『論語と算盤』効力の有無はその人にあり
現代語訳
お金は貴いものだということについて、諺に「世の人は黄金で付き合う、黄金がないと付き合いは出来ない」というのは、友情という精神まで金が支配する事を示す。物質より精神重視の東洋思想から見れば堕落のようで、寒々しい思いがするが、これは現実の問題だ。
親睦会にも金が要り、久しぶりに友人と会うにも金が要る。飲み食いがなければ人脈開拓も友情を深めるのも難しいからだ。
また諺に「銭に従って阿弥陀は光る」と言い、賽銭の量に応じて仏の利益があると思い、「地獄の沙汰も金次第」という。金の効力は絶大だ。駅で一等の切符を買えば一等に、三等の切符を買えば三等に乗れる。これは貧乏だろうと金持ちだろうと変わらない。
どれほど金を積んでも、唐辛子を甘くは出来ないが、無限の砂糖を積めば辛みを消すことは出来る。普段難しいことを言う人も、金の話になるととたんに甘くなる。政界ではよくあることだ。こう考えると、金の力は実に偉大だ。
しかし金に意志はない。だから善用も悪用も使う者次第だ。昭憲皇太后*の歌にある、
「もつ人の心によりて宝とも 仇ともなるは黄金なりけり」
との教えは、実にありがたいものである。
しかし世人はとかく金を悪用する。だから古人も「凡人に罪はないが、財産をもつことが罪」とか、「貴族が財産を持つと人徳がダメになり、凡人が財産を持つと間違いが増える」と言う。
論語にも「富や地位は私にとって浮き雲のようなもの」とか、「稼げさえすればいいなら御者でもやるというのか*」とあり、『大学』には「徳が基本で財産はその後」という。こうした格言にはきりがないが、これは決して金を軽視していいという話ではない。
仮にも人として完全を目指すなら、まず金に対する覚悟が要る。金の効力が絶大な事実をよく考えなければならない。ここを重んじすぎても、軽んじすぎてもいけない。
孔子はこう言って、決して貧乏を奨励なさらなかった。
「まともな政治が行われているなら、貧乏で地位が無いのは恥だ。まともな政治が行われていないのに、財産や地位があるのは恥だ」「まともでない方法でそれを得たなら、長続きはしない」。
注
昭憲皇太后:1849-1914。明治天皇の皇后。諱(いみな)は美子(はるこ)。旧名は、一条美子(いちじょう はるこ)。
稼げれば…:これは渋沢翁が論語を誤読している。翁の解釈は上述の通りだが、孔子は「儲かるならやるよ」とはっきり言っている。
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