論語と算盤・現代語訳(42)理想と迷信5

『論語と算盤』修験者の失敗

論語と算盤 つ

現代語訳

私が十五の時だった。姉の一人が発狂し、二十という娘盛りでありながら、女性にあるまじき行動をしたので、両親も非常に心配した。しかし女のことだから、他の者に世話をさせる訳に行かず、私は狂った姉のあとをついて歩き、さまざま悪口を言われながらも、心から世話をしたので、その頃近所で評判になった。

親戚も心配したが、そのうち父の実家は迷信家だった。祟りがあるから祈禱すると言って勧めたが、父は迷信嫌いだったから、なかなか受け入れなかったが、そのうち転地療養を兼ねて、上野の室田という所へ行った。ここに滝があって、打たれるとつきものが取れるという。

そのうち父が出ている間に、母が親戚の迷信家に説き伏せられて、遠加美講というのを招いてお祓いすることになった。私も父同様迷信嫌いだったので、激しく抵抗したが十五の子供で、叔母に叱りつけられてしまって意見が通らなかった。

さて三人の修験者が来て、神の拠り代に人が要るので、近頃雇った飯炊き女を出した。その女に目隠しして、室内にはしめ縄を張り、修験者は呪文を唱え、並びいる信者は経のようなものを唱えると、女が持っていた御幣を振り回した。それを見た修験者が、女の目隠しを取り払って、平伏してお告げを乞うた。

女の言うには、この家には金神と井戸の神、それに無縁仏がとりついて祟っている。祈禱を勧誘した親類は有り難がって、この家には伊勢参りに行ったまま戻らぬ者がいる、無縁仏とはそれに違いないと言って、どうすればいいか女に問うと、ほこらを建てて祀れと言う。

私は女に向かって、その無縁仏が出たのはいつ頃か、それが分からねばほこらの建てようがないというと、女はおそよ五六十年前と言う。では何という年号の頃かと問うと、天保三年と言う。しかしそれは二十年前である。

私は一同に「今お聞きの通り、無縁仏の有無を分かる神様が、年号も知らないとはおかしなことだ。所詮ニセモノだろう」というようなことを言った。迷信家の親戚はぶつぶつ言ったが、明白の道理だから一同が白けて修験者を見ると、修験者もきまりが悪くなり、結局野狐のせいにした。

野狐ならほこらを建てるまでもないとなり、この話は止めになった。親戚の迷信家は私をにらみつけたが、後には迷信を止めるようになり、これが村中に広まって、それ以来修験者のたぐいを村に入れない覚悟が出来た。

思案中

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