*このコンテンツは旧説です。新説は論語解説「漢文が読めるようになる方法2022」をご覧下さい。
漢文の読み方文法:論語学而篇「道千乗之国」章
「道千乗之国」章の全体像
みなさんこんにちは。アシスタントAIのカーラです。今回も論語の本文に即しながら、漢文読解の練習をしましょう。いつも通り教材プリントpdfがありますので、各自受け取って下さい。
ではまず、例文をざっと眺めて下さい。
(書き下し)子曰く。千乗之国を道びくには、事を敬み而信あり、用を節み而人を愛し、民を使うに時を以う。
(現代語訳)先生が言った。「千乗の国を治めるには、行政を慎重に行って信頼を得、費用を節約して人を愛し、民を動員するには時を選ぶ。」
1.道(動詞)-千乗之国(目的語)(文全体にかかる副詞句)、
2.-敬(動詞)-事(目的語)-而(接続詞)-信(動詞)、
3.-節(動詞)-用(目的語)-而(接続詞)-愛(動詞)-人(目的語)、
4.-使(動詞)-民(目的語)-以(動詞)-時(目的語)。
道:人を導く。国を治める。
千乘(乗)之國(国):戦車千乗を持つ中程度の国。
敬:慎む。慎重にする。
事:仕事。政治。
而:接続詞。”~して”。
信:信用・信頼。信用や信頼を得る。
節:節約する。
用:用いる。費用。
愛:愛する。相手を切なく思い、いたわる感情。
人:人。民衆。
使:使う。
民:民衆。
以:用いる。
時:時間。適切な時間。
では眺め終えたところで、第1節から読んでいきましょう。
原文を現行漢字に改めた文が以下です。
漢文の文脈とフレーズの読解
では第1節です。
漢文では、文・節・句の冒頭になれるのは、主部を形成する名詞でなければ、主部が省かれた場合の述部を形成する動詞か形容詞です。これらに当てはまらない場合に限り、それ以降や文全体を修飾する副詞や形容詞です。では冒頭の「道」はどれに当たるでしょうか。
「道」は名詞の「みち」を意味しますが、そう解釈するとこの節の構造が見えません。そこで辞書を引くと、”導く・治める”の動詞が載っています。するとこの節は、V-Oの述目構造ではないかと見当が付きます。
(書き下し・現代語訳)千乗の国を治める。
次の第2節は、間に「而」が入った並列構造と気付くでしょう。
敬(動詞)-事(目的語)-而(接続詞)-信(動詞)
ここで後半の「信」に注目して下さい。たった一文字で句を形成しています。漢字一文字はすなわち一単語ですから、漢文ではこのようなことがあり得ます。「信」は元来”信用・嘘のないこと”という名詞ですが、送りがなに「あり」を付けて動詞や修飾語になり得ます。
漢文で漢字の品詞分類をすることにあまり意味はないと言うのは、このような融通無碍(自由で妨げられない)品詞の活用が行われるからです。第2節の場合、「而」の前が述目構造ですから、後ろも述目構造ではないかと見当が付きます。
ところが「信」は目的語を伴っていません。その場合は、一文字で目的語や被修飾語を持たない、動詞や形容詞・副詞だろうと検討し、意味が通じるかどうかを確認します。基準は意味が通じるか、つまり読み下せるかどうかです。
(書き下し)事を敬み而信あり。
(現代語訳)事を慎重にして信用がある。
立派に意味が通じますね? では第1節との関係を見ましょう。
(現代語訳)千乗の国を治める。
2.敬事而信
(現代語訳)事(=行政)を慎重にして信用がある。
「事を慎重にして信用がある」のは、「治める」ための手段だと気付くでしょう。ここで初めて、第1節が本章全体にかかる連用修飾語、つまりは主題であることがわかるのです。漢文は電報と同じで、全体の文脈の中で各フレーズの役割が決まるのです。
さらに第1節が全体のテーマ、つまり政治の方法であることがわかって、第2節の「事」の意味も”行政”だと決まりました。まるでルービックキューブの面ごとの色を揃えていくような作業で、漢文では文を前後しながら少しずつ、各フレーズの意味を定めていきます。
こうした漢文の特性を、あるいは理系の皆さんは腹立たしく思うかも知れません。しかし残念ながら漢文は、アルゴリズムに従って解くことが出来ない言語です。頼りない文法とほとんどが多義語である語義から、少しずつあり得ない解を取り除いていくしかありません。
だからこそ読み手によって解釈に幅があり、これが唯一解だと言える場合が少ないのです。言い換えると読者の教養の深さが、読みに反映してしまうのですね。その例は本章で言えば、「千乗之国」の解釈です。これを”大国”と、大部な『大漢和辞典』でさえ解釈しています。
