在其位不謀其政曾子曰君子思不出其位。註孔安國曰不越其職也
注釈。孔安国「その職分を超えないように言ったのだ。」
論語の本章が、古注の段階では次章と分割されていなかったことは、とりあえずはどうでもいいが、孔安国が、泰伯編の章と本章とで、違った注を付けているのは重大だ。重複というなら、孔安国の注釈は一種類しかないはずだが、二章それぞれ、別の注釈を付けているのだ。
つまり少なくとも本章の古注に登場する孔安国は、後漢儒者のでっち上げということになる。後漢儒者が論語にやらかしたうそデタラメでっち上げは、すでに「論語郷党篇は愚かしいのか」に記した。ならば論語の本章の孔安国捏造など、平気でやらかしたことだろう。
重複元とされる論語泰伯編14には、定州竹簡論語の簡が確認されている。つまり後漢の儒者は重複を重々承知で論語の本章をこの位置にねじ込み、ついでに孔安国の注も偽作した。一体誰が何のために? 次章が定州竹簡論語にあることから、曽子の言葉に箔を付けるためだろう。
誰がやったかは分からない。詮索しても意味は無いだろう。そして仮に孔安国の実在そのものまで疑わしいとなると、孔安国だけが読めたという、古論語の実在も怪しくなる。孔子の旧宅から掘り出されたという伝説を含め、全て後漢儒者によるでっち上げの可能性まであるのだ。
前漢武帝時代に発掘されたことになっている、古論語の存在に言及したのは、実は後漢初期の王充が最初で、しかも言及しつつ「今はもう無い」と言っている。その無いものを見てきたかのように書いている。同世代の班固も、『漢書』に古論語があったと書いている。
班固も、古論語なる実物を見たわけではない。すべて「であろう」の世界である。どう考えても怪しいのだが、そうでない証拠が出てこないので、無慮二千年間、古論語はあったことにされている。さらに後漢の時代にはとうに滅びたといいながら、魯論語斉論語もあったという。
そもそも、前漢武帝の一時の趣味とはいいながら、いわゆる国教化の待遇まで受けた学派の開祖、その語録である論語の各種版本が、こうも揃って簡単に、世から消え去るとは信じがたいことだ。古論頃論語斉論語、それぞれ全部が、後世の儒者によるでっち上げではなかろうか。
だが学問として論語を扱う立場からはそうもいかず、儒者それぞれが勝手なことを言い、相互に矛盾する話につじつまを付けて、一応の結論を出したのが戦前に出された武内博士の『論語之研究』だ。ただしつじつま元の儒者の言葉に嘘があることは、これまでたびたび指摘した。
さてその上で、以上全てをブチ壊すことを書かねばならない。一つの可能性として、孔安国の注は次章に付けられたもので、本章はただ泰伯編からコピペされただけ、とも考え得る。そうすると孔安国の実在を疑う必要も無い。ただ、古論頃論語斉論語の消滅理由が不明なだけ。
どちらが真相かは分からない。ただし論語には常に、このような贋作の危険が付き物だ。
なお別伝では本章に加えて、能力相応の地位に就くことを勧めている。
孔子曰:「巧而好度必攻,勇而好問必勝,智而好謀必成。以愚者反之。是以非其人,告之弗聽;非其地,樹之弗生;得其人,如聚砂而雨之;非其人,如會聾而鼓之。夫處重擅寵,專事妬賢,愚者之情也。位高則危,任重則崩,可立而待。」
孔子「こまごまとした細工が好きで、しかも行動にけじめを好めば必ず業績が上がり、勇気があって、しかも疑問を持ちつつ戦えば必ず勝ち、智恵があって、しかもよく考えるなら必ず事業は達成される。ただしこれは、賢者だけができることだ。
そういう賢者でなければ、間違いを教えてやっても聞かないのは、適切な環境が整わなければ、木を植えても枯れてしまうのとそっくりだ。だがもし賢者を部下に持てたなら、そのあたりの砂を集めて撒くように、恵みの雨となる言葉をかけてやるのもいい。しかしそうした部下を持てなかったら、何を言っても無駄なのは、丁度耳の聞こえない人の前で、ドンドコ太鼓を叩く馬鹿騒ぎと変わらない。
だから臣下たる者、権力を手中にして主君の寵愛を欲しいままにし、何事も相談無しに勝手に決めてしまって、意見してくる賢者を嫌うのなら、そいつはバカなのだ。バカだから気付かないのだ。地位が高ければ危険も高く、権限が大きければ、やがて手に負えないほどの難事が待ち構えていることを。それは自分から招かなくとも、勝手に向こうからやって来るというのにな。」(『孔子家語』六本19)
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