*このコンテンツは旧説です。新説は論語解説「漢文が読めるようになる方法2022」をご覧下さい。
漢文の読み方文法:倒置
みなさんこんにちは。アシスタントAIのカーラです。今回も論語の章を教材に、漢文和訳の文法を学びましょう。今回も教材プリントpdfがありますので、各自受け取って下さい。
まず取り上げるのは、論語学而篇3です。いつも通りまずざっと眺めて下さい。
(書き下し)子曰く。「巧みの言、令しの色、鮮き矣仁。」
(現代語訳)先生が言った。「手の込んだ言葉と、美しい表情には、少ないものだよ、仁が。」
巧:人が意図的に高度な加工を施すこと。
言:言葉。
令:清らかで美しい。もと、神のお告げのこと。
色:表情、顔色。
鮮:少ない。もと、生魚のこと。音が尠(セン・すくない)通じた仮借文字。
矣:断定、詠嘆の文末助詞。
仁:孔子の教説の中心で、常時無差別の愛。
この例文の分解は、次の通りです。
(分解)
- 子(主部)-曰(述部)。
- 巧言、令色(主部)-鮮矣仁(述部)。
第2文の述部に注目して下さい。
鮮(形容詞)-矣(詠嘆の文末助詞)-仁(形容詞の被修飾語)
本来は、「鮮(修飾語)-仁(被修飾語)-矣(文末助詞)」となるべき所、「鮮」(少ない)を強調するために、詠嘆の文末助詞「矣」が前に出ています。一方「鮮-仁」(仁すくなし)を現代日本語にすると、「仁が少ない」となって、仁が主語のように見えます。
これは日本語の「が」に引きずられるからで、「彼は背が高い」と文型は同じです。「背」に「が」が付こうとも、「彼」が主語であることには変わりませんね? ここで日本語文法論に深入りはしませんが、例文の漢文では主部はあくまで「巧言令色」です。
ちょっとだけ深入りすると、「巧言令色」を「鮮矣仁」全体を修飾する従属節と見るべきですが、この教室の目的は「漢文が読めるようになること」であり、「文法の教員や研究者になること」ではありませんので、なるべくおおざっぱな説明で済ますことにします。
なお漢文では、ある・ない、多い・少ないなどの存在や量を表す動詞でも、目的語を所有すべき主語を想定して語ります。英語での「there is」構文と同じです。さらに漢文では分かりきったことは書かないのが原則なので、主語が省略されることがほとんどです。
(書き下し)子曰く。「利き於放ち而行わば、怨み多し。」
(現代語訳)先生が言った。自分の能力を思うままにふるって行動すると、(そこには)怨みが多い。」
好き勝手した場には怨みが多い、つまり怨まれるということです。訳した場合日本語では主格を表す係助詞の「が」や格助詞の「は」が付くとしても、「怨」は目的語であることに注意して下さい。では例文に戻って、その現代語訳を考えますが、二通り訳し方はあります。
(現代語訳1)先生が言った。「巧みな言葉とうるわしい表情には、少ないものだよ、仁が。」
(現代語訳2)先生が言った。「巧みな言葉とうるわしい表情には、仁がまことに少ないものだよ。」
詠嘆の「矣」は”よ”に置き換えましたが、”だなあ”・”であることよ”でもかまいません。いずれにせよどちらの訳も倒置による、「少ないこと」を強調しています。原文の文意を反映できるなら、どちらで訳してもかまいません。
漢文の読み方文法:述目構造
次の例文に進みましょう。
(書き下し)曽子曰く。「吾れ日に三たび吾が身を省る。人の謀を為す、し而忠なら不る乎。朋友与交り、し而信なら不る乎。習わ不るを伝うる乎。」
(現代語訳)曽子が言った。私は日に三度自分自身を反省する。他人の考え事をして、そして真心でいなかったか。対等の友人・かばい合う仲間と交際して、そして事実でない言動をしなかったか。体得していないことを、(誰かに)伝えなかったか。
曾子(曽子):孔子の若い弟子。
吾:私。厳密には、主格、所有格に用いる。
日:一日の間に。
三:三度。
省:反省する。
身:体。本章では自分自身。
爲(為):する。
人:他人・誰か。
謀:考え事。
而:前後が対等な内容をつなぐ接続詞。順接にも逆接にもなり得る。
忠:本心。
乎:疑問を意味する文末助詞。
與(与):文中では、”~と”を意味する接続詞。
朋:対等の仲間。
友:互いにかばい合う仲間。
交:交際する。交わって過ごす。
信:事実・真実・嘘がないこと。
傳(伝):伝える・教える。
習:体得する。体で練習する。
では文の分解を見ていきましょう。
(分解)
- 曾子(主部)-曰(述部)。
- 吾(主部)
-日三(連用修飾語)-省(述語動詞)-吾身(目的語)(述部)。 - 爲(述語動詞)-人謀(目的語)、(述部)
