孔子の肖像・論語郷党篇要約
アルファー:こんにちは。ナビゲーターAIのアルファーです。
孔子:解説の孔子じゃ。
アルファー:お弟子さんから見た先生の姿・第二回ですが、今回は全部論語郷党篇なんですね。
孔子:そうじゃ。郷党篇は、現伝の論語の前半である、もと魯論語と言われた本の最終篇じゃ。そこに載せられた話のほとんどは、ワシ孔子が普段どのような生活を送っておったかを記しておる。それは同時に、礼法の教科書でもある。ワシこそが礼の模範じゃったからの。
アルファー:そうでしたね。礼の教科書は、論語が出来るまで無かったんですよね。
孔子:そうじゃ。ワシが論語で主張した礼は、当時の常識とは懸け離れておった。なにせワシが古記録から集めた、古いしきたりに従うものじゃからの。じゃからワシの生活そのものが、礼の教科書であって、現伝の『礼記』『周礼』のたぐいができるのは、もっと後のことじゃ。
アルファー:わかりました。それでは、始めましょう。
『杏壇礼楽』:論語時代の孔子の礼法講義の模様を、後世想像して描かれた図。
郷党篇
1
郷里での孔子は、慎み深く振る舞い、ものが言えない人に似ていた。魯国の祖先祭殿や朝廷では、はっきりとものを言った。ただし慎んではいた。
アルファー:万能の孔子先生も、故郷ではおとなしくしていたんですね。
孔子:そうじゃよ。礼の基本は年長者を敬う事じゃ。これを長幼の序と言う。じゃがな、子が犠牲になってまで親を救うような無茶を言い出したのは、ワシではなく後世の儒者じゃ。論語の言葉は、そんな無茶なものではないぞ。
2
朝廷で下級家老と話す時は、流れるようにものを言った。上級家老と話す時は、言葉を尽くしてものを言った。殿様がお出ましの時は、慎み深く小刻みな立ち居振る舞いをし、かつ余裕ありげに振る舞った。
アルファー:う~ん、いいのかなあ。何だか上にこびへつらい、下をいじめているように思えるんですけど。
孔子:相手によって態度が違う、と言いたいんじゃろ? じゃがな、相手と自分の立場を正しく認識して、上の方は敬い、下の者はいたわる。ただそれだけのことじゃ。後世の儒者が敬う方ばかり言い立てたから、おかしなことになったんじゃ。いたわり無しではいけないのじゃ。
3
殿様が先生を召して、賓客の接待を命じると、顔色が生き生きし、足は踊るようだった。同じ立場の者にお辞儀する時は、手を左右に広げた。衣の前後は揃った。小走りして進む時は翼のように両肘を張り出した。賓客が帰ったら必ず殿様に報告して「お客様は最後まで後ろを見ませんでした」と言った。
アルファー:そう言えば論語泰伯篇の前半は、呉国の使者を接待する話でしたね。
孔子:そうじゃ。お客様を満足させるのは、外交では大事な事じゃ。一介の使者と言っても、国に帰ればその者の言葉で、その国の方針が変わるからの。また小走りにも作法があってな、これは面倒くさいと隣国の宰相・晏嬰どのに批判されたのじゃ。じゃが、これが古礼じゃぞ。
4
先生が朝廷の門を入る時は、背をかがめて中に入れないように見えた。
門の前に立つ時は、真正面に立たず、入る時に敷居を踏まない。
殿様が出迎える定位置を過ぎた時は、顔色は生き生きとし、足は勇み立った。
ものを言う時は、言葉が足りないように見えた。
衣の裾をつまんで広間に入る時は、背をかがめて慎み深く、息をおさえて呼吸しないように見えた。
広間を出て階段を一段下れば、表情をゆるめてにこやかだった。
階段を下り切って小走りに進む時は、両肘を張り出した。
自分の定位置に戻った時は、居住まいを正した。
アルファー:先生、「自分の定めの位置」って何ですか?
