論語と算盤・現代語訳(21)立志と学問10

『論語と算盤』一生涯に歩むべき道

論語と算盤 一生涯に歩むべき道

現代語訳

私は十七歳の時に、武士になりたいとの志を立てた。と言うのは、当時の実業家はひたすら百姓町人とバカにされて、世の中から殆ど人間以下の取り扱いを受け、いわゆる歯牙にも掛けないというありさまだったからだ。

しかも家柄がむやみに重視され、武家に生まれれば知能のない者でも社会の上位を占め、好きなように権力を張って威張れたのだが、私はこれが癪に障って仕方がなかった。だから同じ人間に生まれたからには、何が何でも武士にならねばと思った。

その頃私は、少々漢学を学んでいたのだが、日本外史などを読むにつけ、政権が朝廷から武家に移った経緯をはっきり知るようになってからは、そこに世を憤る気分が生まれて、百姓町人として生涯を終えるのがいかにも情けなく思われ、一層武士になろうと決意した。

しかもその目的は、武士になってそれで終わりではなかった。武士になって、当時の政体をどうにか動かす事は出来ないものかという、今で言えば政治家になりたいという大望を抱いた。しかしこれが、郷里を離れて四方を放浪する間違いをしでかした原因だった。

こうして後に大蔵省に入るまでの十数年間というもの、私が今思えば無意味な時間を過ごした。今でも痛恨の思いがする。

ここで自白すると、私の志は青年時代にしばしばぶれた。最後に実業界で身を立てようとしたのはようやく明治四、五年ぐらいのことで、今から思えばこれが真の立志だった。元々自分の能を考えても、政界に行こうとするのは短所に突進するようなものだと、この時やっと気が付いた。

それと同時に感じたのは、欧米列強が今のような繁栄に至ったのが、全く商工業のおかげであることだ。日本もこのままでは、いつになったら列強と並ぶ日が来るのか、だから国家の為に商工業を発展させたいと願って、やっと実業界に入ろうと考えたのだ。

そしてこの時の志は、後の四十余年一貫して変わらなかったから、私にとっての真の立志はこの時だったのだ。

振り返るとそれ以前の立志は、自分の才能に不相応な、身の程知らずの立志だったから、しばしばブレを生んだのだ。それと同時にその後の立志が、四十余年間ブレないところから見れば、これこそ自分の素質に合った、才能に応じた立志だったと知る。

しかしもし自分に自分を見る智恵があって、十五六歳のころから本当の志が立ち、始めから商工業に入っていれば、後年実業界に入った三十歳頃までには、十四五年の時間があったのだから、その間には商工業への素養も十分に積む事が出来ただろう。

もし仮にそうだったら、あるいは現在の実業界での私の位置より、もっと上の私がいたかも知れないが、残念な事に青年時代の若気の至りで、肝心の修養時代を見当違いの方向で消費してしまった。

ここから見ても、今志を立てようとする青年は、私の失敗を見て戒めとするがいいと思う。

窮すらば則ち独り其の身を善くし、達すらば則ち天下の善を兼ぬ。 孟子
(行き詰まったら自分自身を高め、出世したら天下に善を及ぼす事を合わせ行う)

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