-而(接続詞)-不忠乎(述部)。 - 與朋友(連用修飾語)-交、(述部)
-而(接続詞)-不信乎(述部)。 - 傳(動詞)、
-不(助動詞)-習(動詞)(目的格の名詞句)-乎(文末助詞)。
第1文を除いて、主部が省かれていることが分かるでしょう。漢文では分かりきったことを書かないのが原則だからで、これは日本語も同じです。第2文から4文までは、二つの述部が「而」で繋がれた構造で、本章ではA而Bで、”Aの時にB”を表しています。
漢文で「而」に出くわし、それが接続詞だと判断できた場合は、前後の内容を比較します。順接でつなげられるなら”そして”、つながらないなら”なのに”と訳せばたいてい間に合います。さて第3文については解釈に異論があります。
(原文)爲人謀、而不忠乎。
(書き下し1):
人の謀を為す、し而忠ならざるか。
為(述語動詞)-人謀(目的語)
(書き下し2)人の為に謀る、し而忠ならざるか。
為人(連用修飾語)-謀(述語動詞)
伝統的論語解釈の中に、書き下し2を採用しているものがあります。文法的には誤りとは言えません。副詞や連用修飾語は、漢文でも動詞(用言)の前に付くものだからです。しかし他動詞Vは、目的語Oを後ろに持つのも原則です。加えて意味もほとんど変わりません。
(原文)爲人謀、而不忠乎。
(書き下し1):
人の謀を為す、し而忠ならざるか。
(現代語訳)他人の考え事をしてやる、そして真心で行わなかったか。
(書き下し2):
人の為に謀る、し而忠ならざるか。
(現代語訳)他人の為に考え事をしてやる、そして真心で行わなかったか。
漢文の構造で基本となるのは、主述構造と述目構造でした。この二つの基本構造で読解できない場合に限り、付加構造を検討すべきです。例文の場合述目構造で理解できますから、あえて修飾関係を複雑にする必要はありませんね。書き下しや訳は、最大限単純に行いましょう。
- 漢文の基本構造
- 主述構造:S-V
- 述目構造:V-O
- 漢文の付加構造
- 修飾構造:修飾語-被修飾語
- 並列構造:a而b、a与b、abcdなど
- 動補構造:V-C
- 前置詞構造:於+(場所)、以+(手段)など
次に第5文は、全体が一つの述部です。この書き下しにも異説があります。
(分解)
傳(動詞)、
-不(助動詞)-習(動詞)(目的格の名詞句)-乎(文末助詞)。
(書き下し1)習わざるを伝うるか。
(現代語訳)体得していないことを教えなかったか。
(書き下し2)伝えて習わざるか。
(現代語訳)教えるだけで学ぼうとしなかったか。
(書き下し3)伝えられて習わざるか。
(現代語訳)教えられたことを学ぼうとしなかったか。
書き下し2と3は、江戸時代の儒者や戦前の漢学者によるものです。漢文の文法を思いもしなかった頃の名残で、現代でははっきりと誤訳と言っていいでしょう。「伝える」という動詞は、何を伝えるかについて、後ろに目的語を持って当然だからです。
つまりここも述目構造として理解できます。従って修飾構造や並列構造に理解する必要はありません。この点で書き下し3は、文法と伝統の間を折衷した読みですが、受け身の記号は原文のどこにもありません。残念ながら苦しい言い訳でしかないのです。
漢文が読みにくくなった背景の一つに、こうした伝統へのこだわりがあります。読解に原則を立てず、「この場合はこう読む」という例外だらけになってしまったのです。しかしそれは黒魔術と同じで、読み方の家元が喜ぶに過ぎません。もう博物館行きにしていいでしょう。
漢文の読み方文法:修飾構造
ここで漢文の修飾構造について、今回の例文を含めて説明します。体言(名詞)を修飾するのを連体修飾語、用言(動詞・形容詞)を修飾するのを連用修飾語と呼びます。
日三(連用修飾語)→省(被修飾語)
與朋友(連用修飾語)→交(被修飾語)
連体修飾語は名詞を修飾しますから、その修飾構造全体で名詞句になります。~句とは、複数の語で出来ていながら、あたかも一語のような働きをするフレーズのことです。つまり連体修飾語は、一語の名詞のように扱ってかまわない、ということですね。
となると連体修飾語が形作る名詞句は、文の主部にも述部にも、そして目的語にもなりえるということです。例文の名詞句の場合、補語(主語や目的語の性質を表すことば)にさえなりえています。英語のbe動詞文S-V-Cと同じ構造です。
(英訳)Fine words and an insinuating appearance are seldom associated with true virtue.
