『論語と算盤』社会と学問の関係
現代語訳
学問と社会の間に、それほど大きな矛盾は無いが、学生時代の想像があまりに過大だから、面倒な実社会の状態を実際に見て、意外に思うものだ。
現在の社会は昔と違って、色々と複雑になっている。同様に学問の世界も多くの科目に分かれて、政治、経済、法律、文学、または農学とか商学とか工学というように区分され、しかもその学科内でも、工科の中に電気、蒸気、建築、採鉱、冶金などの各分科があり、比較的単純に見える文学でも、哲学とか歴史とかいろいろに分かれて、教育に従事するもの、小説を作るもの、それぞれ希望に従って非常に複雑だ。
だから実社会で各自が活動する筋道も、学校にいた時机上で見たようにはっきりと分かれてはいないから、何かと選択を迷いやすく間違えやすい。学生はこの点に注意して、実社会を大まかに把握した上で、世の大きな流れを見間違えず、自分の立場を決めねばならない。
つまりは、自分と他人の立場を、相対的に見るのを忘れない事だ。
そもそも人情の常として、すぐに出世しようとして大きな流れを忘れて、その場の出来事にこだわって、僅かな成功で満足するかと思えば、さほどでもない失敗に落胆する者が多い。学校の卒業生が社会の実務を軽んじて、社会の事実を誤解するのは、たいていこれが理由だ。
その参考として、学問と社会の関係について言うと、それは地図を見るのと実際に歩くとの違いに似ている。地図を見れば世界も一目瞭然で、一国一村も手の上にあるように思う。参謀本部の地図*は非常に精密で、小川・小丘から土地の高低傾斜まで分かるように出来ているが、実際に歩くと予想外の事が多い。
それを深く考えないで、十分知っているつもりになって、さて現場に出てみると、あまりに広くて大層迷う。山は高いし谷は深いし、森林は連なり河は広く、道を尋ねながら歩くと高い山岳に出くわし、それほど登っても頂上に行けない。あるいは大河に遮られて途方に暮れる。あるいは深い谷に入っていつ出られるか分からない。到る所に困難な場所を発見する。
このような時に十分な信念が無く、大まかな流れを読む智恵がないと、失望落胆して勇気は出ず、自暴自棄におちいって、野山の区別無く狂い回る事になって、しまいには不幸な終わりを迎える事になるだろう。
この例は、学問と社会の関係に応用してみれば、すぐに理解できると思う。とにかく社会は複雑で、それを前もって十分理解しどんなに用意をしておいても、実際には意外な事になることが多いから、学生は普段から一層の注意を払って実社会を研究しておくべきだ。
注
参謀本部の地図:現在の国土地理院地図は、もとは陸軍参謀本部が測量して作製した。
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