論語郷党篇:要約

サーラ:みなさんこんにちは。航海士AIのサーラです。アルファーさんに代わり、今回の案内を務めます。
孔子:解説の孔子じゃ。

早速ですが先生、論語郷党篇はどんなお話なんでしょうか。
孔子:うむ。郷党篇の大部分は、ワシ孔子の、生前の生活を語る弟子の思い出話じゃ。じゃからワシの発言は四つしか記されておらず、それも思い出話の一部としての記録に止まっておる。
じゃから本篇を「愚かしい」と言うた者もおるが、その当否を含め本篇について詳しくは、論語郷党篇は「愚かしい」のか、を参照してくれい。

サーラ:ありがとうございました。ここでは論語郷党篇の大部分を占める、そうした先生の日常話は別ページに移しましたが、何か理由はおありですか。
孔子:うむ。論語とは”筋道を通して教えを説いたことば”じゃが、日常話はワシの語録とは言えぬし、それにこんなときにはどうする、という退屈な話じゃからな。
じゃが礼法とは、すなわちワシの行動に見習うことであって、礼法の教科書としては、大事な内容なのじゃぞ。

サーラ:了解しました。つまり論語に言う礼とは、書き記された教科書があったわけではなく、先生の日常生活そのものが模範であり、教科書だ、と言うことですね。
孔子:うむ。よろしい。

サーラ:では開始します。出港!

1

若家老の季康子さまが、孔子先生が病気と聞いて薬を送ってこられた。先生は拝んで受け取られ、使いの者に仰った。
「かたじけないが、私はこの薬についてよく存じませぬゆえ、頂戴致しませぬと季康子どのにお伝え下され。」

サーラ:先生、これは毒殺を恐れたと理解してよろしいでしょうか。
孔子:うむ、その通りじゃ。ワシが魯に帰れたのは、呉国の後ろ盾あってのことじゃ。当時呉国は、我が魯国を属国同然に扱っておった。それだけに門閥家老家にとってはワシは煙たかろうし、万一のことを考えると用心するに越したことはなかったのじゃ。

サーラ:呉国没落のあとと考える事は出来ませんか。
孔子:ワシも記憶が曖昧でな。じゃが没落後だとすると、すでにワシは閑職に回されておる。歳も七十を超えておったから、わざわざ手の込んだことをするまいて。よいかな、人は人の死を見たくない生き物じゃ。たとえ政敵であってもじゃ。じゃから「暗殺」と言うのじゃ。

サーラ:あ…あ…はい、了解であります!
孔子:よい子じゃのう、サーラ君や。人は人をあやめてはならぬ。ささいな傷一つすら、人に付けられたら恨みに思う。なのに人をあやめた者に、幸せに死んだ者は一人もおらぬ。幸が分からぬ者は、不幸に死ぬしかないからじゃ。それに気付いてくれい、それがワシの望みじゃ。
2
先生が朝廷で執務中、お屋敷のうまやが焼けた。先生はお帰りになってから仰った。
「けが人はいなかったか?」
馬についてはお聞きにならなかった。

サーラ:論語の中でも有名なエピソード、「うまや焚けたり、子、朝より退きて曰く、人を傷つけたるか。馬を問わず」ですね。先生の人道主義を象徴する挿話だと言われていますが。
孔子:うむ。この論語の八佾篇でも語ったが、我が周王朝の文化は人間主義じゃ。むやみに人身御供を行った、夏や殷と違うのはそこじゃ。
サーラ:根拠がおありですか?

孔子:では「殷」という文字を説明しようか。これは殷人以外が殷を呼んだことばで、殷人は「商」と自称しておった。「殷」とはなんぞや? 人の生きギモを刃物で取る姿、そこで流れた血の色のことじゃ。じゃからむやみに人をあやめる殷人を嫌って、人はそう呼んだのじゃ。

サーラ:なるほど。では殷は野蛮であると?
孔子:そこがむつかしい所じゃな。殷が後世に与えたものは、古代としては正確な暦、そして漢字。暦なくして豊かな農産はあり得ぬ。漢字なくして中華文明は語れぬ。ワシも殷の末裔じゃ。よきものはよし、悪しきものは悪いと認めるしかないじゃろうな。
3
先生のご友人が亡くなられた。しかし引き取る遺族がいなかった。そこで先生が仰った。
「うちで引き取ろう。」

サーラ:先生、これも論語の中では、先生の人道主義を示すエピソードと言われています。しかし儒家がむやみに派手な葬儀を行い、亡き人との関係によって、待遇に差を付けたことが批判されていますが。

孔子:むう。ワシの孫弟子に当たる墨子くんが、激しく批判したそうじゃな。じゃが葬儀とは人間関係を正すための大事な儀礼でもある。久しぶりに親戚一同が集まることだってあろう? だからこそ礼法の定めに厳格に従って、正しく行わねばならぬのじゃ。

サーラ:儀式は政治の一環でもある、と?
孔子:その通りじゃ。政治を「まつりごと」と日本でも呼んだのはその反映じゃ。政治もつまるところ、大規模な人間関係じゃ。厳粛な儀式を行うことで、精神的に人々を圧倒し、混乱を未然に防ぐ。その効果があったからこそ、論語と儒学は2,500年も生き延びたのじゃ。

サーラ:なるほど。ありがとうございました。
4
孔子先生が子路さんと山へ出かけられ、魚獲りの梁棚の上で休むめんどりを見て歌われた。
「♪コッコッコッコ、コケコちゃん。あなたにお昼をあげましょう。」

先生が子路さんに「えさをあげなさい」と言ったので、子路さんはえさをあげようと丁寧に近づいた。ところがめんどりは怪しんで、三度えさの臭いを嗅ぐと「キケーン!」と飛び立ってしまった。

サーラ:先生、本当にこんな歌を歌われたのですか? それにコケコじゃなくてキジでは?
孔子:ホッホッホ。ウソじゃないぞよ。唐の皇帝陛下が食うに困ったあげく、論語を書き換えるまでは、ちゃんと「めんどり」と書いてあった。ワシと子路が放浪した華南には、すでに家禽化されていたニワトリの原種、セキショクヤケイがいたのでな。じゃから「コッコッコ」と歌詞も書いてあったのじゃぞ。

サーラ:それに論語の中でも、古来異説の多い章ですが。
孔子:うむ。素直に読めばいいものを、儒者どもは子路を乱暴者扱いせんと気に入らんようでな、「子路がキジを捕らえてヤキトリにし、先生の食膳に上せた」と言いよった。

サーラ:はぁ?
孔子:この郷党篇は、そもそもこの話を除いて、全部儒者どものでっち上げじゃ。せっかくのホンモノにまで、儒者がデタラメを書き付けたのじゃな。真に受けるな。

サーラ:了解、ありがとうございました。

サーラ:論語郷党篇は以上です。皆様、どうぞごきげんよう。
またのご乗船を、乗員一同、心よりお待ち申し上げております。


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