論語と算盤・現代語訳(39)理想と迷信2

『論語と算盤』道徳は進化すべきか

道徳は科学のように進化するのだろうか。文明に伴って変わるのだろうか。宗教で徳義を保つばかりでなく、論理で維持するなら、徳義の解釈が変わりはしないだろうか。道徳という文字は、中国古代の夏王朝以前から言う、王者の道が語源になっている。つまり、かなり古い。

ダーウィンが言うような生物の進化は、生物に限らない。変わると言うより、進んでいくと言うべきか。中国で孝行の徳を説いた『二十四孝』に、貧乏で親を養いかねた男が、自分の子を地に生き埋めしたら釜が出てきた、その釜の中に黄金がつまっていたと言うが、笑い話だ。

こんな徳義が現代に通用するはずがない。孝行すらも人の評価は変わってくる。他にも親を養うために氷の張った川に寝て、鯉が飛び出してきた男の話がある。いかに神が感心しようと、鯉が出る前に凍死したら、却って孝行の道に外れるだろう。

こういう道徳の話は、たとえ話にはなっても、文明の進んだ現代では意味がない。すると古い道徳は役立たずなのだろうか。そうでもない。如何に物質文明が進歩しても、仁義は洋の東西関わらず、古代の聖賢が説いたころから変わっていないように思う。

だからこうした道徳は、文明に進歩にかかわらず変化しないものなのだ。

『論語と算盤』このような矛盾を根絶すべし

『論語と算盤』このような矛盾を根絶すべし サラエボ事件

現代語訳

強者の言はいつも正しい*とは、フランスの諺である。文明が進めば人々の道理を重んじる心も、平和を愛する心も進む。戦争の価値は低くなる。どこの国でもそうなって、極端な争いは自然に少なくなるだろう。

明治三十七八年頃、ロシアのグルームという人が、『戦争と経済』を書いて、戦争は世が進むほど残酷になり、費用が掛かるから、ついには無くなるだろうと言った。かつてロシア皇帝が平和会議を主唱されたのも、この人の説によると聞いたことがある。

ならば今回の世界大戦は起こらないはずだが、ちょうど昨年(大正三年*)七月末の新聞報道を見たところ、人に問われて、戦争は起こるだろうが、先年アメリカのジョルダン博士が、モロッコ問題が起きた時に、米国の財政家J・B・モルガンの忠告によって戦争が回避された例を電報で言って寄こしてきたので、戦争は自然と立ち消えになると言った事がある。

ところが今回の大戦は、実に惨憺たる有様だ。ドイツの行動に至っては、どこに文明があったのだろうと思うほどだ。この根源は、道徳が国際間にあまねく浸透していなかったから、ついにこうなったのだと思う。

そうだとすると国家を守るにしても、国際間の弱肉強食が無くなるような方法はないものだろうか。政治家や国民が自分勝手を増長させなかったら、こんな事にはならなかっただろう。しかしある国が退歩すればある国が遠慮無く進歩するから、結局戦争することになる。

ここには人種や国境の問題が絡み、ある国が勢力を張ろうとすればやはり戦争になる。これは論語に言う、自分の望みを他人に施さないからそうなるので、ただ我欲だけ満足させていけば、強い者が自分の無理を押し付けることになる。

文明とは何だろう。今日の世界には文明が足りないのだろう。そんな中で我が国はどのように進んでいくべきか。我々はどんな覚悟をすればいいか。やむを得ず弱肉強食の世界に入るにしても、一定の主義を定めて国民共々それに従っていって欲しい。

我々はあくまでも、論語の言うように己の欲せざるところ人にも施さずで、東洋流の道徳を進め、いっそう平和を持続して、各国の幸福を進めていきたいと思う。少なくとも他国に多大な迷惑を掛けないように、自国の繁栄を図る道がないだろうか。

もし国民全体の意志によって、自我のみ主張することをやめ、単に国内の道徳だけでなく、国際間に真の王道を図る事に思い至れば、今日のような惨害を免れるだろうと信じる。

強者の言:確かローマ皇帝のうちとある名君が「君はいつも私のいう事を否定しないね」と言ったのに対する賢者の発言として、「軍団を背景にした人の言葉はいつも正しいのですよ」と言ったのがあったはずだが、詳細を思い出せない。

大正三年:1914年。第一次大戦勃発の年。

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