*このコンテンツは旧説です。新説は論語解説「漢文が読めるようになる方法2022」をご覧下さい。
漢文和訳文法とは
みなさんこんにちは。アシスタントAIのカーラです。今回は漢文の読解に当たって、基本的な事項を説明します。教材プリントpdfがありますから各自受け取って下さい。
さて漢文和訳とはどのような作業かと言えば、てにをはのない日本語に助詞を付けていくような行為です。もちろん、単語=漢字の意味を字書で引いた上でのことですが、格助詞が無く、格変化も原則として無い漢文を日本語に訳す作業では、この作業は必ずついて回ります。
漢文は口語ではなく、しかも文語とも言い難いという特徴を持ちます。文語は一般に、口語のような微妙な意味合いを伝えることが出来ない代わりに、厳格な文法によって文意を定めていこうとする傾向を持ちます。ところが漢文は、意味の厳格化を放棄した言語と言えるのです。
漢文も他の言語と同様に、動詞・名詞・形容詞のような意味内容を持つ内容語と、助詞・前置詞・接続詞のように、意味内容を持たないが内容語が文中で担う役割を決定する、機能語の両方を持ちます。しかし内容語の格を決める格助詞に当たる言葉は、もともとありません。
内容語 (名詞や動詞など、意味内容を持つ語) |
名詞 | |
動詞 | ||
形容詞 | ||
数量詞 | ||
準機能語 (意味内容を持つが、内容語に補足説明を行う語) |
助動詞 | |
代詞 | 人称代詞 | |
指示代詞 | ||
疑問代詞 | ||
副詞 | ||
機能語 (意味内容を持たず、他の語の文法的働きを示す語) |
前置詞 | |
助詞 | 構造助詞 | |
文末助詞 | ||
接続詞 |
その代わりをするのが構造助詞ですが、日本語のようにいちいち付けられはしないのです。みなさんはここに挙げた品詞の分類を覚える必要はありませんが、漢文は文意の正確な伝達をしない代わりに、読み手の裁量によって解釈に幅がある言語であると知って下さい。
例えば日本語から助詞を外したら、どうなるでしょうか。
解1)太郎は店で米を買った。
解2)太郎の店で米を買った。
解3)太郎に店の米を買った。
この例では、全てありうる解釈です。漢文でも時としてこのような解釈割れがあります。どちらを選ぶかは読み手次第です。しかし例文の前に「太郎の店に行った」とあったなら、2か3が正解と決まります。漢文も同様で、文脈で判断するしかありません。もう一例を挙げます。
解1)ここでは、着物を脱いで下さい。
解2)ここで、履き物を脱いで下さい。
解3)ここで吐き、物を脱いで下さい。
文法的にはいずれも正しい解釈です。しかし3を正解とするのはよほど特殊です。1もレントゲンの更衣室などでなければ、まずありえないでしょう。従って漢文の文法は意味を一つに決めるというより、あり得ない解釈を削るための知識だと思って下さい。
漢文の基本構造:主述構造と述目構造
かように心細い漢文の文法ですが、それでも知らないで訳そうとすると大回りをすることになります。漢文は格変化や助詞の代わりに、その語順で単語が文中で果たす役割を決定します。言い換えると漢文では語順が決定的に重大で、根拠無く返り読みすればほぼ誤読します。
中高の漢文で返読を教わったと思いますが、それゆえに漢文の語順に原則が無いと感じるかも知れません。しかしそうではありません。漢文も他の言語同様、前から後ろへと読んでいくものです。日本語訳で返読するのは、動詞-目的語、前置詞-目的語の場合に限られます。
つまり漢文の語順は英語によく似ており、主語S-動詞V-目的語Oの順です。対して日本語はS-O-Vの順ですから、この場合に限って返読が必要なのです。S-V-Oを別の表現をすれば主部-述部と言えます。これは日本語でも同じ順序です。これを主述構造と言います。
