漢文の読み方文法教室002:其爲人也孝弟章

論語 漢文 教室

論語学而篇2の全体像

論語 カーラ カーラ 漢文 授業4
皆さんこんにちは。アシスタントAIのカーラです。今回も教材プリントpdfがありますので、各自受け取って下さい。

今回は漢文の主述構造について、より深く掘り下げましょう。例文として取り上げるのは、論語の第二回、学而篇2です。孔子先生の話ではなく、弟子の有若(有子)のお説教です。いつも通りざっと眺めて下さい。

原文)
有子曰。「其爲人也孝弟、而好犯上者、鮮矣。不好犯上、而好作亂者、未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者、其爲仁之本歟。」
書き下し)
有子曰く。「の人とコウテイ、しかみを犯すを好む者は、すくななり。上を犯すを好ま、し而らんおこすを好む者は、いまれ有らざるなり。君子はもとを務む。本立ち而道生まる。孝弟る者は、其れ仁之本。」
構造分解)
有子(主部)-曰(述部)。「其爲人也孝弟、而好犯上者(主部)-鮮矣(述部)。不好犯上、而好作亂者(主部)-未之有也(述部)。君子(主部)-務本(述部)。本(主部)-立-而(並列構造)-道(主部)生(述部)。孝弟也者(主部)-其(代詞)-爲仁之本歟(述部)。」
現代語訳)
有子が言った。「その人となっている様子こそが年上思いで年下らしく控えめで、それなのに目上をおとしめることを好む者は、少ないのである。目上をおとしめることを好まない者で、それなのに騒動を起こすことを好む者は、今までいたことが無かったのである。君子は基本に努力する。基本が確立して人の道が生まれる。(ならば)年上思いで年下らしく控えめであることは、仁の基本となるだろうか。」
語釈)
有子:孔子の弟子。
其:近称の指示代詞。
爲(為):~とする。~になる。
也:文頭の主語・副詞を強調する構造助詞。~こそは・まったく。
孝:年上に向けた好意・愛情。
弟:年少者らしい慎み。
而:順接・逆接の接続詞。
好:好む。~したがる。
犯:おとしめる。傷付ける。破る。
上:目上。
鮮:原義は新鮮な生魚。ここでは”少ない”という形容詞。
矣:断定、詠嘆を表す文末助詞。
作:起こす。行う。作る。
亂(乱):乱れる。乱れ。騒動。”おさめる”の語義もある。
未:「いまだ~ず」と読む否定の再読文字。”まだ~ない”を表す。
也:断定の文末助詞。
君子:教養人。貴族。”諸君”という呼びかけ。
務:努力する。
本:基本。
立:立つ。確立する。確立させる。
道:人の従うべき道。
生:生まれる。生む。
也者:「~なるものは」と読み、”~というものは”・”~であることは”と訳す。上の語句を丁寧に示す。断定の文末助詞「也」と、主格を示す構造助詞「者」の組み合わせ。
之:”~の”を意味する構造助詞。
歟:「か」と読み、疑問を意味する文末助詞。

漢文読解でまず行う作業は、主述構造のフレーズに分解していく作業です。大きなスイカを食べやすく、切り分けるようにです。どれほど長い漢文も、必ず主述構造のフレーズに分解できます。その短いフレーズごとの意味を明らかにし、積み上げれば、必ず全文訳が完成します。

論語本章の漢文分解1

論語 カーラ18 論語 有若
では頭から見ていきましょう。

原)有子曰。其爲人也孝弟、而好犯上者、鮮矣。
下)有子曰く。「の人とコウテイ、しかみを犯すを好む者は、すくななり。」
解)有子(主部)-曰(述部)。「其爲人也孝弟、而好犯上者(主部)-鮮矣(述部)。
訳)有子が言った。「その人となっている様子こそが年上思いで年下らしく控えめで、それなのに目上をおとしめることを好む者は、少ないのである。

