論語と算盤・現代語訳(29)仁義と富貴1

『論語と算盤』真正の利殖法

論語と算盤 つ

現代語訳

実業を何と考えたらいいか。世の商業・工業は利殖を図る行為に違いない。それがなければ何の公益もないから無意味だ。

しかし自分だけが儲かればいいとなると、孟子が言った「なぜ利益ばかり言うのか。世界には仁義だけがあるのに」「上下皆利益の亡者になれば国は危うい」「正義を後に利益を前にするようになれば、奪い合いの世の中になる」のようなことになる。

だから真の利殖は仁義道徳に基づかないと、永続しない。だがこう言うと、利益を薄くして欲を去るとか、普通人の外に立つとか誤解される。世間の利を思うのはいいが、それも一種の欲だから、その欲で働くのは俗物だ。それより仁義道徳に欠けないようにしなくてはならない。

中国の学問で言うと、千年前の宋時代の学者が、似たようなことを言い出している。順序よくものを考えないで、いきなり空理空論に走るから、利欲を去ったのはいいが、極端になってその人も衰え、国も衰え、ついにはモンゴルという野蛮人に征服されてしまった。

だから仁義道徳も悪くすると、国を滅ぼす。だからといって利益第一主義に走ると、ちょうどモンゴルの元王朝のようなことになる。自分さえよければいい、国はどうでもいいとなって、社会を顧みる人がまれになってしまった。これは中国ばかりか他国も同じだ。

だから利殖を図るのと仁義道徳が並立し矛盾しないようであって、始めて国家も個人も健全に発展し富んでいく。

現在の石油だろうと製粉だろうと人造肥料だろうと、利益を考えねば事業は発展しない。しかし事業が自己の利益に関係しない、損しようと得しようとそれは他人事だとなれば、事業は完全には進まないが、事業そのものは自分のものと考えると、発展させたい意志だけは残る。

これもまた自分さえよければいいという考えの一つで、世の中の大勢を考えず、事情を考察しないまま突き進んでも、必ず不幸な結果になる。昔ならまぐれということもあったが、現代のように規則的な世の中では、自分さえ、という考えでは、狭い改札口に人が殺到して誰も通れないような困難に陥ってしまう。

だから私は言う。事業を進めたい欲は、常に持っていなければならないが、それは道理に従って活動させるべきだ。この道理が、仁義道徳に沿うことで、欲望と道理が並行して進まねば、中国の衰微のようなことになりかねない。欲望はどのように突き詰めても、道理に合っていなければ、どこまでも奪い尽くす不幸な結果に陥るのだ。

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