いかに長い漢文でも、主述構造に切り分けられます。もし短く切り分けることが出来たなら、それぞれの構造の読解は、長文よりはるかに楽なはずです。従って漢文を読もうとする皆さんは、まず文のどこまでが主部で、どこから述部かを見分けられるようになりましょう。
その作業は白文ならば大変ですが、標点文ならおおむね句読に従えば、切り分けることが出来るはずです。では実際の例として、論語に注釈を付けた何晏が書いた、論語の序文、その前半をざっと眺めて下さい。少しずつ解説しますから、どうか怖がらないように。
叙曰漢中壘校尉劉向言魯論語二十篇皆孔子弟子記諸善言也太子太傅夏侯勝前將軍蕭望之丞相韋賢及子𤣥成等傳之齊論語二十二篇其二十篇中章句頗多於魯論瑯琊王卿及膠東庸生昌邑中尉王吉皆以教授之故有魯論有齊論魯恭王時嘗欲以孔子宅為宮壊得古文論語齊論有問王知道多於魯論二篇古論亦無此二篇分堯曰下章子張問以為一篇有兩子張凡二十一篇篇次不與齊魯論同
標点文・書き下し・現代語訳)
- 叙曰。叙して曰く。
(何晏が序文を書いて言った。) - 漢中壘校尉劉向言、魯論語二十篇、皆孔子弟子記諸善言也。漢の中壘校尉の劉向言わく、魯論語は二十篇、皆な孔子の弟子諸の善き言を記す也と。
(漢の中壘校尉であった劉向が言った。魯論語の二十篇は、すべて孔子の弟子がその良い言葉を記したものである、と。) - 太子太傅夏侯勝・前將軍蕭望之・丞相韋賢・及子玄成等傳之。太子太傅の夏侯勝・前將軍の蕭望之・丞相の韋賢・及び子玄成等之を傳う。
(太子太傅の夏侯勝・前將軍の蕭望之・丞相の韋賢、及び子玄成らがその魯論語を伝えた。) - 齊論語二十二篇、其二十篇中章句、頗多於魯論。齊論語は二十二篇、其の二十篇中の章句、頗る魯論於り多し。
(一方斉論語には二十二篇あり、そのうち魯論語と同じ名の二十篇もあるが、含まれている章句の数は、魯論語より非常に多い。) - 瑯琊王卿・及膠東庸生・昌邑中尉王吉、皆以教授之。瑯琊の王卿・及び膠東の庸生・昌邑の中尉の王吉、皆以て之を教え授く。
(瑯琊の王卿、及び膠東の庸生・昌邑の中尉の王吉が、みなこの斉論語を教授した。) - 故有魯論、有齊論。故に魯論有り、齊論有り。
(だから魯論語と斉論語がある。) - 魯恭王時、嘗欲以孔子宅為宮、壊得古文論語。魯の恭王の時、嘗て孔子の宅を以て宮を為らんと欲し、壊ちて古文論語を得たり。
(それとは別に、魯の恭王の時、孔子の屋敷を壊して宮殿を作ろうとして、壊したところ古文論語を手に入れた。) - 齊論有問王・知道、多於魯論二篇。齊論に問王・知道有り、魯論於り二篇多し。
(ところで斉論語には問王篇・知道篇があって、魯論語より二篇多い。) - 古論亦無此二篇、分堯曰下章子張問以為一篇、有兩子張、凡二十一篇、篇次不與齊魯論同。古論亦た此の二篇無く、堯曰の下章、子張問を分ちて以て一篇を為し、兩子張有り、凡そ二十一篇、篇の次、齊魯論の同じきと與なら不。
(古論語にもこの二篇は無いが、その代わり堯曰篇の後半を子張問篇として、別に一篇として分けた。だから古論語には子張篇が二つある。つまり古論語は全部で二十一篇だが、篇の順序は、斉論語と魯論語が共通している部分とは同じでない。)
眺め終えたところで、冒頭の二文に注目しましょう。
冒頭の叙曰は、主語が書き手の何晏だと分かりきっていますから、無主語になっています。漢文は簡潔を旨とする言語で、原則として分かりきったことは書きません。しかし無主語であるだけで、主語に皇侃を補えば、立派に主部-述部が成り立つと分かるでしょう。
訳)何晏が-前書きとして言った。
これが主述構造です。次の漢中壘校尉劉向言ですが、漢は前漢王朝のこと、中壘校尉は官職の名です。現代日本で言えば、警視総監に当たる職です。劉向が人名で、前漢王室の一員だった学者です。ここでは漢中壘校尉劉向までが主部で、言が述部だと分かりますね?
