*このコンテンツは旧説です。新説は論語解説「漢文が読めるようになる方法2022」をご覧下さい。
論語学而篇2の全体像
皆さんこんにちは。アシスタントAIのカーラです。今回も教材プリントpdfがありますので、各自受け取って下さい。
今回は漢文の主述構造について、より深く掘り下げましょう。例文として取り上げるのは、論語の第二回、学而篇2です。孔子先生の話ではなく、弟子の有若(有子)のお説教です。いつも通りざっと眺めて下さい。
有子曰。「其爲人也孝弟、而好犯上者、鮮矣。不好犯上、而好作亂者、未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者、其爲仁之本歟。」
有子曰く。「其の人と爲る也孝弟、し而上を犯すを好む者は、鮮き矣。上を犯すを好ま不、し而亂を作すを好む者は、未だ之れ有らざる也。君子は本を務む。本立ち而道生まる。孝弟也る者は、其れ仁之本爲る歟。」
有子(主部)-曰(述部)。「其爲人也孝弟、而好犯上者(主部)-鮮矣(述部)。不好犯上、而好作亂者(主部)-未之有也(述部)。君子(主部)-務本(述部)。本(主部)-立-而(並列構造)-道(主部)生(述部)。孝弟也者(主部)-其(代詞)-爲仁之本歟(述部)。」
有子が言った。「その人となっている様子こそが年上思いで年下らしく控えめで、それなのに目上をおとしめることを好む者は、少ないのである。目上をおとしめることを好まない者で、それなのに騒動を起こすことを好む者は、今までいたことが無かったのである。君子は基本に努力する。基本が確立して人の道が生まれる。(ならば)年上思いで年下らしく控えめであることは、仁の基本となるだろうか。」
有子:孔子の弟子。
其:近称の指示代詞。
爲(為):~とする。~になる。
也:文頭の主語・副詞を強調する構造助詞。~こそは・まったく。
孝:年上に向けた好意・愛情。
弟:年少者らしい慎み。
而:順接・逆接の接続詞。
好:好む。~したがる。
犯:おとしめる。傷付ける。破る。
上:目上。
鮮:原義は新鮮な生魚。ここでは”少ない”という形容詞。
矣:断定、詠嘆を表す文末助詞。
作:起こす。行う。作る。
亂(乱):乱れる。乱れ。騒動。”おさめる”の語義もある。
未:「いまだ~ず」と読む否定の再読文字。”まだ~ない”を表す。
也:断定の文末助詞。
君子:教養人。貴族。”諸君”という呼びかけ。
務:努力する。
本:基本。
立:立つ。確立する。確立させる。
道:人の従うべき道。
生:生まれる。生む。
也者:「~なるものは」と読み、”~というものは”・”~であることは”と訳す。上の語句を丁寧に示す。断定の文末助詞「也」と、主格を示す構造助詞「者」の組み合わせ。
之:”~の”を意味する構造助詞。
歟:「か」と読み、疑問を意味する文末助詞。
漢文読解でまず行う作業は、主述構造のフレーズに分解していく作業です。大きなスイカを食べやすく、切り分けるようにです。どれほど長い漢文も、必ず主述構造のフレーズに分解できます。その短いフレーズごとの意味を明らかにし、積み上げれば、必ず全文訳が完成します。
論語本章の漢文分解1
では頭から見ていきましょう。
下)有子曰く。「其の人と爲る也孝弟、し而上を犯すを好む者は、鮮き矣。」
解)有子(主部)-曰(述部)。「其爲人也孝弟、而好犯上者(主部)-鮮矣(述部)。
訳)有子が言った。「その人となっている様子こそが年上思いで年下らしく控えめで、それなのに目上をおとしめることを好む者は、少ないのである。
有子の「子」は、先生や貴族に付ける敬称です。もと「子」は王の息子の意味でした。論語の本章では”有先生”という意味です。論語でこの敬称が用いられたのは、孔子先生の他は有若と曽参、冉求など少数の弟子だけです。しかし有若の詳しい業績は明らかではありません。
有子-曰くの主述構造は明らかですね。二文目の主部、其爲人也孝弟と好犯上者は、而で接続された並列構造です。而は順接にも逆接にもなり得ますが、年上思いで年下らしく控えめ、と、目上をおとしめることを好む、は、とりあえず順接”そして”と考えておきましょう。
前の節に用いられている也は、文末で用いられると断定を示す文末助詞、文中で用いられると主格を示す構造助詞です。A也Bで、”AについてはBだ”の意味です。
節の頭に付いた其は近称の指示代詞ですが、代行すべき意味内容を前に持っていません。この解釈については三通りあり得ます。
