アルファー:先生、お茶のおかわりは?
孔子:うむ。頂こうかのう。
アルファー:はいどうぞ。お好きなアールグレイですよ?
孔子:うむ。よい香りじゃ。
アルファー:そう言えば先生、先生の時代にお茶ってあったんですか?
孔子:二十一世紀のような茶はないがの。それに近い飲み物はあったのう。
アルファー:へええ。さすがは中国。お茶も古くからあったんですね。
孔子:いや、茶と言えるかどうか…。いわゆる中国茶が文献に現れるのは、東晋時代(317~420)になってからのことじゃ。
アルファー:東晋というと…先生が亡くなってから800年もあとじゃないですか!
孔子:そうじゃ。それ以前から味や香りがよいか、あるいは気分をすっきりさせる薬効のある葉を煮て飲んでおったのは確かなのじゃが、ワシの知る限り、お茶として文字に現れるのはそこから、ということじゃな。
アルファー:お茶として? どういうことですか?
孔子:うむ。茶という文字そのものは、ワシの頃には成立しておった『詩経』にも出ておる。
周原膴膴たり 菫茶飴の如し。
周の平原は豊かに肥えて 三つ葉も茶も飴のように甘かった
…「三つ葉」が「甘い」と歌っておることから類推できる通り、茶とはもと苦い菜のことじゃ。いわゆるツバキ科の茶の木や葉っぱを言うのではない。それに正しくは荼と書いた。横棒が一本多いのじゃな。唐の時代からは飲料としては茶、苦菜としては荼と書き分けたのじゃ。
荼→茶
アルファー:へええ。じゃあその苦菜をお茶にしてたんですか?
孔子:いや、そうとも限らん。現代でも麦茶やハブ茶があるように、さまざまな材料からお茶にたぐいする飲み物を作っておった。ただあまりに身近な生活飲料じゃったから、取り立ててそれで本を書くようなことをしなかったのじゃな。
アルファー:じゃあ、最初に中国でお茶の本が出たのはいつなんですか?
孔子:唐の時代の陸羽くん(733~804)が書いた、『茶経』からじゃな。それまでの時代のお茶についても色々と記しておるが、どちらかと言えばお茶と言うより、スープの一種として飲まれておったらしい。じゃから塩や脂などを、お茶に混ぜて飲んでおったのじゃ。
アルファー:塩味のべったりしたお茶…なんだかぞっとしますね。
孔子:そうでもないぞ。チベットやモンゴルで飲まれておるバター茶は、現地のような寒さの厳しい高原地帯では、岩塩と共に飲むのがおいしいじゃろうし、体の理屈にもかなっておる。凝った味付けをするのでないかぎり、素朴に体によいものは、素朴にうまいはずじゃ。
アルファー:う~ん。それはそうかも。
孔子:中華と異民族の違いをうるさくワシは言ったが、住んでおる環境を無視して食べ物飲み物を選ぶのも、それはそれで現実に暗いことになる。じゃからほれ、子張が「明」を問うたじゃろう(論語顔淵篇6)? ありのままを認めることが、知を磨く入り口なのじゃよ。
アルファー:なるほど。ところでスープみたいだったお茶は、いつから今のようになったんですか?
孔子:『茶経』の時代にはすでに、わずかな塩を加える以外、茶そのものを楽しむようになったんじゃが、茶が本格的に発展するのは宋(960~1279)の時代からじゃな。宋王朝では国営の茶園が開かれ、民間でも大いに喫茶の風習が広まった。
アルファー:飲み方は変わったんですか?
孔子:うむ。『茶経』の時代までは、お茶の葉は蒸して平たい団子状にしておったが、飲む前に粉にひいて茶を煮たのじゃな。それが宋になると、粉末茶に湯を注いで淹れるようになった。ほれ、その飲み方を日本に伝えたのが、鎌倉時代の禅僧、栄西くんじゃ。
アルファー:えーっと。『喫茶養生記』、でしたっけ?
孔子:そうじゃな。まあ現代の日本人の諸君が読むと、中国かぶれにも程がある、と思える書き方じゃがな、ほほほ。ともあれ栄西くんが伝えたのは、いわゆる茶の湯の飲み方で、宋代に始まって日本で伝統芸能になり、今では日本を語るに欠かせぬ文化になったのう。
アルファー:そうですねえ。外国の方が日本観光と言えばまず京都、それで京都で見たいものといえば金閣と…やっぱり禅とお茶? おや、栄西さんそのまんま。でも当時の中国でもまだ、今のようなお茶の飲み方は始まっていなかったんですね。
孔子:そうじゃな。宋のあとモンゴルの元が継ぎ、さらにその後の明(1368~1644)になって、ようやく現代の飲み方に近づいてくる。ワシはよく知らぬが、栽培法の改善や、品種改良があったことじゃろう。たっぷりのお茶の葉に、湯を注いで飲めるようになったのじゃ。
アルファー:へ~え。じゃあ紅茶も明の時代から?
孔子:いや、紅茶やウーロン茶のような発酵茶は、さらに時が過ぎた清代(1644~1911)になってからじゃな。おかげて茶の種類も増え、ぐっと美味しくなった。じゃがこのおいしさが西洋列強の侵略のきっかけになり、中国を半ば滅ぼすに至ったのは皮肉なことじゃなあ。
アルファー:う~ん。そういわれるとそうですよね。
孔子:じゃがそれも過ぎ去ったことじゃて。今はお茶を楽しもう。済まぬがアルファー君や、もう一杯頂けるかの?
アルファー:はい! 先生。
孔子:やはりよい香りじゃのう。ともすると失われかけた理性を取り戻してくれるようじゃな。ひょっとすると陸羽くんが『茶経』を書いたのも、それゆえかも知れんて。
アルファー:そうなんですか?
孔子:うむ。陸羽くんは不幸な生まれつきでの。寺に捨てられたという。
アルファー:まあ…。
孔子:幸いにも寺の僧たちに可愛がられて育ったのじゃが、とうとう僧侶にはならなんだ。
アルファー:なぜでしょう。
孔子:それはワシにもわからんのう。陸羽くんにしか知れぬことじゃ。じゃが陸羽くんは不幸な生い立ちにも関わらず学問に励み、官吏採用試験(科挙)を受ける手もあったのじゃろうがそれをせず、それでも風流人として当時の人にも認められる程になった。
アルファー:すごいですね。
孔子:そうじゃな。自分ではどうにもならぬ境遇を、ありのままに受け入れる、それも知の作用じゃ。幸福も不幸も、この世に在る現実じゃからな。その制約の中で楽しく生きる、きっと陸羽くんは、それを茶に見いだしたのじゃろう。
アルファー:たかがお茶、されどお茶なんですね。
孔子:そうじゃな。お茶にも知の入り口が見える、もったいをつければそんなところじゃな。小さな所にも人生の大事が隠れておるという、禅僧には受け入れやすい文化じゃったのじゃろう。じゃがむつかしいことを考えず、ただ今目の前にあるお茶を楽しめばよい。
…どうじゃなアルファーくんや、君も腰掛けて茶を楽しんでは。
アルファー:それでは…じゃ、頂きます。
孔子:うむ、よきかなよきかな。ほほほほほほ。