(日本語訳)巧言令色は、鮮仁である矣。
漢文では目的語と補語は必ずしも明確な区別が出来ませんが、連体修飾語は修飾語→被修飾語の順であること、名詞句を作って主部や述部になりうることを覚えておいて下さい。
対して連用修飾語は、動詞や形容詞を修飾するほか、文全体を修飾できます。今回の例文では、動詞を修飾しています。
(構造)日三(連用修飾語)→省(被修飾語)
(現代語訳)日に三度→反省する。
(構造)與朋友(連用修飾語)→交(被修飾語)
(現代語訳)朋友と→交際する。
対して文全体を修飾する連用修飾語の例は、以下の通りです。
(分解)雖曰未學(連用修飾語)→吾必謂之學矣(被修飾の文)
(書き下し)未だ学ばずと雖も、吾必ず之を学びたりと謂わ矣。
(現代語訳)まだ学んでいない人でも、私は必ずその人を、学んだ人と言おう。
厳密にこの例文を分解するなら、雖曰未學が修飾しているのは後半の述語動詞(つまり用言の)「謂」です。だからこそ連用修飾語なのですが、いずれにせよ連用修飾語もまた連体修飾語同様、修飾語→被修飾語の順だと理解して下さい。
なぜに修飾語→被修飾語の順をあえて強調するかと言えば、一つには修飾構造を漢文の中に見つける手立てだからです。そしてもう一つの理由は、誤読を避けるためでもあります。例文を挙げましょう。
(構造)使民(連用修飾語)→以(被修飾の述語動詞)-時(目的語)
(書き下し)民を使うに時を以う。
(現代語訳)民を動員する際には、(農閑期など適切な)時を選ぶ。
この例文を、「時を以て民を使う」と読んだり書き下したりしてはいけません。”時期を選んで民を使う”の意味ではないからです。”民を使う、その際には、時を選ぶ”が文意だからです。”時期を選んで民を使う”の意味ならば、原文は「以時使民」になっていたはずです。
ほとんど意味が変わらないようでありながら、こうした似て非なる文を読み分けるのは、漢文が極めて簡潔な言語だからで、こうした語順をいい加減に扱うと、ただでさえ情報の少ない漢文から、文意をくみ取ることが出来なくなってしまいます。
漢字の一字一字=一語一語の語義を、字書と仲良くなって追い求めると同様に、漢文の一文一文は、文法や句法と仲良くなって追い求めないと読み誤るのです。格変化も原則として無く、格助詞に当たる言葉も少ない漢文を読むには、語順は極めて重大な働きをするのです。
漢文の読み方文法:今回のまとめ
それでは今回をまとめます。
- 漢文には倒置がある。強調したい言葉が前に出る。
- 漢文の基本構造は主述構造と述目構造。それに該当しないときに、付加構造の可能性を検討する。
- 漢文の修飾構造は、修飾語→被修飾語の順。
以上です。みなさん、お疲れさまでした。
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