佞(ネイ・7画)
「説文解字」篆書/漢印徵
初出:確実な初出は後漢の説文解字。「年」を「佞」と釈文する例は戦国の竹簡に例がある(清華七・越公其事47など)が、字形はあくまでも「年」。
字形:字形は「亻」+「二」+「女」で、『説文解字』では、「信」の「言」を「二+女」に変えた字とされる。しかし遺物の字形は「亻」+「二」+「交」の略体で、ころころと言うことを変える、二言ある者の意。
音:カールグレン上古音はnieŋ(去)で、同音に寧、寍(寧の古字)、濘(ぬかるみ、清い)。
用例:論語に次ぐ文献上では、『孟子』『荘子』『荀子』に用例がある。
論語時代の置換候補:寧は丁寧の寧で、”ねんごろ”の意がある。つまり”口車”の意でなければ、置換候補になりうる。また年nien(平)は、「佞に通ず」と『大漢和辞典』が言うが、その語義は春秋時代では確認できない。
備考:「漢語多功能字庫」には見るべき情報がない。
加地伸行によると、もともと仁は、民間の拝み屋としての儒者が、客におもねることを指し、女性の儒者=巫女がおもねりを言うのを、仁に女を足して佞といったという。だが加地は根拠を一切言っていない。つまり口からの出任せに過ぎず、真に受けられない。
孔子の好み如何に関わらず、「佞」”口車”は論語の時代の君子にとって、必須の技能になりつつあった。詳細は論語公冶長篇4解説を参照。
また「佞」を孔子が嫌った発言は論語の中に多いが、文字史から全て後世の偽作とすべき一方で、「佞」を嫌う動機は儒者側に十分あった。「佞」の字が定着し始めた漢の時代、いわゆる儒教の国教化が始まったのだが、それを推進した前漢の武帝は、国費を戦争で乱費し、気分次第で家臣を家族ごと皆殺しにする、完全無欠の暴君だった。
そんな武帝の気に入るようなことばかり言い、お気に入りになったお笑い芸人に、東方朔がいる。まじめに勉強したり役所仕事に励む者にとって、東方朔が好意的に見えるはずが無い。儒者は武帝やそのお気に入りの悪口を書いたら皆殺しだから、代わりに「佞」をさかんに非難し、それも自分の口で言わず孔子に言わせた。
『史記』では東方朔を「佞幸列伝」(ゴマスリ男列伝)には敢えて入れず、「滑稽列伝」(話のうまいもの列伝)に入れて持ち上げているが、武帝の機嫌を損ねてナニをちょん切られた司馬遷は、東方朔と武帝を怒らせたら今度は首をちょん切られると分かっていたから、持ち上げて書くしか無かった。鵜呑みには出来ない。
「佞」についてさらなる情報は、論語衛霊公篇11余話を参照。
学研漢和大字典
会意兼形声。「女+(音符)仁(ニン)」。仁と佞は同系のことばだが、仁は、人ずきがよく親切なの意に傾いたのに反して、佞は、口先だけが巧みで、人あたりはよいが、心中は知れないの意味に傾いた。
語義
- (ネイナリ){形容詞}人あたりがよくて、口先がうまいさま。「佞者(ネイシャ)」「仁而不佞=仁にして佞ならず」〔論語・公冶長〕
- (ネイス){動詞}口先うまくとり入る。おもねる。「佞給(ネイキュウ)」。
- 「不佞(フネイ)」とは、自分のことをへりくだっていうことば。
字通
[形声]声符は(二+女)(ねい)。〔説文〕十二下に字を女部に属し、「巧みに讇(へつら)ふ高材なり。女と信の省に從ふ」とするが、金文の人名にの字があり、声の字とみてよい。その字は女の肩のところに符号的に重点を加えた形で、おそらく佞の初文であろう。もと神につかえる才のある女をいう字と思われる。神につかえる才の及ばぬことを不佞といい、春秋期には〔左伝、成十三年〕「寡人(くわじん)不佞」のように、王侯自ら謙称として用いた。のちよく人につかえるものの意となり、諂佞・姦佞の意となる。〔論語、先進〕に「是の故に夫(か)の佞者を惡(にく)む」の語がある。