しかしこの解は間違いです。孔子先生の国、魯国でさえ、千乗程度の戦車は動員できるからです。西北の晋・東方の斉・南方の楚といった大国があり、それに挟まれた魯国はじめ中原諸国は、半ば大国の属国である以上、「千乗之国」は決して大国とは言えません。
つまり『春秋左氏伝』などの原典を読んで、魯国の戦車動員力や、権力者の発言を知っている者だけが、正解にたどり着けるわけです。今の皆さんにそこまでの経験は必要ありませんが、漢文の非効率性、言語としての不完全さは、言い換えれば奥行きが深いことでもあるのです。
「道千乗之国」章:第3~4節
では後半に進みましょう。
(構造)
節(動詞)-用(目的語)-而(接続詞)-愛(動詞)-人(目的語)
第3節は、「節」が動詞”節約する”であることに気づき、「而」に着目すれば、第1・2節と同じ述目構造とわかります。どうやって動詞であることに気づくかと言えば、第1・2説と同じ、「文・節・句の先頭は主語でなければ、述語動詞」との原則で推定します。
(構造)
使(動詞)-民(目的語)(述目構造をとる主部)
-以(動詞)-時(目的語)(述目構造をとる述部)
第4節は、第2・3節とは構造が違い、間に「而」を挟むことなく「使民」と「以時」が並んでいます。「使民」は”民を使う”、「以時」は”時を以て”、または”時を以う”だと見当を付けるのは容易だと思います。では「以」は前置詞でしょうか、それとも動詞でしょうか?
○使民(主部)-以時(述部)
S-V
×(無主語)-使(動詞)-民(目的語)-以時(補語)
S-V-O-C
答えは動詞です。英語との連想から、第4節をSVOCの第五文型と解釈してしまいたくなりますが、動詞が使役動詞でない漢文に、英語の第五文型SVOCはありません。「SはOがCであるのを~する、SはOがCするのを~する」となる文型は、通常使役動詞を伴うのです。
〔周人〕S-使(使役動詞V)-民O-戰栗C(論語八佾篇21)
(書き下し)〔周人〕民を使て戦栗せしむ。
(現代語訳)周の為政者は、民を戦慄させる。
使役動詞:
使・令・教・俾など。
やっかいなことに、例文「使民以時」の動詞「使」は使役動詞になりうる言葉です。では例文は使役に読めますか?
(×書き下し)民を使て時を以いしむ。
(×現代語訳)民に時を使わせる(選ばせる)。
政府が民を動員するのに、その時期を民自身に選ばせる、たいへん結構な民主主義、でしょうか? そんなわけありませんね。民を「使う」と解釈すべきで、使役動詞ではないのです。従って第4節の「以時」は補語=動詞の補足説明をする言葉ではなく、動詞と目的語です。
(構造)
使民(主部)-以時(述部)
(書き下し)
民を使うに、時を以う。
(現代語訳)
民を使う場合は、(適切な)時を選ぶ。
「(S-V)-以X」の文型は、漢文には多用されます。Xには名詞や形容詞だけでなく、「~を用いて」の「~」にあたるあらゆる語句が入り得ますが、”SがVするについては、Xを使う”と訳すように気を付けて下さい。「以X-V」(XでVする)とは違うのです。
漢文の読み方文法:論語学而篇「弟子入則孝」章
それでは次の例文を見てみましょう。
(原文)
子曰。「弟子入則孝、出則弟。謹而信、汎愛衆、而親仁。行有餘力、則以學文。」
(現行漢字による表記)
子曰。「弟子入則孝、出則弟。謹而信、汎愛衆、而親仁。行有余力、則以学文。」
(構造)
1.子(主部)-曰(述部動詞)
2.弟子(主部)-入(述部動詞)-則(接続詞)-孝(述部形容詞)
3.出(述部動詞)-則(接続詞)-弟(述部形容詞)
4.謹(述部動詞)-而(接続詞)-信(述部形容詞)
5.汎(副詞)-愛(述部動詞)-衆(目的語)
6.而(接続詞)-親(述部動詞)-仁(目的語)
7.行(副詞)-有(述部動詞)-余力(目的語)
8.則以(接続詞)-学(述部動詞)-文(目的語)
(書き下し)
子曰く。弟子入りては則ち孝(たり)、出でては則ち弟たれ。謹み而信あり、汎く衆を愛し、し而仁に親め。行いて余る力有らば、則ち以て文を学べ。
(現代語訳)
先生が言った。諸君は(家に)入った場合は孝行で、(家から)出た場合は、年下らしい態度を取れ。(行動を)謹んで信頼を得、幅広く人々を愛し、そして仁に親しめ。(これらを)行って余る力がある場合は、学問を学べ。