有子の「子」は、先生や貴族に付ける敬称です。もと「子」は王の息子の意味でした。論語の本章では”有先生”という意味です。論語でこの敬称が用いられたのは、孔子先生の他は有若と曽シンゼン求など少数の弟子だけです。しかし有若の詳しい業績は明らかではありません。

有子-曰くの主述構造は明らかですね。二文目の主部、其爲人也孝弟と好犯上者は、而で接続された並列構造です。而は順接にも逆接にもなり得ますが、年上思いで年下らしく控えめ、と、目上をおとしめることを好む、は、とりあえず順接”そして”と考えておきましょう。

其爲人也孝弟-而-好犯上者(並列構造)

前の節に用いられている也は、文末で用いられると断定を示す文末助詞、文中で用いられると主格を示す構造助詞です。A也Bで、”AについてはBだ”の意味です。

其爲人(その人と為っている様子)-也(については)-孝弟(年上思いで年下らしく慎み深い)

節の頭に付いた其は近称の指示代詞ですが、代行すべき意味内容を前に持っていません。この解釈については三通りあり得ます。

其爲人也の「其」:
発語としての解釈)そもそも、人となっている様子が
以後の代詞としての解釈)人となっている様子が(訳さない)
人の代詞としての解釈)その人の、人となっている様子が

どれが正解とも言い切れません。究極の抽象的論理である数学の世界でさえ、解がいくつか出てくる場合があるように、唯一解が存在しないのです。漢文ではよくあることで、試しに「其~也」を辞書で引くと、疑問・反語・詠嘆…と出るは出るは。続々と語釈が出てきます。

とても覚え切れはしません。だから字書と仲良くなる必要があると同時に、「其」は”それ”とあいまいに訳してしまってかまわないのです。当の中国人でさえ、漢文や現代中国語の文法については百家争鳴状態です。とりあえず「それ」と訳しておき、あとから直せばいいのです。

ただしこの場合、中国語は漢文も現代語もS-V-O形式だ、という強力な原則があります。

解)其S-爲V-人O-也(主格の構造助詞)
訳)それ(=その人)が人となっている様子は

従って其は形式主語で、其爲人が名詞句として主語になっている、と解釈することが可能です。「漢文に主語は必ずしも必要でない」という反論はあり得るでしょうが、文法学者を目指すのでない以上、”それ”と訳して文意が取れればそれでいいとしておきましょう。

なお「爲人」を”人となっている様子”と訳したのは、文法的な直訳で、通りのよい日本語に直すなら”人柄”でいいでしょう。さて次に進んで、並列構造を形作っている而が、この文で果たしている役割を再度検討しましょう。

原)而好犯上者

論語 カーラ 論語 而 解字
而の原義は”ヒゲ”ですが、漢文ではほとんどの場合接続詞か、「なんじ」と読んで”お前”を意味する二人称代名詞です。「好犯上」はV-(V-O)の形で、”目上をおとしめることを好む”の意です。者は”ひと・もの”を意味するほか、主格を表す助詞”~は・~が”です。

ではこの場合、どの組み合わせが一番文意が明らかになるでしょうか。”その性格が孝行で年下らしい”が前にあることを前提にします。

1.お前は目上をおとしめることを好む者(は)。
2.そして目上をおとしめることを好む者(は)。

2.であることは明らかですね。こうして以下の通り読み進めました。

原)其爲人也孝弟、而好犯上者、鮮矣。
訳)その性格が孝行で年下らしい、そして目上をおとしめることを好む者は、鮮矣。

鮮は”あざやか・新しい”を意味する動詞ですが、それでは文意が通じません。そこで辞書を引くと、”少ない”の語義が載っています。矣は人が振り返った姿の象形で、句末について”~である”という断定の意を示す言葉です。すると全体でこうなります。

