『論語と算盤』大立志と小立志との調和
現代語訳
生まれつきの聖人なら別として、我々凡人は志を立てようにも、何かと迷うのが普通だ。その時の社会風潮や周囲の事情によって、うかうかと自分に向いていない方面へ乗り出すようなこともあるが、それでは本当に志を立てた事にならない。
特に現代のように、世の中がカッチリと秩序立っていると、一度立てた志を途中で転換するような不利益があるから、志を立てる当初に、最も慎重になる必要がある。その工夫としては、まず冷静になって自分の長所短所を把握して、一番得意な分野に志すといい。
それと同時に、自分の境遇がその志を実現できるかも考えねばならない。例えば身体強健・頭脳明晰でも財力がなければ、学問の道で志を遂げるのは困難になる。だからこれなら一生やっていけると見込みの立つ分野で、自分の方針を決めるといい。
ともするとその時の世間の風潮に乗って、あまりよく考えないで駆け出すような人もいるが、これでは到底成功の見込みはないと思う。
さてすでに志が立ったら、その枝葉になる小さな志の実現に向けた工夫が必要になる。誰でも毎日、何かしたいという思いを抱くが、それがここで言う小さな志だ。例えば成功者を見て、ああなりたいと思うのもその小立志だ。その小立志にも工夫が要る。
この工夫とは、一生を通じた大立志に、小立志が矛盾しないようにする事だ。小立志は毎日の事だけに、とかくぶれやすい。そのぶれが大立志に及んではならず、両者は常に調和して一致しなければならない。
ここで先人の、立志の工夫を見てみよう。私が普段生きる上での基準にしている論語を読み、孔子の立志を読み取ってみると、「吾十有五にして学に志し…」とある事から推測すると、孔子は十五で志を立てたらしい。しかし「学に志し」が、一生そのつもりだったかは疑問だ。
これはただ、大いに学問しなければならないという程度の事ではないだろうか。続いて「三十にして立つ」と言われたのは、この時すでに自立して、身を修め家を整え国を治め天下を平定する自信を持ったのだろうと思うが、「四十にして迷わず」とも書いてある。
つまりその歳になって、一度立てた志が、環境の刺激によって動かされる事がなくなったという境地にいたり、どこまでも自信を持って行動できるとの見込みが立ったという事で、この歳でやっと志が実を結び、固まってしまったと言っていいだろう。
となると孔子の立志は、十五から三十歳の間にあったのだろう。学に志すと言われた頃には、まだいくらかぶれがあった。しかし三十になって少し決心が固まり、四十になってやっと立志が固まったのだろう。
要するに立志とは、人生という建築物の骨組みで、小立志はその飾りだから、最初に大立志の組み合わせをよく考えておかないと、後になって建築物の半分が途中で壊れるようにならないとも限らない。これほどまでに立志は、人生にとって大切な出発点だ。
だから立志は誰にとっても軽んじるわけにはいかず、よく自分を知り、身の程を考え、それに応じた適切な方針を決めるほか無い。誰でもこのように身の程を知って進むように心掛ければ、人生を間違う筈は万一にもないと信じる。
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