論語時代史料:『史記』原文-書き下し-現代日本語訳
原憲子思(げんけん・しし)
原憲、字は子思。
原憲が恥を質問したので孔子が答えた。「国政がまともな時は仕えて給料を貰う。まともでない時に仕えて貰うのは恥だ。」「なぜです?」「手を貸して、もっとまともでない世にするのかね?」
原憲が常時無差別の愛(仁)を質問した。「出しゃばり、自慢、押さえつけ、強欲。これらがなければ、仁と言えましょうか?」
孔子「それは生まれつき人の持つ欠点というもので、それがなければ仁と言えるかどうかはわからんな。」
孔子が亡くなって、原憲はとうとう隠居して草むらの中に隠れ住んだ。その頃子貢は衛国の宰相だったが、四頭立ての馬車に乗ってお供を連れ、アカザの生い茂る廃道を進んで貧民街に向かい、原憲の庵を訪れて挨拶した。
原憲は破れた衣冠を着て子貢に会った。むさ苦しいと思った子貢は、「先生はすっかり病人になってしまいましたね」と言った。原憲は言った。「私はこう聞いています。財産がない者を貧乏人と言い、正しい人の道を学んでおきながら、実行できない者を病人と言います。私は貧乏人ですが、病人ではありません。」子貢は恥じて、気まずい思いをしながらその場を去り、生涯、自分の失言を恥じた。
公冶長子長(こうやちょう・しちょう)
公治長は、斉の人である。字は子長。孔子が言った。「めとらせてよい。牢獄の中に居るのだが、収監されるような罪は犯していない」。自分の娘をめとらせた。
南宮括子容(なんきゅうかつ・しよう)
南宮括、字は子容。
南宮括「大昔の羿は弓矢の天才で、奡は船を揺らすほどの力士だったが、つまらぬ死に方をしました。禹と稷は自分で畑仕事をしながら天下を治めました。なぜでしょう。」
孔子「…。」
南宮适が去ったので、孔子は言った。「あれは大したもんだ。隠然たるパワー(徳)を知っている。」
孔子が南宮适を言った。「国の政道がまともなら捨てられないし、国の政道がまともでなければ、死刑を免れるだろう」。
南宮括が「白珪の玷」を三度歌った。
♪キュッ、キュッ、キュッ、
♪磨いてキュッ、
♪傷を取りましょ、玉の傷。
♪言っ、ちゃっ、た、
♪やらかした、
♪言葉は怖いな、取れないな。
聞いた孔子は、自分の兄の娘をめとらせた。
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