原)其爲人也孝弟、而好犯上者、鮮矣。
訳)その性格が孝行で年下らしい、そして目上をおとしめることを好む者は、少ないのである。

何か変ですね。そう、而を順接として訳したからおかしいのです。而は順接にも逆接にも用いられました。そこで下のように改めます。主述構造についても確認して下さい。

原)其爲人也孝弟、而好犯上者、鮮矣。
解)其爲人也孝弟(主部1)+而好犯上者(主部2)-鮮矣(述部)
訳)その性格が孝行で年下らしい、それなのに目上をおとしめることを好む者は、少ないのである。

ここでの者は、”(そのような)者”という人間を指す名詞です。ただし漢文では、者は人以外も表せます。語義の選択に迷うところですが、名詞ではなく、主格を表す格助詞と考えて下さい。主格「は」として訳したあと、人が適当であれば「者は」と書き換えればよいのです。

論語本章の漢文分解2

論語 カーラ 論語 乱 篆書
次に進みましょう。

原)不好犯上、而好作亂者、未之有也。

「不好犯上」はすでに解読しました。またここでも而が使われています。構造は「其爲人也孝弟、而好犯上者、鮮矣」と同じですね。

解)其爲人也孝弟(主部1)+而好犯上者(主部2)-鮮矣(述部)
解)不好犯上(主部1)+而好作亂者(主部2)-未之有也(述部)

作は”作る”ことですが、漢文では”する”の意味で多用されます。乱(亂)は名詞にも動詞にもなり得て、”反乱・騒動(を起こす)”ことです。しかし直前に作という動詞がありますから、その目的語、つまり名詞だと見当が付きます。ここは述目構造なのですね。

未は高校漢文でも出てきた再読文字です。「未だ~ず」と読み下し、”まだ~ない”の意でしたね。未之有は、すでに出てきた古い漢文の形、否定辞-目的語-動詞の句形です。之は”これ”という、近いものを指す指示詞です。すると訳はこうなるでしょう。

原)不好犯上、而好作亂者、未之有也。
訳)目上をおとしめることを好まない、それなのに騒動を起こすことを好む者は、これはまだいないのである。

続けて読み進めましょう。

原)君子務本、本立而道生。
解)
君子(主部)-務本↓(述部)
 務(動詞)-本(目的語)
本(主部)-立(述部)
而(接続詞)
道(主部)-生(述部)

君子、と読み進めたところで、これが主部の名詞だと見当を付けます。すると続けて務という動詞が現れます。ここから述部だと見当を付けて、次に本が現れます。動目構造だと見当を付けて、”君子は基本に努力する”と解読できました。

続けて現れるのが本です。句頭にありますから主語となるべき名詞と見当を付けて、主部として読み進めます。すると続けて立が現れます。述部動詞と見当を付けて、”基本が立つ=確立する”と解読できました。

続けて而が現れます。すでに出てきたように接続詞です。続けて現れるのが道生という主述構造です。すると本立と道生は、而でつながった似たような構造だとわかります。このような構造を並列構造と言いますが、構造の名前を一々覚えなくてもかまいません。

原)君子務本、本立而道生。
解)君子(主部)-務本(述部)、本立-而-道生(並列構造)
訳)君子は基本に努力する。基本が確立して人の道が生まれる。

訳が出来たところで、次を読みましょう。

原)孝弟也者、其爲仁之本歟。
解)
孝弟也者(主部)-其爲仁之本歟↓(述部)
 其(主部)-爲仁之本歟↓(述部)
  爲(動詞)-仁之本(目的語)-歟(疑問の終助詞)

句読の孝弟は、”孝行で年下らしい”でしたね? 也は”~である”。者は主格を表す助詞でした。其は近くのものを示す指示詞でした。ここでは直前の主部を示しているとわかります。従って「其爲仁之本歟」は、「其」が主部で、「爲仁之本歟」が述部。

字書によっては、この「其」を詠嘆の助辞と解し、「其~歟」を一つの語法として、”なんとまあ仁の基本ではないかね”と訳します。決して誤りではありませんが、漢文ではあまり余計な意味合いを付加するのは考え物です。読めることを目指すなら、まずは直訳ができることです。

