子貢曰く、「紂の不善、是の甚しきが如くあらざる也。是を以て、君子下流に居るを悪う。天下の悪みや、皆な帰し焉。」(『論語』子張篇20)
子貢が言った。天下の暴君、紂王がどれだけ悪いと言っても、世の人がわめき立てるほど悪くはなかった。だからこそ、君子はそういうゴミ溜めには近寄らない。安心した天下の憎まれ口が、よってたかって集まるからだ。諸君、君子ゴミ溜めに近寄らず、ですぞ。
論語を人生に活かすなら
「ビジネスのための論語講座」とか、「今、人生に活かす論語!」とか、そういう人をカモにした宣伝に乗るよりは、むしろ論語をまじめに読んだ方がいい。でもその手間暇がないのは当然だから、論語に記された孔子の言葉を読むよりも、弟子の子貢の言葉だけ読むといい。
「私は畢竟(=つまり)失敗者だった。」と芥川龍之介は『侏儒の言葉』に書いた。儒の創業者である孔子もまた、結局は失望して死んでしまった。記録からは綺麗さっぱり消されているが、さんざん悪どいこともし、何人も弟子を見殺しにして、結局理想を実現できなかった。
晩年はお金にも困った。一人息子の鯉に先立たれたとき、満足な棺桶も買えなかった(論語先進篇7)。奥さんにも先立たれたが、実はその前に出て行ってしまったという説さえある(孔穎達『礼記正義』)。最愛の弟子顔回にも、最初の弟子子路にも先立たれ、寂しく死んだ。
論語の成功者、アキンド子貢
そんな孔子を政治工作だけでなく、財政面から支えたのが、弟子の子貢。もともと衛国の商家の出で、天才的な相場師だった。「賜や命を受けずして貨殖す。億んはかれば縷々当たる」(論語先進篇18)。バクチを張るたびに当たり、頼みもしないのにお金を稼いだ、と言う。
子貢は危ない政治工作を行いながら、天寿を全うした。論語時代の使者とは心細いもので、相手の気分次第で監禁されたり殺されたりは年中行事だった。しかし子貢は広い中国を縦横に駆け回り、口先三寸で五カ国をひっくり返し、巨万の富を蓄えて大国・斉の宰相になった。
孔子の弟子は数多いが、『史記』弟子列伝には最も多くの文字量で記されたばかりか、貨殖列伝(金持ちの伝記集)にも記事が記された。『史記』には数多くの人物伝があるが、二カ所に伝記が記されたのは、唯一子貢だけ。子貢は孔子の弟子の中で、最も成功した人物だった。
クズにかまっているヒマはない
そんな子貢が論語に残した警句が、冒頭の言葉。「君子ゴミ溜めに近寄らず」。世の中には、どうしようもない人がいる。常に毒を吐き、人を不愉快にさせて楽しみ、人を苦しめることしかできない。そして総じてそういう者は、筋骨隆々の勇者や余裕綽々のお金持ちではない。
みすぼらしく、見るからに不潔で、着ているものの趣味は悪く、風に飛ばされそうなほど弱々しい。もちろん頭の悪さは言うまでもない。しかし現代社会の原則が、万人に人権があるという立て前を盾にとって、ひたすら図々しく生きていく。親族さえもこれを見放す。
そこまでではなくとも、見知らぬ人とは往々にして残忍だ。「多くの人は実に性質が悪いからである」(『ダンマパダ』)とブッダが言ったように。「そんな者と関わってはいけない」。殺し合いの世に生き延び成功した子貢は、奇しくも同時代の賢者と同じ事を言ったのだ。
なんじのなすべきことをなせ
とイエスは言った(『ヨハネ伝』)。周囲が下らぬ者ばかりなら、綺麗さっぱり洗い流して外の世界に出よう。「手伝ってやろうじゃないか」(論語述而篇28)。そう言ってくれる孔子のような人はきっといる。世界は広い。目の前のうらやましい者も、本当にうらやむに足るか?
かつてニースに旅したことがある。フランスの世界的に有名な海辺の観光地。地中海に面した波止場には、個人所有のクルーザーがずらり。そして今湾の中央に、巡洋艦の如き巨大な個人所有船が一隻。もやにかすみ、その飛行甲板から今まさにヘリが飛び立とうとしている。
ヘリのライトがもやを貫いて、目に入る。「うらやましい」という言葉が、頭からすぅ~っと抜けていく。今まで目にしてきたのは所詮小がねもちだ。ぼんやりしているヒマはない。人生を楽しく生きていこう。カネの有る無しが問題じゃない。心が楽しいかが問題なのだ。