繰り返しますが原則として漢文は、主部-述部の順です。
下)漢の中壘校尉の劉向(主部)-言わく(述部)
訳)漢の中壘校尉の劉向が-言った。
続く部分を見てみましょう。ここにも主述構造が見られます。
解)魯論語二十篇(主部)-皆孔子弟子記諸善言也(述部)。
下)魯論語は二十篇、皆な孔子の弟子諸の善き言を記す也。
訳)魯論語の二十篇は、-すべて孔子の弟子がその良い言葉を記したものである。
次にこの節の後半部分に注目して下さい。子構造として、ここも主述構造が成り立っています。
解)皆孔子弟子(主部)-記諸善言也(述部)
下)皆な孔子の弟子、諸の善き言を記す也。
訳)すべて孔子の弟子が-その良い言葉を記したものである。
さらに述部に注目して下さい。ここには主述構造と並んで、漢文の基本構造である述語(この例では述語動詞)-目的語の構造が見られます。これを述目構造と言います。
訳)その良い言葉を-記した-ものである。
述語動詞の述目構造だから、漢文のV-Oを日本語のO-Vにするために、返読していることを確認して下さい。
述目構造は、動詞-目的語だけではなく、目的語を伴って述部を形成するその他の構造も指します。従って「遠きこと-千里」のような、形容詞とその目的語の組み合わせも、述目構造になり得ます。さらに例文のように、主述構造は述目構造を子構造として持ち得ます。
皆孔子弟子(主部)-
記(述語動詞)-諸善言(目的語)-也(文末助詞)(述部)
訳)
すべて孔子の弟子が(主部)-
その善い言葉を(目的語)-記した(述語動詞)-ものである(文末助詞)(述部)
また述目構造も、主述構造を子構造として持ち得ます。
解)不與(述語動詞)-齊魯論(主部)-同(述部)(目的語)
下)齊魯論の同じきとは與なら不
訳)斉論語と魯論語が(主部)-同じにしている部分とは(述部)(目的語)-
異なっている(述語動詞)
この主述構造と述目構造は、漢文の基本構造を形成する二つです。漢文を訳す作業は、まず原文のどこが主述構造で、どこが述目構造か見分けることから始まるのです。英文和訳の際に、五文型のどれに当てはまり、どこがS・V・O・Cなのか判断するのと同じです。
漢文の付加構造四つ
漢文の二つの基本構造が分かったところで、のこりの四つの構造を説明しましょう。二つの基本構造が、それだけで一文を構成できるのに対して、残り四つの付加構造は、独立して文になることが出来ない場合があります。理由はその最大のグループが修飾構造だからです。
修飾語には、主に名詞(体言)を修飾する連体修飾語と、主に動詞(用言)を修飾する連用修飾語に分けられます。「そば屋のおやじは素早く走る」の、「そば屋の」が連体修飾語、「素早く」が連用修飾語です。どちらも、品詞は違っても修飾-被修飾の構造があります。
なお中国語の文法用語では、被修飾語のことを中心語と言いますが、日本ではなじみがないので、この教室では被修飾語と呼ぶことにします。同様に賓語は目的語に、謂語は述語になど、日本人になじみのある言葉で呼ぶことにします。また動目構造は述目構造と言い換えました。
さて付加構造の一つめである修飾構造の例は、下の通りです。
解)漢-中壘校尉-劉向
下)漢の(修飾語1)-中壘校尉の(修飾語2)-劉向(被修飾語)
修飾構造は述目構造と同じく、修飾語-被修飾語の関係ですが、この例が独立した文にならないことは明らかですね。この例は修飾構造のうち、名詞句を形成して主語になっています。もう一つの修飾構造である、連用修飾語の例は以下の通りです。
解)頗-多-於魯論。
下)頗る魯論於り多し。
訳)非常に(修飾語)-魯論語よりも(被修飾語の目的語)-多い(被修飾語)
おや? 不完全ながらこちらの例は文になっていますね? その通り、英語では主部のない文は命令文などの特殊例を除きあり得ませんが、漢文や日本語は、述部だけで文が成り立つのです。上掲の「叙して曰く」もそうですし、李白の詩の題、「早に白帝城を発す」もそうです。
「早朝に白帝城から出発した。」日本語でも文になっています。ここでみなさんは気付いて下さい、「文の中心は述部である」と。連用修飾語や目的語を伴った述部を発見することが、漢文を読解する基本作業なのです。だから述目構造は、主述構造と並んで基本構造なのですね。
次に付加構造の二つめは、並列構造です。複数の語句が対等の関係で並び立つ構造です。
下)太子太傅の夏侯勝-前將軍の蕭望之-丞相の韋賢-及び子玄成
付加構造の三つめは、動補構造です。英語で言う、動詞Vと補語Cで構成されます。
解)壊-得-古文論語。
下)壊ちて古文論語を得たり。
壊して(動詞)-古文論語を(補語の目的語)-得た(補語)。
付加構造の四つめは、前置詞構造です。漢文の前置詞は、もと動詞だった言葉が転用された例が多く、その言葉が動詞か前置詞かは、慎重に見分けねばなりません。
