『論語と算盤』自ら箸を取れ
現代語訳
青年の嘆きには、大事業をしたいが頼みになる人がいないとか、引き立ててくれる人がいないとか、認めてくれる人がいないとかがある。なるほどどんな才能も、それを認める先人がいないと、手腕を発揮できない。だが幸運にして有力な先輩や親類を当てに出来るのは、一部の人に限られる。
それに並でない才能を持った人なら、有力な引きが無くても、世間が放置しておかない。現代社会はどこの組織を見ても、大変な人余りだが、それでもこの人について行けば大丈夫、という先輩はいない。だからどこの組織も、優良な人材を欲しがっている。
このようにお膳立ては整っているのだから、それを食べるかどうかは箸を取る人の決意次第だ。お膳を整えた上に箸まで取って食べさせてくれるほど、世間も先輩も暇ではない。秀吉は底辺から身を起こして、関白という最高の地位にまで昇った。しかし信長に箸を取って食わせて貰ったわけではない。何か事業をしようとするなら、自分で箸を取るしかない。
後輩に仕事を与えるにしても、未経験な者に始めから重い仕事を与えはしない。秀吉ほどの大人物でも、始め信長は草履取りをやらせた。今の高学歴者には、帳面付けのような小僧仕事を与えやがって、どいつも人物の経済的活用を知らない、と不平を言う人がいるが、これは全然当たっていない。
なるほどひとかどの人物につまらぬ仕事を与えるのは不経済だが、この不利益を敢えてする、大きな理由がある。後輩たる者それを知って、与えられた仕事を丁寧に行うべきだ。
つまらぬ仕事に不平を言って辞めてしまえばそれまでだが、仕事を馬鹿にしてさぼるのもまたダメだ。全て仕事というものは大きな事業の一部分で、小さな仕事もうまく処理されないと、事業に支障を来す事になる。時計の小さな針や歯車が、怠けて働かなければ時計にならない。
資本金何百万円*といった銀行も、一厘一銭の勘定が合わないと、その日の業務が終わらない。若いうちは気が大きくて、小さな事を見ると馬鹿にしがちだが、それがその時だけで済めばいいが、のちになって大変な結果にならないとは限らない。
仮に大問題にならなくても、小事を粗末にするような雑な人は、所詮大事を成し遂げる事は出来ない。水戸光圀公が壁書きに、「小さな事は分別せよ。大きな事は驚くな」と書いたのは、商業だろうが軍事だろうが、何事もこの考えで掛からねばダメだということだ。
ことわざに「千里の道も一歩から」というが、仮に自分はもっと大きな事業をするのだと自信があっても、その大事は小さな事の積み重ねだから、どんなことでもバカにせず、勤勉に忠実に仕上げなければならない。秀吉が信長に引き揚げられたのも、これが理由だった。
まじめな草履取りだったから小部隊を任され、小部隊で成果を上げたから信長が感心して、柴田や丹羽といった宿老と肩を並べたのだ。だから受付だろうと帳簿付けだろうと、与えられた仕事にその時の全生命を掛けるようでなくては、成功者への運は開けない。
注
何百万円:戦間期の貨幣価値は、金価格で換算したおおむね3、200倍すれば、感覚的に合う。
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