原文
禮者,謹於吉凶不相厭者也。紸纊聽息之時,則夫忠臣孝子亦知其閔矣,然而殯斂之具,未有求也;垂涕恐懼,然而幸生之心未已,持生之事未輟也。卒矣,然後作具之。故雖備家必踰日然後能殯,三日而成服。然後告遠者出矣,備物者作矣。故殯久不過七十日,速不損五十日。是何也?曰:遠者可以至矣,百求可以得矣,百事可以成矣;其忠至矣,其節大矣,其文備矣。然後月朝卜日,月夕卜宅,然後葬也。當是時也,其義止,誰得行之?其義行,誰得止之?故三月之葬,其貌以生設飾死者也,殆非直留死者以安生也,是致隆思慕之義也。
書き下し
禮者、吉凶於謹み相い厭わ不る者也。纊を紸(つ)け息を聽く之時、則ち夫れ忠臣孝子亦た其の閔みを知れる矣、然し而殯斂之具、未だ求める有らざる也。涕を垂れ恐れ懼れ、然し而幸いに生之心未だ已まず、生を持つての之事未だ輟らざる也。卒り矣りて、然る後之を具(そろ)えるを作す。故に家に備うと雖も、必ず日を踰えて然る後に能く殯せん、三日に而て服成りぬ。然る後遠くに告ぐる者出で矣り、物を備うる者作り矣らん。故に殯は久くして七十日を過ぎ不、速くして五十日を損なわ不。是れ何ぞ也?曰く備えなり。遠き者以て至る可き矣、百の求め以て得可き矣、百の事以て成す可き矣。其れ忠の至れる矣、其れ節の大なる矣、其れ文の備わる矣。然る後月朝に日を卜い、月夕に宅を卜い、然る後葬る也。是の時に當たる也、其れ義止めんも、誰か之を行うを得えんや。其れ義行うを、誰か之を止めるを得んや。故に三月之葬は、其れ以て生くるを貌(かたちづく)るは、設けて死者を飾る也、殆(かなら)ず死者を留めて以て安ぎ生くるに直(あて)るに非る也。是れ思慕の隆りを致す之義也。
現代日本語訳
礼儀作法というものは、めでたいことにも不吉なことにも、慎み深くし、かつ、どちらにも目を背けないためにある。
死にゆく者の鼻に綿の塊を当て、まだ息があるかと探るさまに、忠臣や孝行者にふさわしい悲しみが表れる。生き延びて欲しいと願っているのだから、葬儀の用意などするわけがない。いよいよとなった時、泣き叫んでこれからどうしようと嘆き悲しむ者には、生き返って欲しいという一縷の希望があるから、死者の生前についてあれこれ回想したりしない。もう逝ってしまったのだ、と覚悟を決めて、やっと葬儀の支度を始める。
だから支度のあれこれがすでに家にあったとしても、一日は過ぎないと葬儀の用意が調わず、たいていは三日過ぎてやっと揃う。しかもそれ以上の余裕が無いと、会葬者は揃わないし、道具の数々も揃わない。
だからもがりは長くとも七十日、短くても五十日は続けなければならない。どうしてであるか? 遠来の会葬者を待つためであり、葬儀に特別必要な品々を買い求めるためであり、役所の手続きや司祭を呼んでくる手間のためである。それでやっと、死者への義理を尽くせるし、世間体もよくなるし、死者の旅立ちを華やかに出来る。
その上で月初めに埋葬日を占い、月末に墓地を占い、やっと埋葬できる。それで全てが終わる。誰もこの儀礼を止められない。誰もこの儀礼を止めさせられない。
だからわずか三ヶ月のもがりで葬るには、死に化粧を施して生きているように装う。それは生きているように誤魔化すためではなく、死者への募る想いが高まったためである。
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