解)嘗-欲-以孔子宅-為-宮。
下)嘗て孔子の宅を以て宮を為らんと欲す。
訳)以前-孔子の屋敷で(前置詞構造)ー宮殿を-造ることを-望んで
この例の場合、回りくどくはなりますが、「孔子の屋敷で」は、「孔子の屋敷を用いて」と動詞に言い換えることが出来ます。言い換えられない場合の以と、後ろに目的語を伴わない以の多くは、それは接続詞です。
解)皆-以-教授-之。
下)皆な以て之を教え授く。
訳)全員が-そして-これ(斉論語)を-教え授けた。
さて、つらつら四つの付加構造について説明しましたが、これらは「そういう構造もある」程度に知っておけば十分です。漢文読解で何より重要なのは、まず主述構造を見つけることで、それさえ見つかれば、あとは字書をどこまで丁寧に引くかの問題です。
おわりに
最後に、途中まで訳した論語の序文を、最後まで書き記しておきます。何度も眺めて、主述構造・述目構造がどこにあるかを見つけて下さい。余裕があれば四つの付加構造も見つけて下さい。わかりやすいよう、固有名詞には下線を引きました。→教材プリントpdf
- 安昌侯張禹、本受魯論、兼講齊說、善者從之、號曰張侯論、為世所貴、苞氏周氏章句出焉。安昌侯の張禹、本と魯論を受け、兼ねて齊說を講め、善き者は之に從い、號けて張侯論と曰い、世の貴ばるる所と為り、苞氏周氏の章句出で焉。
(安昌侯の張禹は、もと魯論語を学んで、その後兼ねて斉論語の内容を研究した。両方の良いところを選んで一冊にまとめ、張侯論と名付けたが、世間からもてはやされて、その注釈として苞氏や周氏の書き足しが現れた。) - 古論、唯博士孔安國、為之訓說、而世不傳。古論は、唯だ博士孔安國、之が訓み說きを為り、し而世に傳ら不。
(古論語は、博士の孔安国だけが解読できたが、後世には伝わらなかった。) - 至順帝之時、南郡太守馬融、亦為之訓說。順帝之時に至りて、南郡の太守馬融、亦た之が訓み說きを為る。
(順帝の時代になって、南郡太守の馬融が、また古論語の解読を書いた。) - 漢末、大司農鄭玄、就魯論篇章、考之齊古、以為之注。漢末、大司農鄭玄、魯論の篇章に就き、之を齊古に考え、以て之が注を為る。
(後漢の末になって、大司農の鄭玄が、魯論語の篇章に基づいて、斉論語・古論語も参照して、論語の注釈を書いた。) - 近故司空陳羣・太常王肅・博士周生烈、皆為之義說。近ごろ故の司空陳羣・太常王肅・博士周生烈、皆な之が義の說きを為る。
(近ごろすでに亡くなった司空の陳羣、太常の王肅、博士の周生烈が、いずれも論語に書かれた言葉の意味を説いた記事を書いた。) - 前世、傳受師說、雖有異同、不為之訓解。前世、師の說を傳え受け、異同有りと雖も、之が訓み解きを為ら不。
(前漢の時代では、師匠の説を伝えられて学ぶだけで、異論があっても、新たに論語の注釈や解説は書かなかった。) - 中間、為之訓解、至于今多矣。中間、之が訓み解きを為り、今于至りて多き矣。
(しかし後漢の時代になると、論語の注釈や解説が書かれるようになり、今となってはそれが多くなってきた。) - 所見不同、互有得失。見る所同じから不して、互いに得る失なう有り。
(しかしそれぞれの本では互いに着目点が違い、長所短所がそれぞれある。) - 今集諸家之善說、記其姓名、有不安者、頗為改易、名曰論語集解。今諸家之善き說きを集めて、其の姓名を記し、安から不る者有らば、頗る改め易うるを為し、名づけて論語集解と曰う。
(そこで今、さまざまな学者のよい説を集め、その姓名を記して、意味のよく分からない部分は思い切って改め、論語集解と名付けた。) - 光祿大夫闗內侯臣孫邕・光祿大夫臣鄭冲・㪚騎常侍中領軍安鄉亭侯臣曹羲・侍中臣荀顗・尚書駙馬都尉闗內侯臣何晏等、上。光祿大夫闗內侯臣孫邕・光祿大夫臣鄭冲・㪚騎常侍中領軍安鄉亭侯臣曹羲・侍中臣荀顗・尚書駙馬都尉闗內侯臣何晏等、上る。
(光禄大夫・関内侯のわたくしめ孫邕、光禄大夫のわたくしめ鄭冲、散騎常侍・中領軍・安郷亭侯のわたくしめ曹羲、侍中のわたくしめ荀顗、尚書・駙馬都尉・関内侯のわたくしめ何晏らが、ここに献上致します。)
それでは今回をまとめましょう。
まとめ
- 漢文の基本構造は、主述構造と述目構造
- 付加構造は、修飾構造・並列構造・動補構造・前置詞構造
- 文の中心は述部である
今回は以上です。みなさん、お疲れさまでした。
なお今回の例文に記された論語の成立過程について、より詳しく知りたい方は、論語解説:論語の成立過程まとめをご覧下さい。
参考文献:
宮本徹 松江崇『漢文の読み方』(2019)
鳥井克之 再論 中国語の統語成分について(上・下)(2003)
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