孔子:うむ。古礼では、朝廷の会議は宮殿や祖先祭殿の庭で行われた。だから朝廷=朝庭と言ったのじゃな。真ん中を空けて通り道にし、左右に文武百官が東西に向き合って座り、北側に御殿を控えて、ご主君の座席があったのじゃ。百官も座席は指定されていたのじゃ。
5
玉の笏(圭)を手に取る時は、背中をかがめて、突き出さないようにした。
笏を上げる時は、両手を胸の前で組むようなしぐさをし、下げる時は誰かに授けるようなしぐさをした。毛が逆立つように表情を恐れ慎み、足がすくんでおとなしく従う気持ちがあるように振る舞った。
殿様より預かった土産物を渡す儀式では表情を整えたが、私的な会談では、楽しげだった。
アルファー:なんだか堅苦しいですね。
孔子:そう思うか? じゃが儀式の場では、厳粛な雰囲気を作らねばならん。それに呑まれると、暴れ者でもおとなしくなるのじゃ。家臣を躾けるには都合がよかろう? じゃから論語と儒学は生き残ったのじゃし、殿にだじゃれを言った宰我を叱ったのじゃ(論語八佾篇21)。
6
身分ある者は濃淡いずれも青い衣類は晴れ着にしない。紅と紫の衣類は、普段着にしない。
暑い季節の単衣では、織り目の粗密いずれの衣類も、必ず上に何か羽織って外出する。
寒い季節には、黒い衣類には羊の皮の、白い衣類には子鹿の皮の、黄染めの衣類には狐の皮衣を上半身に羽織る。普段着の皮衣は長めに作り、右のそでを短くする。
寝る時は必ず寝間着を着る。長さは身長の一・五倍。座る時は狐やむじなの厚手の座布団を敷く。
喪中以外は、何か装身具を付けないことがない。カーテンとスカート以外は、必ず寸法を切り詰めてしまう。
羊の皮衣や黒い冠では、弔問に行かない。毎月の朔日には、必ず礼服を着て朝廷の参賀に出かける。
アルファー:先生、右の袂を短くするって?
孔子:筆を持ちやすくするためじゃな。袖が長いと書くのに邪魔になる。夏に麻の帷子を羽織るのは、熱くても肌をさらしてはいかんということじゃ。論語の時代にはまだ綿はないが、その代わり動物の皮はよく手に入った。まだ自然が豊かでな、狩りも盛んに行われたのじゃよ。
7
身を清める時は、必ず明るい色の衣で、麻で作ったのを着る。清めの時には必ず通常とは食事を変え、座る場所も必ず普段の場所から移す。
アルファー:先生、湯浴みとありますが。
孔子:うむ。ワシが生まれ育った魯国は内陸部でな。乾燥しておるから風呂はそれほど頻繁には必要でなかった。じゃが神事の前や非常時には、必ず身を清めた。論語の時代は今よりは森が豊かで湿気も多かったのじゃが、その代わり寒くてな。毛皮をよく使うのはそれが理由じゃ。
8
ご飯は精白したものでもかまわない。刺身は細切りでもかまわない。ご飯の変な臭いがして形が崩れたもの、魚の腐って形が変わりその肉の腐ったものは食べない。色がおかしなものは食べない。においが悪いものも食べない。煮方を失敗したものも食べない。季節外れの食材も食べない。切り方が悪いものも食べない。食材に合ったたれが無いものは食べない。肉は多い時でも、ご飯の味わいより多くは食べない。
ただし酒は量を定めないが、酒乱にならない。売っている酒、市場に並んだ干し肉は飲み食いしない。薬味は取りのけないで食べるが、多くは食べない。
国公の祭りのお下がりの肉は、その日の内に食べる。(自家の)祭りの肉は、三日以内に食べ、三日を過ぎたら食べない。
食事の時はおしゃべりしない。寝言を言わない。粗末なご飯、おかず、スープ、瓜であっても、お供えする時には必ずきちんと整える。
アルファー:なるほどぉ。寒かったから、お肉が三日も保ったんですね。冷蔵庫もないのに。
孔子:そうじゃ。じゃから食品衛生には気を遣ったのじゃ。それに穀物は貴重での。当時の主作物じゃったアワ1リットルは、換算すると現代の約1万円じゃとどこぞの訳者が計算しておる。2018年の日本の米価格は、1リットルあたり、だいたい343円じゃぞうじゃのう。
アルファー:どうしてそんなにご飯が高かったんですか?
孔子:ホホホ。それこそお百姓でないワシには分からんよ(論語子路篇4)。当時のアワは、通貨の役割を果たしておった。生産の面から言うと、論語の時代は鉄器が普及し始めた時代での。以前よりは豊かになったのじゃ。それでも科学以前の世の中じゃ、そう安くは作れぬよ。
9
決められた席次通りに自分の席が並んでいないと、座らない。
アルファー:これって、上座下座の区別にうるさい、ということですか?
孔子:そうじゃよ。ほれ、今の中国でも、外務大臣が日本とかに来て無茶言っても、あまり相手にされんじゃろ? 共産党の序列が低いから、そんな下座の下っ端が何を言う、という扱いをされておるんじゃ。中国では昔から、そういった宮中席次のような序列が、重要じゃったんじゃよ。
10
ふるさとの村人の酒盛りに、杖をついた者が村人の祝いの言葉を受けるのを待って、それから自分もやっと祝いを受けた。村人が鬼やらいをする時は、正装して玄関前の階段の途中に立って見守った。
アルファー:先生、鬼やらいって何ですか?
