- 秦王趙王の為に缻(フ)を撃つ
原文
秦王使使者告趙王,欲與王為好會於西河外澠池。趙王畏秦,欲毋行。廉頗、藺相如計曰:「王不行,示趙弱且怯也。」趙王遂行,相如從。廉頗送至境,與王訣曰:「王行,度道里會遇之禮畢,還,不過三十日。三十日不還,則請立太子為王。以絕秦望。」王許之,遂與秦王會澠池。秦王飲酒酣,曰:「寡人竊聞趙王好音,請奏瑟。」趙王鼓瑟。秦御史前書曰「某年月日,秦王與趙王會飲,令趙王鼓瑟」。藺相如前曰:「趙王竊聞秦王善為秦聲,請奏盆缻秦王,以相娛樂。」秦王怒,不許。於是相如前進缻,因跪請秦王。秦王不肯擊缻。相如曰:「五步之內,相如請得以頸血濺大王矣!」左右欲刃相如,相如張目叱之,左右皆靡。於是秦王不懌,為一擊缻。相如顧召趙御史書曰「某年月日,秦王為趙王擊缻」。秦之群臣曰:「請以趙十五城為秦王壽」。藺相如亦曰:「請以秦之咸陽為趙王壽。」秦王竟酒,終不能加勝於趙。趙亦盛設兵以待秦,秦不敢動。
書き下し
秦王、使者を使て趙王に告げしめ、王与(と)好(よし)みの会を西河外の澠池(メンチ)於(に)為さんと欲す。趙王秦を畏(おそ)れ、行く毋(なから)んと欲す。廉頗(レンパ)、藺相如(リンショウジョ)計りて曰く、「王行か不らば、趙の弱く且(か)つ怯(おびゆ)るを示す也。」趙王遂に行き、相如従いたり。廉頗送りて境に至り、王与(と)訣(わか)れて曰く、「王行け、道の里を度(はか)るに、会遇之礼畢(おわ)りて還(かえ)るに、三十日を過ぎ不(ざ)らん。三十日にして還ら不んば、則ち太子を立てて王と為さんと請う。以て秦の望みを絶(くじ)かん」と。王之を許す。遂に秦王与(と)澠池に会う。秦王酒飲みて酣(たけなわ)にして曰く、「寡人(カジン)窃(ひそか)に聞けり、趙王音を好むと。請うらくは瑟(シツ)を奏(かな)でんことを」と。趙王瑟を鼓(かな)でる。秦の御史(ふひと)前(すす)みて書きて曰く、「某年月日,秦王与(と)趙王会いて飲み、趙王を令(し)て瑟を鼓でしむ」と。藺相如前みて曰く、「趙王窃かに聞けり、秦王善(よ)く秦の声(うた)を為すと。請うらくは盆缻(ボンフ)を奏で、秦王以て相い楽(ガク)を娯(たのし)まんことを」と。秦王怒りて許さ不。是に於いて相如前みて缻を進め、因りて跪(ひざまづ)きて秦王に請う。秦王缻を撃(う)つを肯(がえん)ぜ不。相如曰く、「五歩之内,相如請うらくは、得て頚(くび)の血を以て大王に濺(そそ)ぎ矣(てん)」と。左右相如を刃(き)らんと欲すも、相如目を張りて之を叱(にら)む。左右皆な靡(なび)けり。是に於て秦王懌(よろこば)不るも、為に缻を一たび撃つ。相如顧(かえり)みて趙の御史を召し、書(しる)さしめて曰く、「某年月日、秦王趙王の為に缻を撃つ」と。秦之群臣曰く、「請うらくは趙の十五城を以て秦王の寿(ことほぎ)と為さんことを」と。藺相如亦(ま)た曰く、「請うらくは秦之咸陽を以て趙王の寿と為さんことを」と。秦王酒竟(おわり)て、終に趙於(に)勝ちを加える能わ不。趙亦た盛んに兵を設けて以て秦を待つ。秦敢えては動か不。
現代日本語訳
秦が他の戦国諸国を圧倒し、もはや一国で対抗できる国がなくなった頃のこと。BC279、秦の昭襄王は使者を送って、趙の恵文王に通告した。
「親睦会を黄河の西、秦国勢力圏内の澠池(メンチ)で開きたいから、お出でいただきたい。」言葉は丁寧だが、「出て来い。来なければ攻め込むぞ」という恫喝である。とは言え、秦は30年ほど前に、楚の懐王を拉致して、死ぬまで監禁した前科もある。
恵文王は震え上がって言った。「ぶるぶる。ことわる。」
そこへ大臣の藺相如(リンショウジョ)と将軍の廉頗(レンパ)が進み出た。藺相如は言う。
「王が行かなければ、趙の弱さと臆病を天下にさらすことになります。それは決して、今後のためになりません。こたびも策を尽くしてお守りします。どうか、お出かけを。」
「ぶるぶる。ことわる。」藺相如は趙王の首根っこを掴むようにして車に乗せ、いやがるのを引きずるように共に都城を出た。その一行を宿将の廉頗は軍を率いて護衛し、国境に至っていざ別れるにあたって言った。
「さあ王よ、行かれよ。あとのことはお任せあれ。ここから会場までの距離を測ると、終わって戻るまで三十日はかかりますまい。三十日過ぎてお戻りでなければ、すぐさま太子を新しい趙王に立てます。それで秦めのたくらみも潰(つい)えましょう。」王は首をカクカクと縦に振った。
さて会場で秦王と会い、宴会たけなわとなって秦王が言った。「それがしの聞くところでは、趙王は音楽が得意だそうな。どうかね一つ、琴でも奏でていただけぬか。」
「はいはいはい、喜んで。」趙王はチンチャカ琴を奏でた。すると秦の記録官が出てきて書き記した。「某年月日、秦王は趙王と会談して、琴を弾かせた。」
すぐさま藺相如が進み出て秦王に言った。「趙王がうわさに聞くところでは、秦王さまはお国の民謡がお得意だとか。あ! 地の果てのお国には楽器がござらぬゆえ、代わりにかめを叩いて歌うのでござりましたな? どうか酒瓶(缻、フ)をチャンチキ叩いて、のど自慢を一つ。」
秦王は真っ赤になって怒った。「何を抜かすか!」すると藺相如は秦王の真ん前に近寄って跪き、酒瓶を突きつけ叩くよう迫った。「さあさあさあ。」それでも秦王は叩こうとしない。藺相如は言った。
「私と大王様の距離はわずか五歩。斬られるついでに大王様に首の血を振りかけましょうか? それともこの酒瓶で…。」
秦王の護衛が藺相如を斬ろうとすると、藺相如は睨み付ける。威に怯えた護衛は引き下がった。こうなっては秦王もやむを得ず、酒瓶を一度だけ「チン。」と叩いた。
藺相如は振り返って趙国の記録官を呼び、書き付けさせた。「某年月日、秦王は趙王のために酒瓶を叩いた。」
それを見た秦の家臣達が一斉にいきり立った。「願い上げる。趙王は都市十五を献上して、秦王の長寿をことほがれたい。」
藺相如はすぐさま言い返す。「願い上げます。秦王は都の咸陽(カンヨウ)を趙国に献じて、趙王の長寿をことほがれたい。」
こうして会談は終わったが、秦王はとうとう、趙を辱めることができず、国境には廉頗が軍を率いて待ち構えていた。秦は動くことが出来なかった。
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