論語と算盤・現代語訳(25)常識と習慣4

『論語と算盤』親切らしき不親切

『論語と算盤』親切らしき不親切

現代語訳

世間には冷酷無情でまったく誠意が無く、行動は常に奇矯で不真面目なのに、社会の信用を得て成功している者がいる。反対に至極真面目で誠意があり、思いやりに満ちた者が世間に嫌われて落ちこぼれる場合もある。天は何をしているのか、その研究は興味深い。

人の行為の善悪を考えるなら、志と行動をセットにする必要がある。志が真面目で情け深くとも、行動がのろまででたらめなら何にもならない。志が人のためによかれと思っても、行動が害になるなら善行とは言えない。

昔の小学読本に、「親切が却って不親切になる話」というのがあって、ヒナがかえろうとして卵の殻を割っているのを、子供が殻を剥いたら死んでしまったというのがあった。その言葉は一々覚えていないが、孟子にも似たような話が沢山あったと記憶する。

人のためだと言って、部屋に押し入り戸を叩き壊す、これでも我慢できるかという話、さる国王(梁恵王)が政治を尋ね、宮殿の厨房にはどっさり肉があり、馬屋に肥えた馬がいるのに、民は食うや食わず、野原には行き倒れ、これは獣に人を食わせているのだという話もあった。

つまり刀で殺すも悪政で殺すも同じだ、と断定している。それから別の学者(告子)との議論の話もあった。「心に得ずとも気に求むること勿(な)かれとは可なれども、言に得ずも心に求むること勿れとは不可なり、夫(そ)れ志は心の帥なり、気は体の充てるなり、夫れ志は至れり、気は次ぐ、故に曰(いわ)く、其の志を持して其の気を暴(そこ)なうこと無かれ*」とある。

つまり志が心の根本で、気は心の動作となって現れる末端だ。すると志が善で情け深くても、出来心でふらりと志と違うことをしてしまうことがある。だからその本心を守って出来心である気を悪化させないよう、つまり行動に間違いがないよう、不動心を養えということだ。

孟子自身は浩然の気*を養ってこの修養に役立てたが、凡人は何かと行動に間違いを起こしやすい。孟子はその例として、故事成語「助長」の元ネタになった話を

宋人に其(そ)の苗の長ぜざるを閔(うれ)いて之(これ)を揠(ぬ)く者あり。
(宋の国の百姓が、稲の育ちが悪いからと言って苗を引っ張った)
芒芒然として帰りて其の人に謂(い)いて曰(いわ)く、今日病(つか)れたり。予(われ)苗の長ずるを助けたり。
(ぼんやりして家に帰り、家族に言った。今日は疲れたわい、苗の成長を手伝ったからな)
其の子、趨(はし)りて往(ゆ)きて之を視(み)るに、苗は則(すなわ)ち槁(か)れぬ。(その子が田んぼにすっ飛んで行くと、苗はもう枯れてしまっていた)

と言って、大いに告子を罵倒している。苗を伸ばすには水加減、施肥、草むしりが必要なのに、引っ張って成長させようとは乱暴に過ぎる。

孟子の不動心がどうだったかはともかく、世間に「助長」したがる者が多いのは争えない事実だ。苗を伸ばしたい志は結構だが、引っ張るという動作が悪だ。これを拡大解釈すれば、志がいかに善良で情け深くても、動作が適切でなければ世間の信用は得られない。

対して志が多少曲がっていても、動作が機敏で忠実で、人の信用を得られれば、その人は成功する。志がよこしまで動作が正しいというのは理屈に合わないが、聖人だろうとやり方次第でだませるように、実社会では心の善悪より、行動の善悪の方が分かりやすいし評価される。

だから行動が機敏で善事を生む者の方が信用されやすい。例えば吉宗将軍が市中見回りの際、孝行者が老いた母を背負ってお目見えし、褒美を貰った。それを聞いた悪党が真似をして、他人の老婆を背負ってお目見えし、やはり褒美を貰った。家来がこやつはニセモノですぞと苦情を言うと、吉宗公は真似でも結構と言って悪党をねぎらったという。

また孟子は「西子も不潔を蒙(こうむ)らば、即ち人皆鼻を掩(おお)うて之(これ)を過ぐ」と言った。絶世の美女の西子でも、肥溜めに落ちたら誰もそばに寄らないものだ。それと同じで、どんな悪女もなよなよとしなを作れば、知らぬ間に迷うのが男というものだ。

だから心の善悪より行動の善悪の方が人の目につきやすい。猫なで声の者が世にもてはやされ、真心の忠告は耳に痛く、真面目な人情者が叩き出されて、天道是か否かと嘆く声に引き替えて、悪賢い人たらしが世間で成功するのもこれが理由だ。

心に得ずとも…:孟子「告子が、”心で納得できないことを、気分に言い聞かせてやってはいけない”と言ったのはいい。だが”言葉の意味が分からないのに、心で分かったつもりになるな”と言ったのは間違っている。なぜなら心と気分は別物で、心は志が制御するが、気分は体調次第だからだ。分からなくとも立派な言葉なら、それを心に留めていい。だが気分は体調次第で、どう変わるか分からない。だから私は言うのだ、志を高く持て。体調が悪いからと言って気分に振り回されるな、と。」

訳者が思うに、渋沢翁の解釈には、やや間違いがあるような気がする。

浩然の気:伸びやかで広々とした気分。こんな風景を眺めた時と言っていいだろうか。

『論語と算盤』親切らしき不親切

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