論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
子曰、「過而不改、是謂過矣。」
校訂
定州竹簡論語
子曰:「過而弗改,是之謂過a。」443
- 是之謂過、今本作”是謂過矣”。
→子曰、「過而不改、是之謂過。」
復元白文(論語時代での表記)








※論語の本章は、「之」の用法に疑問がある。
書き下し
子曰く、過ちて改めざる、是を之れ過つと謂ふ。
論語:現代日本語訳
逐語訳

先生が言った。「間違いを起こして改めない、それがまさに間違いだというのだ。」
意訳

間違っていない、と言い張る者こそ、間違っているのだよ。自分を空しくして考え直してごらん。
従来訳
先師がいわれた。――
「過って改めないのを、過ちというのだ。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「有錯不改,這才是真錯。」
孔子が言った。「間違えて改めない、それが本当の全き間違いである。」
論語:語釈
過(カ)

(金文)
論語の本章では”あやまちをおかす”。初出は西周早期の金文。字形は「彳」”みち”+「止」”あし”+「冎」”ほね”で、字形の意味や原義は不明。春秋末期までの用例は全て人名や氏族名で、動詞や形容詞の用法は戦国時代以降に確認できる。詳細は論語語釈「過」を参照。
同じ”間違える”でも、やり過ぎによって不適切な結果を招くこと。飯を炊くのには加熱が必要だが、火が強すぎれば焦げてしまう道理で、このような間違いを「過」という。
中華思想の上で、「允に厥の中らを執れ」(論語堯曰篇1)が強調されるのはそれゆえである。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、咼は、上にまるい穴のあいた骨があり、下にその穴にはまりこむ骨のある形で、自由に動く関節を示す象形文字。過は「辶+(音符)咼」で、両側にゆとりがあって、するするとさわりなく通過すること。勢い余って、行きすぎる意を生じる、という。詳細は論語語釈「過」を参照。
改

(金文)
論語の本章では”改める・修正する”。初出は甲骨文。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、己(キ)は、起の原字で、はっとしておきたつさまを描いた象形文字。改は「攴(動詞の記号)+(音符)己」で、はっと緊張させておこすこと。たるんだものに活を入れておこす意となる、という。詳細は論語語釈「改」を参照。
是
論語の本章では”…は…だ”。英語のbe動詞と同じ働きをし、ここでは「過而不改」”間違えて改めない”と「之謂過」”これは間違いであると判定される”が等価であることを示す。
過而不改 是 之謂過
”間違えて改めないの は これは間違いだと判定されるの だ。”
文字的には論語語釈「是」を参照。「これをこれ」と読む流儀があるのは承知しているが、漢文をデタラメに読んだおじゃる公家やクソ坊主、猿真似儒者のたわごとは、そろそろ廃止した方がよい。
之(シ)

(甲骨文)
論語の本章では”まさに”。初出は甲骨文。初出は甲骨文。原義は進むことで、本章のように副詞や、”…の”のような助詞の用法は、戦国時代にならないと現れない。”これ”という指示代名詞に用いるのは、音を借りた仮借文字だが、甲骨文から用例がある。”…の”の語義は、春秋早期の金文に用例がある。詳細は論語語釈「之」を参照。
謂

(金文・篆書)
論語の本章では”AはBだと評論する”。初出は春秋末期の金文。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、胃は、「まるい胃袋の中に食べたものが点々と入っているさま+肉」で、まるい胃袋のこと。謂は、「言+〔音符〕胃」で、何かをめぐって、ものをいうこと、という。詳細は論語語釈「謂」を参照。
矣(イ)

(金文)
論語の本章では、”(きっと)…である”。初出は殷代末期の金文。字形は「𠙵」”人の頭”+「大」”人の歩く姿”。背を向けて立ち去ってゆく人の姿。原義はおそらく”…し終えた”。ここから完了・断定を意味しうる。詳細は論語語釈「矣」を参照。
論語:付記
論語の本章は、論語にたびたび現れる「実事求是」=事実に基づいて正しさを求める精神を説いたもので、現代にも通用する普遍的価値がある。孔子もまたたびたび間違いを犯し、時にひどい目に遭っているが、根本教説の礼と仁を除き、場面に応じて生涯変われる人でもあった。
同じ説諭は、すでに論語の冒頭・学而篇に見える。

諸君が他人から重く見られないなら〔なおさら〕厳かな態度をつくろうな。学んでも頭が固くならないようにせよ。自分と他人を偽らないようにせよ。勉強の遅れている友人がいないようにせよ。間違えたら改めるのを恥ずかしいと思うな。(論語学而篇8)
学者、とりわけ人文系の学者にとって、学べば学ぶほど頭が固くなり、間違いを認められなくなる宿命的な病いがある。論理よりも知識の量がものを言う文系学問では、知識を蓄えるに費やしたコストを思うと、間違いに出くわした時、それまでの投資が不良債権化するからだ。
従って文系の学者の善し悪しを見分けるのは簡単で、横柄でない、怒鳴らない、聞く耳を持つならその人はまとも。対して横柄でよく怒鳴り聞く耳を持たない者は、地位を取り外したらつまらないオジサンオバサンであると分かることが多い。だが残念ながら(?)例外は少ない。
論語に話を戻すと、実事求是は孔子一門にとって致命的に重大な問題で、思い込みから政治工作に突っ走ると、一門揃って没落の危険があった。論語の時代としては過激な主張を持ちながら、孔子逝去まで一門が残り続けたのは、事実に応じて自らを修正できたからだ。
無論、根本主張は変えられない。しかし振る舞いややり方=道を変えることは出来る。論語の言葉同士が時に矛盾しているのは、変えてはならない教説と、変えてよい手段とが別ものだったからだ。だから孔子は、学びには順序があり、手続きを経て向上すること強調した。
四則演算が出来ねば一次式は分からず、因数分解が出来ないと代数・幾何に進めないように、政治判断が出来るようになるまでには、長い時間がかかる。それにも関わらず弟子のほとんどは、三年学ぶと仕官していった。革命に携わらないのであれば、それで十分だったのだろう。
なお中国の古典では「過」の例として、「宋襄の仁」とバカにされた宋の襄公が挙げられている。
春秋の世は、周の幽王が国を一旦滅ぼして始まり、その政治的混乱に対する最初の答えが、斉の桓公と管仲の君臣コンビが示した「覇者」だった。だが管仲が死ぬとあっという間に斉は内乱状態となり、桓公は餓死させられた。その政治的空白に乗じたのが宋の襄公である。
宋国は前王朝殷の末裔であり、このことから他の諸侯国より気位が高かった。加えて襄公は斉の内乱を収めて後見役として斉の孝公を即位させたため、桓公を引き継ぐ「覇者」を気取った。それと気付かぬ諸侯は始めは付き合っていたものの、やがて斉公でさえ見限り始めた。
一族からも意見された。だがそれでも改めなかった。
焦った襄公は、当時北上の勢いを盛んにしていた南方の大国・楚を、覇者のつもりで迎え撃った。何事も鷹揚に構えるのを「仁」だと勘違いした襄公は、川を挟んで対陣した楚軍が、渡河するのをあえて見過ごし、岸に上がった混乱をあえて見過ごした。これを宋襄の仁という。
その戦で負った傷が元で襄公は死ぬのだが、春秋の世に隠れなき名バカ殿である。





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