論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文・白文
周有八士、伯達、伯适、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季隨、季騧。
書き下し
周に八士有り、伯達・伯适・仲突・仲忽・叔夜・叔夏・季隨・季騧。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
周には八人の偉人がいた。伯達、伯适、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季隨、季騧。
意訳
同上
従来訳
周に八人の人物がいた。伯達、伯适、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季隨、季騧がそれである。
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
周
(金文)
論語の時代に中国の宗主だった周王朝のこと。開祖は古公亶父と呼ばれ、その時代に現在の西安周辺に土着したという。文化としては羊との関わりが強く、おそらく牧羊氏族だっただろう。BC1046ごろ、当主の武王が殷の紂王を滅ぼして中国の宗主となった。
その合理化のため、紂王を暴君とする伝説を作った。開国当初は国政が安定せず、王族の周公が摂政となった時期がある。BC1055、周公の息子が魯に領地を与えられて、魯国が始まったという。周はその後安定したが、BC770には分裂に至り、その後を春秋時代という。
その分裂についても、王妃に責任を押し付ける伝説が作られた。やがて王家は再統一されるが、周の権威は落ちて、諸侯が気ままに振る舞うようになったとされる。ただしこれは周支配下の諸国が独立したと言うより、周の文化が元々独立していた諸侯に広まった結果。
孔子の時代は春秋時代の末期。次いで北方の一大諸侯国だった晋が、韓・魏・趙に分裂し、BC403にそれを周の王室が公認したことで、諸侯国同士がが滅ぼし合う戦国時代の始まりとする。ただし孔子の時代にも曹が滅んだように、戦国のきざしが始まっていた。
八士
(金文)
論語の本章では、八人の偉人。ここでの「士」は、”立派な男性”を意味する。
伯達…季騧
論語のここに名が見えるだけで、古来誰だか分からない。「伯」「仲」「叔」「季」は、それぞれ長男・次男・三男・四男を意味している。
『学研漢和大字典』によると、「達」は”聡明な”、「适」は”勢いよくはやい”、「突」は”抜きん出た”、「忽」は”素早い・おぼろな”、「夏」は”盛んな、文明的な”、「隨」は”従順な”、「騧」は”くちさきが黒くてからだの毛色が黄色い馬・かたつむり”を意味しうると言う。
なお「适」はは金文から、「隨」は秦系戦国文字から、「騧」は古文から見られる。
創作の人物を誰だか分かろうとすることにあまり意味はないが、古来よりの伝説や儒者の個人的感想は以下の通り。
舊云周世有一母身四乳而生於此八子八子竝賢故記録之也侃按師說曰非謂一人四乳乳猶俱生也有一母四過生生輒雙二子四生故八子也何以知其然就其名兩兩相隨似是雙生者也。
「むかしむかし、お乳が四つある女の人が八人の子を生んで、どれも賢かったので記録に残しました。めでたしめでたし。」
皇侃曰く、師匠から聞いた話では違う。お乳が四つもある人がいたのではない。乳とは双子のことだ。ある母親が、四度双子を生んだのだ。だから八人になったのだ。どうしてかって? 名前が二人ずつセットになっているだろう。双子で生まれたからこう名付けたのだ。(『論語集解義疏』)
或曰「成王時人」,或曰「宣王時人」。蓋一母四乳而生八子也,然不可考矣。張子曰:「記善人之多也。」愚按:此篇孔子於三仁、逸民、師摯、八士,既皆稱贊而品列之;於接輿、沮、溺、丈人,又每有惓惓接引之意。皆衰世之志也,其所感者深矣。在陳之歎,蓋亦如此。三仁則無間然矣,其餘數君子者,亦皆一世之高士。若使得聞聖人之道,以裁其所過而勉其所不及,則其所立,豈止於此而已哉?

これらは「成王の時代の人だ」という人もいれば、「宣王の時代の人だ」という人もいる。それでも四つお乳のある母が八人産んだというのはウソだろう。張載?は「デキる人が多かったと言いたかったのだ」と言っている。
私の考えでは、孔子はこの微子篇で三仁・逸民・師摯・八士をほめあげて並べ、接輿・沮・溺・丈人についても丁寧に扱おうとしている。その心は衰えた世を嘆くことにあり、思いは深い。陳で包囲された時の嘆きも、これと似たようなものだ。
本篇冒頭の三人の仁者については言うまでもないが、その他の人物も当時としては高潔な人々だ。もし孔子の教えを受けて、自分の足りない所を反省すれば、高潔どころではなくもっと立派な人格になったのではないか?(『論語集注』)
いずれも結局八人が誰だか分からないので、それらしい周辺の話をしてお茶を濁している。ただ皇侃がそこそこ合理的な話をしているのに対し、朱子はお説教話に持っていきたいようだ。時代背景としては宋代の方が合理主義的だが、人はいつもそれに従うとは限らないらしい。
論語:解説・付記
論語の本章について、従来訳の注に「これも原文に「子曰」がないが孔子の言葉であろう」とあるが、後世の儒者が勝手に書き加えた可能性の方が高い。武内義雄『論語之研究』にも、前々章・前章と共に後世の付加、また堯曰篇の錯簡(混ざり込み)として挙げている。
『論語』微子篇おわり
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