甯(ネイ・12画)
『説文解字』篆書
初出:初出は後漢の『説文解字』。
字形:「小学堂」では異体字に「寍」。字形は「宀」”屋根”+「心」+「用」で、おそらく『字通』の言う通り、祖先祭殿で心を込めて祈ること。原義は”ねんごろに”。
音:カールグレン上古音は不明だが、藤堂音では寧と同音neŋ(去)で、”やすい・むしろ”の意で音通する。「寧」も参照。
用例:論語に次ぐ用例は、戦国末期の『荀子』解蔽篇に人名として出る。
論語時代の置換候補:同音の「寧」で、その初出は甲骨文。
学研漢和大字典
形声文字で、「用+(音符)寧(ネイ)の略体」。副詞としては”むしろ”。二つのもののうち、一方を選ぶ、また、片方になることを願うの意をあらわすことば。いっそのこと。▽訓の「むしろ」は、「もし(若し)+ろ(接尾語)」からできたことば
語義
- {副詞}むしろ。二つのもののうち、一方を選ぶ、また、片方になることを願うの意をあらわすことば。いっそのこと。▽訓の「むしろ」は、「もし(若し)+ろ(接尾語)」からできたことば。《同義語》⇒寧。「悠可如此=悠ろ此くのごとくなるべし」。
- 「悠渠(ネイキョ)」とは、疑問・反問をあらわす副詞。なぜ。どうして。▽訓読では、「なんぞ」「あに」「いづくんぞ」と読む。
- {形容詞}心のやすらかなさま。ねっとり落ち着いたさま。▽平声に読む。《同義語》⇒寧。
字通
甯
「寧」の異体字。
寍
[会意]宀(べん)+心+皿(べい)。宀は廟所。皿上に犠牲の心臓をのせて祭り、寧静を求める儀礼の意。〔説文〕七下に「安らかなり」とし、「心、皿上に在り。人の飮食の器なり。人を安んずる所以(ゆゑん)なり」と説くが、宀は廟屋。人に対する行為をいう語ではなく、安寧を祈る意である。〔説文〕には他に寧五上は「願ふ詞なり」、また甯(ねい)三下は「願ふ所なり」とあり、寧安の字には寍をあてている。卜文・金文には寍・寧を同義に用い、卜文にはときに丂(こう)を加える形のものがある。おそらくもと一字、のちには寧の字を用いる。
寧(ネイ・14画)
甲骨文/耳卣・西周早期
初出:初出は甲骨文。
字形:「宀」”屋根”+「皿」+「丂」”木柄”。器物や長柄道具を丁寧に倉庫に保管するさま。原義は”やすらか”。
慶大蔵論語疏は異体字「〔宀心罒丿〕」と記す。「魏元寧墓誌」(北魏)刻。
音:カールグレン上古音はnieŋ(平)。
用例:「甲骨文合集」13372に「癸卯卜𡧊貞寧風」とあり、”おだやか”と解せる。
「漢語多功能字庫」によると、甲骨文では原義に、また地名に用いた。春秋までの金文では”見舞う”(盂爵・西周早期)の意に用い、戦国の金文では原義に(中山王圓壺・戦国早期)、”乞い願う”に(中山王鼎・戦国末期)用いられた。
学研漢和大字典
会意兼形声文字で、寍は「宀(やね)+心+皿」をあわせて、家の中に食器を置き、心を落ち着けてやすんずるさまを示す。丂印は語気ののび出ようとして屈曲したさまで、やはりこちらに落ち着こうという語気をあらわす。寧は「亜印+〔音符〕寍(ネイ)」。▽清(シン)朝では宣宗*(センソウ)のいみな(旻寧)をさけて甯と書く。
*宣宗:道光帝。
語義