「爲仁之本」は、爲(為)(動詞)-仁之本(目的語)の述目構造です。為はここでは「たる」と読みます。古文単語の「たり」です。「たり」は「とあり(である)」のつづまった言葉です。最後の歟は疑問の終助詞で、”~か”と訳します。全体の訳は以下の通りです。

原)孝弟也者、其爲仁之本歟。
下)孝弟れ仁之本

訳)孝行で年下らしい態度は、それは仁の基本になるだろうか。

論語本章の漢文分解・まとめ

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全文を訳し終えたところで、原文から読み下し、訳までが、一々対応していることを確認して下さい。

原)有子曰。
下)有子曰く。
訳)有子が言った。

原)其爲人也孝弟、
下)の人と孝弟、
訳)その人柄が年上思いで、

原)而好犯上者、
下)し上を犯すを好む者は、
訳)そして目上をおとしめるのを好む者は、

原)鮮矣。
下)すくななり
訳)少ないのである。

原)不好犯上、
下)上を犯すを好まず、
訳)目上をおとしめるのを好まず、

原)而好作亂者、
下)し而乱をおこすを好む者は、
訳)そして騒ぎを起こすのを好む者は、

原)未之有也。
下)未だれ有らざる也。
訳)未だにこれはいないのである。

原)君子務本。
下)君子は本を務む。
訳)君子は基本に努力する。

原)本立而道生。
下)本立ち道生まる。
訳)基本が確立して人の道が生まれる。

原)孝弟也者、
下)孝弟也る
訳)年上思いというものは、

原)其爲仁之本歟。
下)れ仁之本
訳)それは仁の基本であるだろうか。

仁とは何か

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さておしまいに、孔子先生の教説の中心である「仁」について、先生ご自身に解説して頂きましょう。先生、お願いします。

孔子:うむ、よかろう。

論語 孔子
あー諸君。仁とは常時無差別の愛のことじゃ。”気の毒だな”・”助けて上げたいな”と他者をいたわる心は、元来人間には備わっておる。しかし人間は同時に、互いに利益を奪い合う競争者でもある。従ってたとえ親子兄弟であろうとも、時にいじめたり無視したりがあるのじゃな。

ではなぜにそのようなむごいことが起こるか? それは自らの力が足りないためじゃ。求めるものを自ら手に入れられる者が、なぜに人から奪う必要があろうか? 自分に自信がある者が、どうして人をおとしめる必要があろうか? 強い者は威張らなくても強いのじゃ。

つまりこの問題は、自分が強く賢くなることで解決できるし、それ以外には解決の法は無いのじゃ。いじめで一時の快楽はあるかも知れぬが、相変わらず惨めな自分が変われたわけではない。だから人は学びによって、強く賢くなるしかない。それが論語に言う「徳」じゃ。

ワシと同時代を生きられたインドの賢者、ブッダどのは、欲望を吹き消すことでこの問題を解決しようとなされた。ワシとは方向が反対のようじゃが、賢くなること、つまり知でもって解決しようとした点で一致しておるのじゃ。残念ながらその教えはインドでは絶えたがのう。

ほとんどの人間は、ブッダどのほど賢くなれぬということじゃろう。対してワシは、賢くなる条件について弟子に説いた。それが論語で言う「礼」じゃ。礼は単なる礼儀作法を越えて、人が仁にいたる道でもあるのじゃ。ブッダどのも同様に、戒律を説かれたようじゃがな。

つまりワシ孔子が言う知とは、ただ知っておることだけではない。礼を知って仁を実践する事じゃ。本の虫は仁者ではない。大げさな作法だけでは仁者にはなれぬ。誰に対しても優しくなれるだけの徳を身につけ、礼に従って行動し、そしていつも憐れみの心を忘れぬ事じゃ。

