『論語と算盤』何を真才真智と言うか
現代語訳
人が世を渡る上で最も重要なのは智恵だ。自分と国家の利益を目論むにも、知識なしでば進まない。とは言え、人はそれ以上に人格を養う必要がある。では人格とは何か。非常識な英雄豪傑にも、希に人格崇高な人がいるが、真才真智と言えるのは、多くは常識の発達による。
常識の発達に先ず必要なのは、自分の境遇に注意することだ。私は西洋の格言は知らないから東洋の古典から引くが、論語にはこの点を注意する教えが大小さまざまある。大聖人の孔子でも、この点に気を付けたし、他人にも自己と境遇の一致を説いた。
孔子「ひどい世の中だ。いかだに乗って海外に行ってしまおう。付いてくるのは子路だけかな」そう聞いて子路は喜んだ。しかしその喜びようが、子路の境遇に対する無知を示したから、「お前は勇気を好む事私以上だが、取り柄がない」と言って戒めた*。
もし子路が境遇をよく知るなら、「さあ、それもいいかも知れませんが、いかだの材料はどうしましょうか」と答えたら、孔子は我が意を得たりとして、では朝鮮や日本に行こうかとか言われたかも知れない。
またある時孔子が二三の弟子に、志を言うよう促すと、最初に子路が「一国を預かりたい。たちまちのうちに一国を繁栄させてみせる」とせわしく答えた。すると孔子は「アハハ」と笑った。次いで順次に答え、最後に曽点が「晩春の頃、若者や子供を引き連れて、川のほとりで歌を歌いたい」と言ったら、孔子は喜んで「私もそうしたい」と言った。
他の弟子が下がった後に曽点が、何故子路の答えを笑ったか尋ねると、孔子は「政治の基本は礼法だ。ところが勇を好むだけあって、子路の言葉には控えめさがない。抱負をはばかり無く言うのもいいが、礼法外れだ。だから笑った」と答えた。子路の分別のなさを笑ったのだ。
しかし孔子自身は、自分の強い自負を述べたこともある。宋国の将軍・桓魋が暴れ込んできた時、門人が恐怖する中で、孔子は「お前さんと違って天が味方に付いている。やられたりするものか」と言った。
また宋国からの帰途で大勢に囲まれ、この時も門人が恐怖したら、「周の文王はすでに没し、その文化は私と共にある。天が今ここで文化を滅ぼそうとするなら、後世の者はこの文化に触れることはできない。天がまだこの文化を滅ぼさないつもりなら、匡の住人如きが私に何が出来ようか」と言って、泰然としていた。
またある時、魯国公の祖先祭殿に入って、事あるごとに質問した。ある神主が笑った。「誰だ、あの乱暴者の子が礼法を知ると言ったのは」。だから孔子は言った、「これが作法なのです」と。
孔子は実に自分自身の境遇や地位をよく知り、道理正しく活用した。それが孔子の大聖人となった修養法に見える。つまり孔子のような人でも、場合によっては細事だろうと常に注意を怠らなかった。
だから真似をすれば誰もが聖人になれるとは言わないが、少なくとも常人以上にはなれるだろう。しかし世間はこの反対に走る者が多い。少し調子がいいと、すぐ図に乗って分不相応を考える。反対に少し困ると、自分の地位を忘れてしおれてしまう。
幸福に驕り災いに悲しむのが、つまりは凡人の常なのだ。
注
お前は勇気を…:頭のちょっとアレな朱子の解釈だとそうなるが、訳者はこの読みを間違いだと思う。「いかだの材料はどうしましょうか」の方が正しい解釈と思う。詳細は論語詳解098公冶長篇第五(6)道行われずを参照。
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