論語と算盤・現代語訳(24)常識と習慣3

『論語と算盤』習慣の感染性と伝播力

『論語と算盤』習慣の感染性と伝播力

現代語訳

習慣とは普段の行いが重なって習いが性となるのだから、悪い習慣を持てば悪人に、よい習慣を持てば善人になる。だから誰しも普段から心掛けて、よい習慣を養うことが必要だろう。

さらに習慣は当人だけでなく、他人にも感染する。どうかすると人は、他人の習慣を真似したがるからだ。それがよい習慣ならよいが、悪い習慣だと警戒が要る。とりわけ言葉や動作は伝染力が強い。例えばある新聞が新語を掲げると、他の新聞が真似して一般に定着してしまう。

最近では「ハイカラ」とか「成金」とか言うのがその例だ。婦女子の言葉も左様で、近頃の女学生が「よくッてよ」とか「そうだわ」とかいったたぐいの言語を用いるのも、ある種の習慣が伝播したものと言っていい。

また昔はなかった「実業」という言葉も、今日ではもう習慣だ。「壮士」という言葉も、字面から見れば壮年の人であるべきだが、今は老人を指しても壮士といい、誰も怪しむ者がいない。いかに習慣の感染性と伝播力が強いか、これでわかるだろう。

ここから推測すると、一人の習慣が天下の習慣になりかねない。だから習慣に対しては深い注意をし、また自重して貰わねばならない。

習慣はとりわけ少年にとって大切と思う。記憶の面でも少年時代の若い脳に記憶したことは、老後になっても明瞭に覚えているものだ。私についても何を覚えていると言って、経書でも歴史でも少年時代に読んだ本を一番欲覚えている。昨今読んだのはすぐ忘れてしまうのに。

だから習慣は少時代が大事だというのだ。一旦染みついたらそれは個性になって、終生変わることがない。それに少年期から青年期にかけての時期は、非常に習慣が染みつきやすい。だからこの時期によい習慣を付け、それを個性にしたいものだ。

私は青年時代に家出をして天下を放浪し、比較的気ままな生活をしたのが習慣となって、後々まで悪習慣が直らなくて困った。日々直したいという思いでいたから大部分は矯正できたが、悪いと知りつつ改まらないのは、つまりは克己心が足りないのだ。

私の経験上、習慣は老年になっても重大で、それだけに青年時代の悪習慣も、老年になってでも努力すれば改まるから、今日のような変化の早い時代には、なおさらこの心がけで自重していかねばならない。

悪習慣は、不注意の間に出来る。だから大事に出くわすと、それを改められるのだ。例えば朝寝の習慣がある人は、常時には中々直らないが、戦争とか火事に出くわすと、どんなに寝坊でもそれが改まる。普段は習慣を些細なことと思うから、大事に至るまで直らないのだ。

だから老若男女を問わず、心を止めてよい習慣を養わねばならないのだ。

『論語と算盤』偉い人と完(まった)き人

『論語と算盤』偉い人と完き人

現代語訳

歴史上の英雄豪傑には、知情意の釣り合いを失った人が多いようだ。意志は強いが知識が足りないとか、意志と知識はあったが情愛に乏しかったとかは、彼らの中にいくらでもいた。こういうのはどんな英雄豪傑でも、常識人とは言えない。

確かに一面から見れば非常に偉い人で、凡人の及ぶところではないが、偉い人と完き人とは大いに違うのだ。偉い人には性格に欠陥があっても、それを覆い隠すほどの超絶した才能があるから、完全な人と比べると、これは言わば変態である。

対して完き人は知情意が円満に揃っており、言わば常識人だ。私は無論偉い人が世に出ることを望むが、社会の大多数の人にはむしろ、完き人になって貰いたい。つまり常識人が多いのを希望する。

と言うのも、偉い人の使い道は限られているが、完き人なら世間に幾らでも需要があるからだ。社会の仕組みが今日のように整頓され発達した時代には、常識に富んだ人がたくさんいて働いて貰えれば、それで何の不足もない。しかし偉い人の出番はごく特殊でしかない。

そもそも青年期は情緒が安定せず、変わったものを好んで突飛な行動に出がちになる。それは加齢と共に落ち着くが、青年の心は浮ついている。ところが常識とは平凡でもある。だから青年に常識をわきまえろと言っても、その好奇心とはそぐわないだろう。

偉い人になれと言われれば喜ぶが、完き人になれと言っても苦痛だろう。しかし政治がまともになるには国民の常識が必要で、産業の発達も経営者の常識にかかっている。ならばいやでも常識の修養に熱中すべきが当然ではないか。

社会の実際を見るがいい。政界でも経済界でも、深く奥深い学識より、むしろ健全な常識がある人が支配している。だから常識が偉大であるとは、言うまでもないことだ。

付記

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