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『欽定書経図説』十有二州図

『欽定書経図説』十有二州図
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図説:原文

『欽定書経図説』十有二州図説肇十有二州封十有二山濬川肇始也封表也濬開導也

此一幅圖、是冩帝舜經理天下之政也。古時、天下分爲九州。曰冀、曰兗、曰靑、曰徐、曰荊、曰揚、曰豫、曰梁、曰雍。至舜卽位、以冀靑二州地界太廣、乃分冀州之東爲并州、東北爲幽州。又分靑州之東北爲營州。分州置牧、所以聨屬諸侯、董正治功於舊有。九州之外新置三州、亊同創始。故曰肇也。凡州必有鎭山。今九州之鎭山各因其舊。而并幽營三州不可不封。識境内之山以一州之鎭。故封恆山以主。并州封醫無閭以主。幽州封營邱以主。營州合之九州各鎭共十二山。表而出之而後方域暸然矣。州域旣定、所有域内諸水時防壅决。則疏濬之功不可或理其源或導其流。務使水患永息萬民安處樂業則帝功成矣。蓋肇州所以宏制馭封山、所以正疆域濬川、所以息民患。皆經理天下之要務王政之大端也。

図説:書き下し

十有二州を肇め、十有二山を封じ、川を濬(さら)う。肇は始也。封は表也。濬は開き導く也。

此の一幅の圖、是れ帝舜の天下之政を經理するを冩せる也。古時、天下分れて九州爲り。曰く冀(キ)、曰く兗(エン)、曰く靑(セイ)、曰く徐(ジョ)、曰く荊(ケイ)、曰く揚(ヨウ)、曰く豫(ヨ)、曰く梁(リョウ)、曰く雍(ヨウ)なり。舜の位に卽くに至るや、冀靑二州の地界太だ廣きを以て、乃ち冀州之東を分ちて并(ヘイ)州と爲し、東北を幽州と爲す。又た靑州之東北を分ちて營州と爲す。州を分ちて牧を置くは、以て諸侯の聨屬し、舊有於(に)治功を董(ただ)し正す所なり。九州之外に新たに三州を置くも、亊同じくして創り始めり。故に肇めと曰う也。凡そ州には必ず鎭山有り。今九州之鎭山各の其の舊に因る。而て并幽營三州封ぜ不る可から不。境内之山を識して以て一州之鎭めなればなり。故に恆山を封じて以て主とす。并州醫無閭を封じて以て主とす。幽州營邱を封じて以て主とす。營州之と合わせ、九州各の鎭め共に十二山たり。表し而之を出し而後、方域暸然矣。州域旣に定まるに、域内に有る所の諸水、時に防壅决(やぶ)る。則ち疏(とお)し濬(さら)う之功、或いは其の源を理(おさ)め或いは其の流れを導く可から不。務めて水の患を使て永く息めしめ、萬民の處に安んじ業を樂しむは、則ち帝の功の成れる矣。蓋し州の肇め、以て宏く制馭して山を封ずる所、以て疆域を正し川を濬う所、以て民の患いを息ましむ所、皆な天下之要務を經理し王政之大なる端(はじ)め也。


恆山:辞書辞典類を引いても、山西省か河北省の名山しか出てこず、営州=遼寧省の「封山」がどこだったのか分からない。諸賢のご教示を乞う。

防壅:堤防。

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