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王翰(オウカン)「涼州詞」(リョウシュウシ)

原文

王翰「涼州詞」
©小学館

葡萄美酒夜光杯
欲飲琵琶馬上催
酔臥沙場君莫笑
古来征戦幾人回

書き下し

葡萄ぶどうの美酒 夜光の杯
飲まんと欲すれば 琵琶馬上にもよお
酔うて沙場に臥すも 君笑う莫かれ
古来征戦 幾人かかえ

現代語訳

西方渡りの葡萄の美酒に 月明かりにきらめくガラスの杯
飲みたい気持が募りはするが 私も馬上で琵琶をつま弾きたい
迷いのまま酔ってこの戦場に寝転んでも どうか笑ってくれるな
古来から遠く辺境の戦に出て 何人が無事に戻っただろう

注釈

形式:七言絶句/韻:(平)灰
王翰:687?-726?。盛唐の詩人。晋陽(山西省)出身。字は子羽。自負心が強く、憎まれて地方官を転転とした。その詩は雄壮で、この『涼州詞』で名高い。

涼州:漢代から今の甘粛省付近に置かれた州で、西域に通ずる要処だった。現在の中華人民共和国は、清朝から引き継いだ領域を全て「中国」と呼んで力んでいるが、歴史から見ると中国と呼べるのは、秦・漢・宋・明が領有した、現中国の東半分に過ぎない。
中国本土地図
©小学館

ただし例外的に古代の一時期に中国領となっていた地域があって、現新疆ウイグル自治区のタリム盆地と、そこへとつながる細い回廊=現在の甘粛省がそれに当たる。その回廊部分を涼州と呼び、中国の文人にとって異国情緒を呼び起こす地名だった。
前漢 地図

葡萄:ブドウが中国の文献に現れるのは、南北朝時代になってからで、「中国哲学書電子化計画」で引くと、南朝梁の元帝自らが編纂したと言われる『金楼子』が初出になる。

そこでは漢代に大宛(フェルガナ)を通じてブドウを知ったとあるが、現伝する漢代の史料には見あたらない。いわゆる張騫の西域遠征に伴って、ブドウは知られてもおかしくはないが、記録に無い以上、知られなかったのだろう。

張騫が連絡を付けようとした大月氏国について、『金楼子』は次のように書いている。

大月氏國善為葡萄花葉酒,或以根及汁醞之,其花似杏而綠心碧鬚,九春之時,萬頃競發,如鸞鳳翼,八月中風至,吹葉上傷裂,有似綾紈,故風為葡萄風,亦名裂葉風也。

大月氏國善く葡萄の花葉酒を為る。或いは根を以て汁を及みて之を醞す。其の花は杏に似たり而綠心にして碧鬚、九春之時、萬頃競いて發くは、鸞鳳の翼の如し。八月中風至らば、葉上を吹きて傷り裂けるは、綾紈に似たる有り。故に風を葡萄の風と為し、亦た裂葉の風と名づく也。

大月氏はブドウの花や葉で見事な酒を作る。根を絞ってその汁を汲んで醸す。その花はあんずに似ており、芯が緑色でサファイア色のヒゲが生えている。春の九十日間、畑一面に競って花が開くさまは、おおとりの翼のようだ。秋も深まった(旧暦)八月、風が吹くと葉がそよいで破けて裂けるさまは、あや絹・白絹を織り交ぜたように美しい。だからその季節の風をブドウの風と呼び、また葉を裂く風とも名付けている。(『金楼子』志怪)

夜光杯:一般に、ガラス製の杯のことだと解されている。正倉院所蔵の白瑠璃椀のように、唐代(618-907)には西方のササン朝ペルシア(226-651)から特産のガラス器が輸入された。ただし作者の王翰が生きた時代にはすでにササン朝は滅び、ウマイヤ朝厶帝国(661-750)の時代だった。

その厶ガラスにも巧みな品があったようだから、異国趣味の強い唐代でもてはやされたに違いない。

琵琶:同じく「中国哲学書電子化計画」を引くと、後漢の『説文解字』に琵が楽器のビワとして、琶は果物のビワとして記されているのが初出。もとは楽器を意味したらしく、果実の形が似ていたので植物のビワをも指すようになったらしい。楽器の発祥はやはりササン朝で、中国には前漢の時代にすでに知られたという。

催:もよおす(もよほす)。自分がしたくて、せかせかするような気持ちになる。また、せきたてられてやっとあらわれ出る。

沙場:黄河が∩の字状に屈曲している西北には、すでにゴビ砂漠が広がっている。
ただしこの詩での意味は砂漠ではなく、戦場を意味する。日本の漢和辞典には”戦場”の語釈は無いが、中国では当たり前にそう理解されている。

古来征戦:涼州からさらに西方へと遠征軍を送ったのは、前漢の武帝(位BC141-BC87)に始まる。以降後漢の滅亡まで、中華王朝は涼州とその西のタリム盆地を保ったが、その代わりに多大の戦死者を出した。三国になるともう耐えきれず、逆に遊牧民が中国に入り込んでやがて北朝を打ち立てた。

その北朝の軍閥だったのがのちの唐の帝室で、前漢以来久しぶりにタリム盆地まで勢力を及ぼしたが、同様に多大な戦死者を出したことが杜甫の「兵車行」に歌われている。

辺庭流血成海水、武皇開辺意未已。

辺庭の流血海水を成すも、武皇の辺を開く、意未だ已まず

辺境での流血は海水のように膨大だが、武皇(=唐玄宗)の国土拡大の野心は、止まることを知らない。

ここで武皇と呼んでいるのは、有名な「長恨歌」で玄宗を憚ったのと同じでんで、直接的には漢の武帝を指す。武帝は領土拡大から名君とも言われるが、帝国の発展者と言うよりむしろ破壊者で、国費を浪費して莫大な借金をこしらえ、気分次第で制度をいじくり戦争を始めた。

武帝とおくり名されたのも決して誉めた呼び方ではなく、暴君だと言われているにひとしい。当然、王朝が下った唐では、はばかり無く暴君だと言うことが出来た。中国では「漢武大帝」というTVドラマが放映されたそうだが、そんな君主を喜ぶのは、子供と共産党ぐらいだろう。
前漢 西域 張騫 地図

付記

訳者にとっては思い出深い詩で、漢文業界には珍しくお人柄の良かった中野達先生から、若いころ中国語音での歌い方を教わった。今でもこの歌については読み下し「りょうしゅうし」より、まず中国語音「リャンチョウツー」の方が頭に浮かぶ。

漢詩百選
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コメント

  1. 鳥元小太郎 より:

    この詩は好きで愛唱しております。今回「催す」は主語は自分なのですね、従って自分が飲もうとすれば馬上から友人などが琵琶を弾いてはやし立ててる、その友人(戦友なのか)に対して「君」と呼び掛けていると解釈しておりましたが、異なることになります。
    さすれば君と呼び掛けているのは、誰なのでしょう。
    いずれにしても戦時中に酒が飲める余裕があるのは、かなりの位の高い人物なんでしょうね。オウカンさんは。

  2. コバヤシマサキ より:

    この詩は好きで愛唱しております。今回「催す」は主語は自分なのですね、従って自分が飲もうとすれば馬上から友人などが琵琶を弾いてはやし立ててる、その友人(戦友なのか)に対して「君」と呼び掛けていると解釈しておりましたが、異なることになります。
    さすれば君と呼び掛けているのは、誰なのでしょう。
    いずれにしても戦時中に酒が飲める余裕があるのは、かなりの位の高い人物なんでしょうね。オウカンさんは。

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