発語としての解釈)そもそも、人となっている様子が
以後の代詞としての解釈)人となっている様子が(訳さない)
人の代詞としての解釈)その人の、人となっている様子が
どれが正解とも言い切れません。究極の抽象的論理である数学の世界でさえ、解がいくつか出てくる場合があるように、唯一解が存在しないのです。漢文ではよくあることで、試しに「其~也」を辞書で引くと、疑問・反語・詠嘆…と出るは出るは。続々と語釈が出てきます。
とても覚え切れはしません。だから字書と仲良くなる必要があると同時に、「其」は”それ”とあいまいに訳してしまってかまわないのです。当の中国人でさえ、漢文や現代中国語の文法については百家争鳴状態です。とりあえず「それ」と訳しておき、あとから直せばいいのです。
ただしこの場合、中国語は漢文も現代語もS-V-O形式だ、という強力な原則があります。
訳)それ(=その人)が人となっている様子は
従って其は形式主語で、其爲人が名詞句として主語になっている、と解釈することが可能です。「漢文に主語は必ずしも必要でない」という反論はあり得るでしょうが、文法学者を目指すのでない以上、”それ”と訳して文意が取れればそれでいいとしておきましょう。
なお「爲人」を”人となっている様子”と訳したのは、文法的な直訳で、通りのよい日本語に直すなら”人柄”でいいでしょう。さて次に進んで、並列構造を形作っている而が、この文で果たしている役割を再度検討しましょう。
而の原義は”ヒゲ”ですが、漢文ではほとんどの場合接続詞か、「なんじ」と読んで”お前”を意味する二人称代名詞です。「好犯上」はV-(V-O)の形で、”目上をおとしめることを好む”の意です。者は”ひと・もの”を意味するほか、主格を表す助詞”~は・~が”です。
ではこの場合、どの組み合わせが一番文意が明らかになるでしょうか。”その性格が孝行で年下らしい”が前にあることを前提にします。
2.そして目上をおとしめることを好む者(は)。
2.であることは明らかですね。こうして以下の通り読み進めました。
訳)その性格が孝行で年下らしい、そして目上をおとしめることを好む者は、鮮矣。
鮮は”あざやか・新しい”を意味する動詞ですが、それでは文意が通じません。そこで辞書を引くと、”少ない”の語義が載っています。矣は人が振り返った姿の象形で、句末について”~である”という断定の意を示す言葉です。すると全体でこうなります。
訳)その性格が孝行で年下らしい、そして目上をおとしめることを好む者は、少ないのである。
何か変ですね。そう、而を順接として訳したからおかしいのです。而は順接にも逆接にも用いられました。そこで下のように改めます。主述構造についても確認して下さい。
解)其爲人也孝弟(主部1)+而好犯上者(主部2)-鮮矣(述部)
訳)その性格が孝行で年下らしい、それなのに目上をおとしめることを好む者は、少ないのである。
ここでの者は、”(そのような)者”という人間を指す名詞です。ただし漢文では、者は人以外も表せます。語義の選択に迷うところですが、名詞ではなく、主格を表す格助詞と考えて下さい。主格「は」として訳したあと、人が適当であれば「者は」と書き換えればよいのです。
論語本章の漢文分解2
次に進みましょう。
「不好犯上」はすでに解読しました。またここでも而が使われています。構造は「其爲人也孝弟、而好犯上者、鮮矣」と同じですね。
解)不好犯上(主部1)+而好作亂者(主部2)-未之有也(述部)
作は”作る”ことですが、漢文では”する”の意味で多用されます。乱(亂)は名詞にも動詞にもなり得て、”反乱・騒動(を起こす)”ことです。しかし直前に作という動詞がありますから、その目的語、つまり名詞だと見当が付きます。ここは述目構造なのですね。
未は高校漢文でも出てきた再読文字です。「未だ~ず」と読み下し、”まだ~ない”の意でしたね。未之有は、すでに出てきた古い漢文の形、否定辞-目的語-動詞の句形です。之は”これ”という、近いものを指す指示詞です。すると訳はこうなるでしょう。
訳)目上をおとしめることを好まない、それなのに騒動を起こすことを好む者は、これはまだいないのである。
続けて読み進めましょう。
解)
君子(主部)-務本↓(述部)
務(動詞)-本(目的語)
本(主部)-立(述部)
而(接続詞)
道(主部)-生(述部)