孔子:村の衆が恐ろしいお面をかぶって、総出で村中を練り歩き、その年にとりついた悪霊を村から追い払う事じゃ。「追儺」とも言うな。どこぞの儒者(荀子)によると、ワシの顔はそのお面そっくりじゃったと言う(仲尼之狀,面如蒙倛)。失礼な奴じゃ!
アルファー:あっ! なまはげ!
11
人を外国へ使いに出す時は、二度拝礼して見送る。
アルファー:先生、これはどうしてですか?
孔子:うむ。相手先のご主君を敬うと言うこともあるがの。当時の旅は危険じゃった。なにせ城壁を一歩外に出ると、そこには言葉も通じぬ野人が住んでおったからの。それに外国の使節を捕らえたりするのは日常茶飯事じゃった。じゃから祈るように送り出したのじゃ。
12
弟子「先生! 殿様から食べ物のお届けです。」
孔子「すぐに座席を整えなさい。ご先祖さまにお供えしよう。」
弟子「先生! 殿様から生肉のお届けです。」
孔子「すぐに煮て、ご先祖さまにお供えしよう。」
弟子「先生…あのう…殿様から…」ヒツジ「メェェェ。」
孔子「…大事に飼おう。」
殿様の宴会。
殿「祖先天地の神にお供え申す。かしこみかしこみ…。」
孔子(じっと待つ)
殿「まほ~すぅ~。」
孔子「では、いただきます。」
孔子、病気中。
弟子「先生、殿様がお見舞いに…。」
孔子「ゴホゴホ。枕を東にしてくれ。それと布団の上に礼服を掛けよ。帯はちゃんと伸ばしてな。」
自宅にて。
弟子「先生! 殿様がお呼びです。」
孔子「あいわかった。いそいそ」
弟子「先生! 車が…まだ用意が…。」
孔子「後から追いついてこい。」
アルファー:先生、病気の時に頭を東に向けるのは?
孔子:ご主君が見舞いにお出でになった際、北側から見て頂けるようにじゃ。君主は南面す(論語雍也篇1)、つまり北極星にたとえて、北側にお座りになって頂いたのじゃ。
13
儒者「よいか貴様ら。孔子先生はじゃな、お殿様の祭礼を取り仕切るにも、ご自分ではじゅうじゅう手順をご存じでありながら、一つ一つ間違がいないよう、手下の神主どもに確認なさったのじゃぞ。孔子先生ですらこうなのじゃから、貴様らごときは、ワシの指示にありがたく従え。その前に指導料を出せ。」
アルファー:先生、なんですかこれ。
孔子:知らん知らん。漢の儒者どもが勝手にやったことじゃよ。
14
友人からの贈り物は、高価な車や馬であろうと拝んでは受け取らなかった。ただし祭祀のお下がりの肉は拝んだ。
アルファー:せっかく高価なものを貰ったのに、拝まなかったんですか?
孔子:友人との礼法は、対等が原則じゃ。じゃから目上の方から頂いたようには拝まぬのじゃ。そうでないと、目上の方への礼を失うことになろう? 親しむのはまず身近な人から、敬うのはまず身分の高い方から。それが論語で言う、人の道の原則じゃ。
15
寝る時には、死体のように仰向けになって大の字には寝ない。
私生活では、表情を作らない。
喪服を着た人を見たら、親しい人でも顔色を変える。
正装の人、盲目の人を見たら、親しい人でも表情を整える。
葬列の人を見たら、車の横木に手をかけてお辞儀する。
公文書を運ぶ人を見たら、車の横木に手をかけてお辞儀する。
出先でご馳走されたら、必ず顔色を改めて立ち上がり、礼を言う。
急な雷や猛烈な風には、必ず表情を変え〔て謹慎す〕る。
アルファー:これが、「寝ぬるに尸せず」の語源なんですね。
孔子:そうじゃ。日本の古語でも「寝ぎたなし」と言うじゃろう? それにワシは政治の世界に身を置いたからの。いつ何時、間者や暗殺者が来ぬとも限らなかったのじゃ。その他の礼儀は、ご主君を敬うことを原則にしておる。それが論語の原則でもある。
16
車に乗る時には、必ず正面を向いて立ち、つり革を握る。
車内ではうつむかず、早口にものを言わず、誰かを指ささない〔失礼をしない〕。
アルファー:指ささないのはわかりますけど、他はどうしてですか?
孔子:君子、つま貴族の振る舞いは、路上の大勢の庶民が見ておる。君子は「荘」、つまり頼りがいが無くては政治が回らぬ。論語で貴族にはうるさくそう言うただろうが。それにサスペンションの無い時代、車とはうるさい乗り物じゃった。早口で言うては言葉が通じん。
アルファー:孔子の肖像・論語郷党篇はこれでおしまいです。みなさん、おつかれさまでした。
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