『論語と算盤』:はじめに

『論語と算盤』とは

『論語と算盤』は、新一万円札の肖像になる、明治大正期に活躍した日本の実業家・渋沢栄一の講演を、弟子の梶山彬がまとめて書籍にしたもの。日本の資本主義の父と呼ばれる渋沢翁が、利殖と道徳は共に進まねばならないと痛感し、道徳の基本を論語に採ったのでこう名付けられたという。

始めにおことわりを申し上げるが、本書は決して読んで面白い本ではない。読んでビジネスの種になる本でもない。それどころか半分以上は、実につまらない老人の繰り言に過ぎない。しかしそうなったのは渋沢翁のせいではなく、講演を無理に本に仕立てたことにある。

著書をお持ちの方にはご存じだろうが、何事かを世間に言いたい事があっても、それはただ一言で言えてしまうものだ。しかしそれでは本屋が納得せず、本にはならないし読者も得られることはない。だからただ一言の言いたい事に、下らない理屈を長々付けねばならない。

本を書いていてもこれは全く苦痛で、私は二度とやりたくないと思っている。『論語と算盤』の場合は、すでにしゃべった言葉を弟子がまとめたのだから、渋沢翁にはなんの手数もないだろうが、何かを期待して読もうとする読者にとっては、はなはだ苦痛になるに違いない。

繰り返す。私はここで、無料で全文を現代語訳して公開するが、決して読んで面白くもなく、万が一、人格上ためになるかもだが、金が儲かったり出世したりすることはない。もし会社や上司の命令で、イヤイヤながら読まされる向きは、何ともお気の毒と申し上げる。

『論語と算盤』が救おうとしたもの―バカと助平と欲タカリの集まり

読んでも効果がないことは、本書の論旨と史実が証している。まず渋沢翁が『論語と算盤』で説くのは金儲けの方法ではなく道徳であり、功利面からは意味がない。そして三井三菱と言った財閥の当主と異なり人道家としても聞こえた翁が、声をからして説いてどうなったか。

大正から昭和の前半までの時代は、まじめに調べると目を覆いたくなるような破廉恥に充ちている。小学校の校長が教え子の女児を犯したり、一家何人殺しとかの新聞記事が、それこそ毎週のように出て来る。載せられた広告も顔が赤くなるようなインチキと性欲に充ちている。

素直に当時の新聞を読むのなら、この時代の日本はバカと助平と欲タカリの集まりに見える。だからこそ渋沢翁は憂いて、論語や道徳を経済人に説き、一般人にも説いて回ったのだが、その結果はどうだったか。バカと助平と欲タカリは改まらず、バカげた戦争*をするに至った。

渋沢翁は日本人への遺言のように『論語と算盤』で、道徳の退廃がこのまま進めば国が亡ぶと説いている。その憂いたとおりにその後の日本はなっていった。その意味では正反対に外れた予言の書であり、バカと助平と欲タカリに聞かせたところで、まるで効果のない話だった。

というわけで実利にもならず、道徳的にも『論語と算盤』を読んで、人格が成長するかと言えば極めて心細い。それでもあなたは読むのですか。どうしてそこまでして読むのですか。私はただ時流に乗るために、ここに『論語と算盤』の全部訳を載せるに過ぎないというのに。

『論語と算盤』付記

底本は子爵渋沢栄一著『論語と算盤』東京 忠誠堂 昭和二年発行初版。
原文のかな・漢字は新仮名遣い・現行漢字に改めた。
また、原文の一部を独自判断で書き改めた。(原文公開終了)

*バカげた戦争
変なことが起こらないように書いておく。罪のない赤ん坊まで焼き殺され、私のじいさんの戦友は、あるいは北蒼南溟に、あるいは凍り付いた満州に、あるいは乾き切った大陸に、あるいは蒸し暑い南方の草むらに、手当もなく放置され、骨をさらして弔う人もない。

私の父母は、アメリカが投げ落とした焼夷弾に焼かれながら、火の粉の舞うまちをさまよい、翌朝黒こげになった死体の山を見た。地獄だ。現代ではとんでもない言いがかりをとんでもない国に付けられ、稼いだ金は吸い取られ、名誉も実利も失った。こんなバカげた戦争が、他にあってたまるものですか。

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