- {形容詞}やすらか(やすらかなり)。やすい(やすし)。じっと落ち着いている。がさつかない。じっくりしてていねいな。《同義語》⇒悠(ネイ)。《対語》⇒危。「安寧」「丁寧」「百姓寧=百姓寧し」〔孟子・滕下〕
- {動詞}やすんずる(やすんず)。落ち着けて静かにさせる。安心させる。また、転じて、両親を見舞って安心させること。「寧国=国を寧んず」「帰寧(キネイ)(とついだ娘が里の親を見舞うこと。里帰り)」。
- {接続詞}むしろ。→語法「①」。
む{副詞}なんぞ。いずくんぞ(いづくんぞ)。→語法「③」▽「み~む」は去声に読む。{形容詞}やすらか(やすらかなり)。やすい(やすし)。じっと落ち着いている。がさつかない。じっくりしてていねいな。《同義語》⇒悠(ネイ)。《対語》⇒危。「安寧」「丁寧」「百姓寧=百姓寧し」〔孟子・滕下〕 - {動詞}やすんずる(やすんず)。落ち着けて静かにさせる。安心させる。また、転じて、両親を見舞って安心させること。「寧国=国を寧んず」「帰寧(キネイ)(とついだ娘が里の親を見舞うこと。里帰り)」。
- {接続詞}むしろ。→語法「①」。
- {副詞}なんぞ。いずくんぞ(いづくんぞ)。→語法「③」▽「5.~6.」は去声に読む。
語法
①「むしろ」とよみ、
- 「どちらかといえば~のほうがましだ」と訳す。好ましくない両者のうち一方を選択する意を示す。▽「むしろ」という訓は「もし+接尾語ろ」に由来し、もしどちらかといえば、の意。▽「寧~無…=むしろ~するとも…するなかれ」「寧~不…=むしろ~するとも…せず」と多く用いる。「寧」の下のものがましなものとして選択される。「寧為鶏口無為牛後=寧ろ鶏口と為るも牛後と為る無(な)かれ」〈鶏のくちばしとなっても、牛の肛門にはなるな〉〔史記・蘇秦〕
- 「~よりは…のほうがよい」と訳す。選択の意を示す。▽「与其~寧…=その~(ならん)よりは、むしろ…(なれ)」と多く用いる。「礼与其奢也寧倹=礼はその奢(おご)らんよりは寧ろ倹なれ」〈礼ははでやかにするよりも、ひかえめのほうがよい〉〔論語・八佾〕
②「無寧」は、「むしろ」とよみ、「いっそ~のほうがよい」「~が願わしいではないか」と訳す。願望の意を示す。▽「無寧~乎=むしろ~せんや」と多く用いる。「且予与其死於臣之手也、無寧死於二三子之手乎=かつ予(わ)れその臣の手に死なん与(よ)りは、無寧(むしろ)二三子の手に死なん」〈それにわしは、家来などの手で死ぬよりは、むしろお前たちの手で死にたいものだね〉〔論語・子罕〕
③「いずくんぞ」「なんぞ」とよみ、「どうして~であろうか」「まさか~ではあるまい」と訳す。反語の意を示す。▽今の北京語の犠(ナア)に当たる。「王侯将相、寧有種乎=王侯将相、寧(いづ)くんぞ種有らん」〈王侯でも将軍・宰相でも、決まった家柄などあるものか(なろうとすれば誰だってなれる)〉〔史記・陳渉〕
字通
会意文字で、宀(べん)+心+皿(べい)+丂(こう)。宀は廟。皿上に犠牲の心臓を載せ、之れを高く揚げている形。〔説文〕五上に「願ふ詞なり。丂に從ひ、寍(ねい)聲」とするが、もと寍と同字であろう。〔説文〕はまた別に寍・甯(ねい)を出だし、甯三下にも「願ふ所なり」とあって、祈願の意とする。寍七下に「安らかなり」と訓するが、みな安寧を願い祈る字で、もと同字と考えられる。「むしろ」「なんぞ」は乃などと音が通じ、仮りて用いる用法である。
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