(語釈)
汎:ひろい。ひろく。
文:武に対する文=文化芸術。学問。文章。
文の構造については、難しいところはないでしょう。この例文でカギとなるのは、「則」の扱いです。「則」の右側は食器である鼎を意味し、左側は添えられたナイフを意味します。つまり常にセットで用いられ、離れないことが原義です。
a則bは、”aならば必ずbである”の意で、例文の場合は順接の仮定条件を意味します。漢文では頻出の語ですので、その用例はよく知るようにして下さい。品詞としては接続詞・副詞・動詞・名詞になり得ますが、漢文では品詞を細かく意識する必要はありません。
文脈や文法から、その都度意味を確定させればいいのです。
(名詞)のり。法則。
(動詞)のっとる。それに従って行う。
(接続詞)「すなわち」と読み、「a則b」で”aならばb”・”aの場合はb”を意味する。
(副詞)「すなわち」と読み、”すぐさま”を意味する。
「すなわち」と書き下す言葉は、「則」に限りません。他の漢字もおおむね”aならばb”を意味しますが、微妙な意味の違いがあります。
「乃」「迺」:Aのあと曲折をへてBがおこるさいに用い、やっと、そこで、ついになどの意を含む。
「而」:乃ほどではないが、やはり曲折した、しかも、しこうしてなどの意をあらわす。
「斯」・「即」:則と同じように、前後をさらりと直結して、…ならすぐの意をあらわす。
この例文では、「入則~・出則~」の句が漢文ではよく用いられる句形です。「入・出」の目的語は、家でなければ朝廷です。「入りては則ち相、出でては則ち将」(朝廷では宰相を務め、前線では将軍を務める)という句形を覚えておくといいでしょう。
では「乃」や「而」はどう覚えたらいいか? 古い書体を見てみましょう。
大変曲がりくねった字が出てきました。その通り、「乃」は”曲がりくねったあとでやっと”を意味します。原義は弦を外した弓の形で、弦を付けない”そのまま”→”すなわち”を意味したのですが、文字の形のイメージが、”曲がった末にやっと”を連想させたのでしょう。
「乃」の音は「ダイ」で、「の」と読むのは日本語だけの用例です。注意して下さい。この音から、同じ音の「迺」、近い音の「而」が、「乃」と同じく「すなわち」→”曲折あってその後で・やっと”を意味するようになったのです。
先秦 | 隋唐 | 元 | 現代 | |
乃・迺 | nəɡ | nəi | nai | nǎi |
而 | niəɡ | niei | rɪ | ér |
「乃」には、さらに物語があります。漢字が出来始めた頃、二人称(あなた・君・お前)を表す漢字はまだありませんでした。そこで音が近い、「女・汝・而・爾・乃・戎・若」などの字が、それに当てられました。漢文でこれらを「なんじ」と読むのはそのためです。
先秦 | 隋唐 | 元 | 現代 | |
女 | nɪag | ņɪo | niu | nǚ |
汝 | niag | nio | rɪu | rǔ |
爾 | nier | niě(riě) | rɪ | ěr |
戎 | nioŋ | ʃɪu | ʃɪu | shù |
若 | niak | niak | rɪo | ruò |
儞(你) | nɪer | ņɪei | ni | nǐ |
如 | niag | nio | ru | rú |
「乃」はその中でも、主に二人称所有格「なんじの」として使われました。殷の時代まで、中国語に格変化があったことの証拠の一つです。また「乃」は、「もし」と読んで仮定にも使われますが、上の表「若」もまた、「もし」に使われますし、「如」もそうですね。
音が同じなら自在に転用する。音が似ていてもやはり自在に転用する。現代では想像の付かないような古代音で、思わぬ漢字が音が似ている。漢文のわかりにくさ、裏を返すと奥深さは、このような頻出語にも表れるのです。
漢文の読み方文法:今回のまとめ
それでは今回をまとめます。
- 漢文の読解では、文脈や文法から、あり得ない解釈を削っていく。
- 漢文でのS-V-O-C文型は、通常使役動詞を伴う。伴わない場合の4番目の節や句は、英語的な補語=主語や目的語の補足説明ではない。
- 「すなわち」の用法。基本義は、”aならばb”。
今回は以上です。みなさん、お疲れさまでした。
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