論語詳解275先進篇第十一(22)補足:『春秋左氏伝』現代語訳

定公六年

原文

定公六年…二月,公侵鄭,取匡,為晉討鄭之伐胥靡也,往不假道於衛,及還,陽虎使季孟自南門入,出自東門,舍於豚澤,衛侯怒,使彌子瑕追之,公叔文子老矣,輦而如公,曰,尤人而效之,非禮也,昭公之難,君將以文之舒鼎,成之昭兆,定之鞶鑑,苟可以納之,擇用一焉,公子與二三臣之子,諸侯苟憂之,將以為之質,此群臣之所聞也,今將以小忿蒙舊德,無乃不可乎,大姒之子,唯周公康叔為相睦也,而效小人以棄之,不亦誣乎,天將多陽虎之罪以斃之,君姑待之,若何,乃止。

書き下し

定公六年…二月、公鄭を侵して匡を取る。晋が為め鄭之胥靡を伐つを討ちたる也。往きは道を衛於仮り不るも、還うに及ぶや、陽虎季孟を使て南門自り入らしめ、東門自り出でしむ。豚沢於舎るに、衛侯怒りて、弥子瑕を使て之を追わしめんとす。公叔文子老い矣るも、輦し而公に如きて曰く、人を尤め而之に効うは、礼に非ざる也。昭公之難きに、君将に文之舒鼎,成之昭兆,定之鞶鑑を以てし、苟し以て之を納む可からば、択びて一を用いんとせ焉。公子与二三臣之子を、諸侯苟し之を憂れえば、将に以て之を質と為さんとせり。此群臣之聞く所也。今将に小忿を以て旧徳を蒙しろにせんとす、乃ち可なら不る無からん乎。大姒之子、唯だ周公と康叔相い睦み為る也。し而小人に効いて以て之を棄つるは、亦た誣らかされ不る乎。天将に陽虎之罪多しとなし、以て之を斃さんとす、君姑く之を待つは若何。乃ち止む。

現代語訳

定公六年(BC504)…二月、定公は陽虎に命じて鄭を伐ち匡を取った。晋の指図で、鄭が胥靡を攻めたのに仕返ししたのである。

遠征軍の行きは衛国を通らなかったが、帰りは季氏・孟氏の軍勢は陽虎の指示で、衛の南門から入り、東門から出て行った。そのあと豚沢で陣を張ったが、勝手なことをされた衛の霊公は怒って、弥子瑕に命じて追い討ちしようとした。

この時公叔文子は老いて引退していたが、かごを担がせて霊公の所へ行き、諌めた。
「人をとがめておきながらその真似をするのは、礼に反します。先年魯の昭公さまが亡命なされた時、殿は我が衛国のご先祖・文公のかなえ、成公の亀の甲、定公の飾り帯を、もし昭公が帰国するなら贈ろうとなさいました。

また公子と二三の家老の子を人質に出してまで、諸侯の疑いを晴らし、魯の昭公さまの帰国を実現させようとなさいました。大変ご立派で、これは我ら家臣がしかと聞いたことでございます。今、ささいな怒りに駆られて過去に積んだ善事を台無しにするのは、おやめになるべきではありませんか。

しかも我が衛と魯は兄弟の国でござる。魯の開祖周公と、我が衛の開祖康叔は、たいそう仲睦まじゅうございました。陽虎ごとき悪党の真似をなさって、衛と魯の親善を台無しにするのは、陽虎にたぶらかされるも同じでございます。

陽虎は悪事を重ねておりますから、いずれ天罰を受けましょう。しばらくお待ちになるのがよいと存じます。」

霊公はこの言葉に従い、兵を引いた。


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警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。覚悟致せ。

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