論語054八佾篇第三(14)周は二代にかんがみて

論語八佾篇(14)要約:孔子先生の時代は周王朝。先立つ夏・殷王朝と比べて、むやみに人を殺しませんでした。その明るさを孔子先生は、「匂い立つようだ」とうっとり浸ります。独り言のつぶやきですが、たまにはそうもしたいでしょう。

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「周監於二代、郁郁乎文哉。吾從周。」

書き下し

いはく、しうは二だいかんがみて、郁郁乎いくいくことしてあやなかなわれしうしたがふと。

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逐語訳

論語 孔子 切手
先生が言った。「周は夏・殷二代の王朝の事跡を考慮して、匂うようにあでやかな文化を創り上げた。私は周に従う。」

意訳

論語 孔子
かつての夏・殷王朝は、あまりに人を殺しすぎた。そこへいくと我が周は、匂うようにあでやかな文化を創り上げた。私は周に従う。

従来訳

 先師がいわれた。――
しゅうの王朝は、夏殷かいん二代の王朝の諸制度を参考にして、すばらしい文化を創造した。私は周の文化に従いたい。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

論語 監 金文 論語 監
(金文)

”下にのぞむ・みはる・かねる”。論語の本章では、水鏡を見下ろすように見ること。論語の時代は大皿(盤)に入れた水鏡を主に用いた。当時は青銅器時代であり、青銅器は磨いても金色にしかならず反射が悪い。

青銅の表面に銀をメッキする手段はあるが、銀はたちまち真っ黒になってしまうし、高価で、柔らかいから磨いているとすり減って、地が出てしまう。

『学研漢和大字典』によると会意文字で、臥(ガ)は「臣(伏せた目)+人」の会意文字で、人がうつぶせになること。監は「皿の上に水+臥」で、大皿に水をはり、その上に伏せて顔をうつしみること。水かがみで、しげしげと姿をみさだめること。鑑(かがみ)と同系のことば、という。

「史墻盤」(シショウバン)西周時代 口径47.3cm重量12.5kg 周原博物館蔵

郁(イク)

論語 郁 甲骨文 論語 郁
(甲骨文)

論語の本章では、”匂うようにあでやかなさま”。「郁」は「ウツ」(”むらがりしげる・においぐさ”)と通じ、嗅覚に関わる美的感触を意味する。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「邑+〔音符〕有(くぎる、かこむ)」。村々の境界がくぎられて数多く並ぶさま、という。

論語:解説・付記

論語の本章は、孔子の生きた周代がどのような時代だったかを示す一節。

周文化の特徴はある種の人間主義で、夏・殷王朝では捕虜や奴隷をむやみに人身御供に供したが、周ではいやがれれた。もっとも動物は盛んに殺して供えているから、現代日本人の感覚から見ればはるかに血なまぐさいが、人殺しが嫌われる程度には、文明的になっていた。

しかし周辺の異民族を、同じ人間として見るまでには至っていない。中国人は異民族を蛮族と呼び、人間ではなく鳥や獣=禽獣キンジュウのたぐいだと思っていた。孔子もその例外ではなく、「蛮族に酋長が居ても、君主不在の中華諸国に及ばない」と論語八佾篇5で言っている。

また『字通』によると、漢字の「方」は中国の境界線に異民族を磔にし、見せしめにしたのが語源だという。文献にはあまり現れないが、機械力のない時代には奴隷は有用な農業機械・工作機械だったから、奴隷狩りはしただろうし、弱った者はいけにえにもしただろう。
論語 方 字解

念のために書いておくと、これは現代日本人が論語時代の中国人を、野蛮だといって責めるには当たらない。明治政府はアイヌ民族の虐殺を見て見ぬふりをしたし、昭和前期まで貧民を集めて奴隷にし(タコ部屋労働)、トンネル工事などで平気で人柱として埋め込んだ。

話を論語に戻すと、それでも孔子自身はおそらく、異民族だろうと人身御供を嫌がった。

論語 孔子 怒り
孔子が言った。「自分のために副葬品を作らせた者は、葬儀の何たるかをきっと知っていたのだろう。作らせても実用品ではなかった」。悲しいことだ、死者が生者の道具を使うとは。生者を殉葬するのとほとんど同じだ。そもそも明器とは、神の明らかに見通す力そのものだ。車のはにわ、お供えのわら人形、これらが昔からあるのは、副葬品のあるべきことわりを示すものだ。だから孔子は言った、「つたないわら人形を作らせた者はよろしい。だが写実的な土人形を作らせた者にはあわれみの心がない。いずれ本物の人を生き埋めにするようになるぞ!」(『礼記』檀弓下)

この孔子の発言が、のちに故事成句となって「ヨウを作る」という。『字通』によれば、「殷」の原義は血の色であるように、殷人は現代人が見れば血祭りを喜ぶ未開の蛮族そのものだが、周ではそれをただの人殺しと見るような観念が広まった。明るい世の中になったのだ。

なお既存の論語本では吉川本に、以下のように記す。「監むとは…前二王朝の姿を観察参考してつくられたとする宋儒の説がやはりよろしいであろう。…もっとも、…二代にくらぶればの意であって…比較すると、と解する説もある。」
論語 吉川幸次郎

その「宋儒」が何を言っているか見てみる。

論語 朱子 新注
二代とは、夏と殷のことだ。夏と殷の礼法を参考にして足し引きしたことを言ったのだ。郁郁は、文化の盛んな姿のことだ。尹氏曰く、「三代の礼法は周になって大いに完成した。孔子様はその文化らしさを好み、それに従われたのだ。」(『論語集注』)

大した事は言っていない。周でない二代と言えば、夏と殷しかないからだ。吉川博士の時代には、すでに殷墟が発掘されて、いけにえの骨がゴロゴロ転がっていたことは知られていたはずで、周が殷に比べていかに明るい世の中だったかは容易に想像が付くと思う。

しかし伝統的な漢学者というのは、ともかく古い文献しか読まないから無理はない。


論語本章の引用文の原文・書き下しはこちら

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