君子、と読み進めたところで、これが主部の名詞だと見当を付けます。すると続けて務という動詞が現れます。ここから述部だと見当を付けて、次に本が現れます。動目構造だと見当を付けて、”君子は基本に努力する”と解読できました。
続けて現れるのが本です。句頭にありますから主語となるべき名詞と見当を付けて、主部として読み進めます。すると続けて立が現れます。述部動詞と見当を付けて、”基本が立つ=確立する”と解読できました。
続けて而が現れます。すでに出てきたように接続詞です。続けて現れるのが道生という主述構造です。すると本立と道生は、而でつながった似たような構造だとわかります。このような構造を並列構造と言いますが、構造の名前を一々覚えなくてもかまいません。
解)君子(主部)-務本(述部)、本立-而-道生(並列構造)
訳)君子は基本に努力する。基本が確立して人の道が生まれる。
訳が出来たところで、次を読みましょう。
解)
孝弟也者(主部)-其爲仁之本歟↓(述部)
其(主部)-爲仁之本歟↓(述部)
爲(動詞)-仁之本(目的語)-歟(疑問の終助詞)
句読の孝弟は、”孝行で年下らしい”でしたね? 也は”~である”。者は主格を表す助詞でした。其は近くのものを示す指示詞でした。ここでは直前の主部を示しているとわかります。従って「其爲仁之本歟」は、「其」が主部で、「爲仁之本歟」が述部。
字書によっては、この「其」を詠嘆の助辞と解し、「其~歟」を一つの語法として、”なんとまあ仁の基本ではないかね”と訳します。決して誤りではありませんが、漢文ではあまり余計な意味合いを付加するのは考え物です。読めることを目指すなら、まずは直訳ができることです。
「爲仁之本」は、爲(為)(動詞)-仁之本(目的語)の述目構造です。為はここでは「たる」と読みます。古文単語の「たり」です。「たり」は「とあり(である)」のつづまった言葉です。最後の歟は疑問の終助詞で、”~か”と訳します。全体の訳は以下の通りです。
原)孝弟也者、其爲仁之本歟。
下)孝弟也る者、其れ仁之本爲る歟。
訳)孝行で年下らしい態度は、それは仁の基本になるだろうか。
論語本章の漢文分解・まとめ
全文を訳し終えたところで、原文から読み下し、訳までが、一々対応していることを確認して下さい。
原)有子曰。
下)有子曰く。
訳)有子が言った。
原)其爲人也孝弟、
下)其の人と為り也孝弟、
訳)その人柄が年上思いで、
原)而好犯上者、
下)し而上を犯すを好む者は、
訳)そして目上をおとしめるのを好む者は、
原)鮮矣。
下)鮮き矣。
訳)少ないのである。
原)不好犯上、
下)上を犯すを好まず、
訳)目上をおとしめるのを好まず、
原)而好作亂者、
下)し而乱を作すを好む者は、
訳)そして騒ぎを起こすのを好む者は、
原)未之有也。
下)未だ之れ有らざる也。
訳)未だにこれはいないのである。
原)君子務本。
下)君子は本を務む。
訳)君子は基本に努力する。
原)本立而道生。
下)本立ち而道生まる。
訳)基本が確立して人の道が生まれる。
原)孝弟也者、
下)孝弟也る者、
訳)年上思いというものは、
原)其爲仁之本歟。
下)其れ仁之本為る歟。
訳)それは仁の基本であるだろうか。
仁とは何か
さておしまいに、孔子先生の教説の中心である「仁」について、先生ご自身に解説して頂きましょう。先生、お願いします。
孔子:うむ、よかろう。
あー諸君。仁とは常時無差別の愛のことじゃ。”気の毒だな”・”助けて上げたいな”と他者をいたわる心は、元来人間には備わっておる。しかし人間は同時に、互いに利益を奪い合う競争者でもある。従ってたとえ親子兄弟であろうとも、時にいじめたり無視したりがあるのじゃな。
ではなぜにそのようなむごいことが起こるか? それは自らの力が足りないためじゃ。求めるものを自ら手に入れられる者が、なぜに人から奪う必要があろうか? 自分に自信がある者が、どうして人をおとしめる必要があろうか? 強い者は威張らなくても強いのじゃ。
つまりこの問題は、自分が強く賢くなることで解決できるし、それ以外には解決の法は無いのじゃ。いじめで一時の快楽はあるかも知れぬが、相変わらず惨めな自分が変われたわけではない。だから人は学びによって、強く賢くなるしかない。それが論語に言う「徳」じゃ。
ワシと同時代を生きられたインドの賢者、ブッダどのは、欲望を吹き消すことでこの問題を解決しようとなされた。ワシとは方向が反対のようじゃが、賢くなること、つまり知でもって解決しようとした点で一致しておるのじゃ。残念ながらその教えはインドでは絶えたがのう。