そのつもりで学び、知を会得した者が増えれば、世の中は明るくなる。ワシの教えは必ずしも、後世の儒者に理解されたとは言えぬ。礼を拡大解釈し、サベツこそが儒教だなどと言った者さえおる。しかしそれは決してワシの教えではない。世が暗くなってしまうではないか。

確かに人やその集団の関係には優劣がある。優劣を無いものとしてしまうのは、その分世の中を暗くする。劣りは劣り、優れ者は優れ者。事実をありのままに見る事じゃ。じゃが関係はいつもでもそのままではあり得ぬ。文化程度が同等になったら、対等の仲間として認めねばの。

丁度遣唐使でやってきた、阿倍仲麻呂くんを高級官僚に取り立てたようにじゃ。それが明るい世の中じゃ。ワシ亡き後、唐帝国はそれを実践したが、同じく大帝国を築いた清はどうであったか? 西洋人を蛮族といやしんで、その結果、半ば植民地になってしまったではないか。

明るくなければ知ではない。ありのままに見られぬのは暗い事じゃ。おそらく人類が終わるまで、人は宇宙の全てを分かりはすまい。しかし知を積み上げて、暗くて分からなかったことを少しずつ分かるようにはできる。その精華が文明じゃ。サベツが文明であろうはずがない。

文明とは智恵=「文」で世の中が「明」るいさまじゃ。

ワシは周の人間主義、その明るさを愛した。周は人身御供をせなんだからじゃ。そんなもので病気は治らぬ、雨も降らぬ。そのように知の力で分かったからじゃ。諸君、知は学ぶ者を明るくし、他者を明るくし、世の中を明るくする。どうかそのことを、忘れないでいて欲しい。

諸君や、仁と知と礼は、分かちがたく結びついておるのじゃぞ。

論語 カーラ17
先生、ありがとうございました。

漢文和訳文法教室:今回のまとめ

どんなに長い漢文も、基本は主述構造のフレーズに分解できます。主述構造を見つけられたなら、フレーズごとに読み下し、あるいは現代語訳していけば、必ず全文訳が完成します。複雑な主述構造も、子構造として含まれた主述構造や、述目構造・並列構造に分解できます。

漢字は一文字が一つの言葉です。表音文字でも表意文字でもない、表語文字です。一つ一つの漢字をゆるがせにせず、丁寧に辞書を引いて意味を追い求めれば、必ず訳が完成します。辞書を引き、適切な語義を選択するのは手間ですが、それは訳に欠かせない手間です。

手間に慣れるしかありません。リンゴが食べたかったら、リンゴの皮むきに慣れるしかないようにです。いきなり漢文をフレーズに分解するのに気後れするなら、和訳本を参照するといいでしょう。ただし漢文読解の力を付けるには、書き下し文が付いた本を選びましょう。

いきなり意訳された本では、原文との一文字一対応がわからないからです。また書き下し文の載った本を選ぶにも、できるだけ音読みの少ない書き下しを選んで下さい。音読みはそのまま日本語にはならないからです。書き下しだけで意味が分かるようなら、それが最高です。

最後に、今回出てきた主な言葉の語法を、再度まとめます。

其:
「それ」と読み、近くの事物を示す指示詞。代詞になりうる。

也:
句中では、A也Bで、”AについてはB”を表す構造助詞。句末では、”~である”を意味する断定の文末助詞。

而:
A而Bで、AとBとが並列構造であることを示す接続詞。順接にも逆接にも訳しうる。

者:
主格を表す構造助詞。人であれば”者は”と訳す。

鮮:
漢文では、”少ない”を意味する形容詞として用いうる。

矣:
句末では、断定・詠嘆を表す文末助詞。

未:
「いまだ~ず」と読む再読文字。”まだ~ない”を意味する。

歟:
「か」と読み、句末で疑問を意味する文末助詞。

論語 カーラ 論語 漢文 カーラ
今回はこれでおしまいです。みなさん、お疲れさまでした。

なお今回の論語学而篇2についてより詳しい情報は、論語詳解を参照して下さい。

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