『論語と算盤』大正維新の覚悟
現代語訳
維新とは何かといえば、殷王朝開祖の湯王の青銅器、盤(水鏡に用いる平らな器)にこう刻んである。「ひとつひとつ毎日新しく、日に日に新しく、翌日もまた新しく*」という意味だから、元気はつらつと気力を発揮し、自然とわき起こる進取の精神を言う。大正維新と言ってもやはりこの精神で、身分の上下無く一体となってその活動をしたいものではある。
しかしこの頃の世間はというと、何かと保守的・引き籠もりの世の中だから、維新をするなら一層の努力が要る。やるならるで、維新の大人物に見習う他はない。明治維新の企てには、失敗に終わったのもあったが、ともかく巨大な元気と精神力で発展したには違いないのだから。
青年時代は血気盛んだから、それを善用して後日の幸福につながるなら、縮こまって陰気くさい老人が、危険を感じるぐらいにやって欲しいものだ。青年時代に失敗を恐れているようでは、将来の見込みはない。正義と信じたところに従い、岩をも打ち砕くつもりでやって頂きたい。
そのような志なら、どんな困難も突破できる。失敗しても、それは不注意の結果だから、後ろ暗くないなら、却って多大の教訓を得る事が出来よう。そのようにして一層の自信と勇気を手にし、年齢と共に役立つ人材となり、個人としても社会にとっても、信頼される人物となる。
将来国を背負って立つべき青年は、ここで大きな覚悟をして、次第に激烈化する競争の場に飛び込まねばならない。現在のような状況が続けば、未来がない事を自覚し、後になって後悔しないよう望む。維新の混乱期に比べれば、現在の方がまだ環境が整っている。事業を興すにもやりやすいはずだ。
そこで周到に計画して活力を発揮すれば、大事業を経営する愉快を感じられるだろう。ただしこのように秩序だち、教育も普及した社会では、少しばかりの進歩や意気込みでは、大勢を動かす事は出来ない。大いに勇猛心を発揮し、チマチマとした悪習を打破して、向上の道を猛進しなければならない。
注
願わくば…:原文「苟(まこと)に日に新たなり、日に日に新にして、又日に新たなり」。実際にその青銅器が残っているわけではなく、儒者のでっち上げの可能性も大いにあるが、ここでは問わない。この漢文の解釈もいかようにもできるが、ここでは「苟」を”ひとつひとつ”の意味に取った。
「苟」は『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、句(ク)・(コウ)は「勹(つつむ)+口」の会意文字。小さく区切ってまるめこむこと。苟は「艸+(音符)句」で、とりあえず草でしばってまるめること。小さくまとめるの意を含む。▽敬の字の左の部分(キョク。ぐいと引きしめる)は別字。
拘(コウ)(とらえこむ)・区(ク)(小さく区切ってかこむ)・辧(コウ)(竹で小さくかこんだやな)などと同系のことば、という。語義・語法は以下の通り。
- {形容詞・副詞}かりそめ。とりあえず小さくまるめて一時のまにあわせにするさま。また、いいかげんに当座をやりすごすさま。「苟安(コウアン)」「苟且(コウショ)」→語法「3.」。
- {動詞}いやしくもする(いやしくもす)。かりそめにする(かりそめにす)。とりあえずまるめこむ。いいかげんにすませる。「一筆不苟=一筆も苟もせず」。
- {副詞}まことに。→語法「2.」。
- {接続詞}いやしくも。→語法「1.」
語法
- 「いやしくも」とよみ、「もしも」「かりに~」「ほんとうに」と訳す。順接の仮定条件の意を示す。「丘也幸、苟有過、人必知之=丘や幸ひなり、苟(いやし)くも過ち有れば、人必ずこれを知る」〈私はしあわせだ、もし過ちがあれば、人がきっと気付いてくれる〉〔論語・述而〕
- 「まことに」とよみ、「そのつど」「ひとつひとつ」と訳す。行為・動作に区切りをつける意を示す。「苟日新日日新=苟(まこと)に日に新たにして日日に新たなり」〈一日一日とみずからを新しくし、また一日一日と新しくする〉〔大学〕
- 「かりそめに(も)」とよみ、「とりあえず」「なんとか」「せめて~」と訳す。▽「いやしくも」とよんでもよい。「生亦我所欲、所欲有甚於生者、故不為苟得也=生もまた我が欲する所なれども、欲する所生より甚だしき者有り、故に苟(かりそめに)も得るを為さざるなり」〈生命も自分の欲するものだが、生命以上に欲するものがある、それ故、生命を欲していたずらに生きながらえようとはしないのである〉〔孟子・告上〕
コメント