ほとんどの人間は、ブッダどのほど賢くなれぬということじゃろう。対してワシは、賢くなる条件について弟子に説いた。それが論語で言う「礼」じゃ。礼は単なる礼儀作法を越えて、人が仁にいたる道でもあるのじゃ。ブッダどのも同様に、戒律を説かれたようじゃがな。
つまりワシ孔子が言う知とは、ただ知っておることだけではない。礼を知って仁を実践する事じゃ。本の虫は仁者ではない。大げさな作法だけでは仁者にはなれぬ。誰に対しても優しくなれるだけの徳を身につけ、礼に従って行動し、そしていつも憐れみの心を忘れぬ事じゃ。
そのつもりで学び、知を会得した者が増えれば、世の中は明るくなる。ワシの教えは必ずしも、後世の儒者に理解されたとは言えぬ。礼を拡大解釈し、サベツこそが儒教だなどと言った者さえおる。しかしそれは決してワシの教えではない。世が暗くなってしまうではないか。
確かに人やその集団の関係には優劣がある。優劣を無いものとしてしまうのは、その分世の中を暗くする。劣りは劣り、優れ者は優れ者。事実をありのままに見る事じゃ。じゃが関係はいつもでもそのままではあり得ぬ。文化程度が同等になったら、対等の仲間として認めねばの。
丁度遣唐使でやってきた、阿倍仲麻呂くんを高級官僚に取り立てたようにじゃ。それが明るい世の中じゃ。ワシ亡き後、唐帝国はそれを実践したが、同じく大帝国を築いた清はどうであったか? 西洋人を蛮族といやしんで、その結果、半ば植民地になってしまったではないか。
明るくなければ知ではない。ありのままに見られぬのは暗い事じゃ。おそらく人類が終わるまで、人は宇宙の全てを分かりはすまい。しかし知を積み上げて、暗くて分からなかったことを少しずつ分かるようにはできる。その精華が文明じゃ。サベツが文明であろうはずがない。
文明とは智恵=「文」で世の中が「明」るいさまじゃ。
ワシは周の人間主義、その明るさを愛した。周は人身御供をせなんだからじゃ。そんなもので病気は治らぬ、雨も降らぬ。そのように知の力で分かったからじゃ。諸君、知は学ぶ者を明るくし、他者を明るくし、世の中を明るくする。どうかそのことを、忘れないでいて欲しい。
諸君や、仁と知と礼は、分かちがたく結びついておるのじゃぞ。
先生、ありがとうございました。
漢文和訳文法教室:今回のまとめ
どんなに長い漢文も、基本は主述構造のフレーズに分解できます。主述構造を見つけられたなら、フレーズごとに読み下し、あるいは現代語訳していけば、必ず全文訳が完成します。複雑な主述構造も、子構造として含まれた主述構造や、述目構造・並列構造に分解できます。
漢字は一文字が一つの言葉です。表音文字でも表意文字でもない、表語文字です。一つ一つの漢字をゆるがせにせず、丁寧に辞書を引いて意味を追い求めれば、必ず訳が完成します。辞書を引き、適切な語義を選択するのは手間ですが、それは訳に欠かせない手間です。
手間に慣れるしかありません。リンゴが食べたかったら、リンゴの皮むきに慣れるしかないようにです。いきなり漢文をフレーズに分解するのに気後れするなら、和訳本を参照するといいでしょう。ただし漢文読解の力を付けるには、書き下し文が付いた本を選びましょう。
いきなり意訳された本では、原文との一文字一対応がわからないからです。また書き下し文の載った本を選ぶにも、できるだけ音読みの少ない書き下しを選んで下さい。音読みはそのまま日本語にはならないからです。書き下しだけで意味が分かるようなら、それが最高です。
最後に、今回出てきた主な言葉の語法を、再度まとめます。
其:
「それ」と読み、近くの事物を示す指示詞。代詞になりうる。
也:
句中では、A也Bで、”AについてはB”を表す構造助詞。句末では、”~である”を意味する断定の文末助詞。
而:
A而Bで、AとBとが並列構造であることを示す接続詞。順接にも逆接にも訳しうる。
者:
主格を表す構造助詞。人であれば”者は”と訳す。
鮮:
漢文では、”少ない”を意味する形容詞として用いうる。
矣:
句末では、断定・詠嘆を表す文末助詞。
未:
「いまだ~ず」と読む再読文字。”まだ~ない”を意味する。
歟:
「か」と読み、句末で疑問を意味する文末助詞。
今回はこれでおしまいです。みなさん、お疲れさまでした。
なお今回の論語学而篇2についてより詳しい情報は、論語詳解を参照して下さい。
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