漢文読解の練習法、その一つ

民の公命を聞くや、逃げて讎にあだなさんとするが如し。…讒鼎之銘に曰く、ひぐれつとめておおいにあきらかなるも、後世猶お怠らん。況や日にひに悛ら不らば、其れ能く久しからん乎、とあり、と。(左伝・昭公三年)

ジョーバンキシ読みと訳者が名づけた所の、ニセ漢文読解法がある。漢字を音読みで済ませる手抜きで、常盤貴子氏の意だと決して読み解けない。ふりチ○説教というのがある。訳の出典を隠したまま、自分で訳した風を装った原典を元にして、世間に説教する者のことである。

さて訳者は論語を研究対象にしているからと言って、論語だけ読んでいれば済むわけが無いから、『詩経』や『左伝』もその一部を訳すことになる。それはこんにちに至ってもなお、訳者にとってもよい漢文読解の訓練になる。そして陰湿な楽しみもあったりする。

例えば左伝の場合、岩波文庫から全訳が出ているから、それを参照しつつ原文を、独自に書き下していく。もちろん訳者のことだから、「旦」→つとめて、のように、しつこく漢字を和語に置き換えようとする。今何とか独力で漢文が読めるのは、この訓練を続けたおかげだ。

大学に籍があった頃、教授も含めてまわりの連中のほとんどが、「旦」→タンで済ませているのが馬鹿に見えたし、事実そういう連中は、ついぞ漢文が読めるようにはならなかった。水に顔を漬けることも出来ないのに、津軽海峡を泳いで渡るのは無理である。

さて既存の現代語訳を参照しながら新しく独自訳を作っていくと、色々面白いことに気が付くことがある。原文の数句がすっかり抜け落ちていたり、オトツイの方角に訳していたり、面倒くさかったのか、難解な漢字は無かったことになっている場合がある。

これは本に名前が載った教授先生のしわざでは無く、強制的に訳をさせられて、そのまま訳文を教授に盗み取られた学生・院生諸君のしわざだが、面倒くささは訳者にも覚えがあるから、察するに余りある。どうせ教授も監修しないから、適当なことを書いてもバレないのだ。

今はよい漢和辞典のソフトがあるから、大学受験程度の古文漢文を習得していれば、あとは根気さえあれば誰でも漢文など読めるようになる。だが冊子の辞書しか無かった時代、大漢和の一揃えを、読書室に運ぶだけで大変だった。世の和訳本が不出来になったゆえんである。

ところが世の漢文ブログやサイトの中には、臆面も無く訳本の現代語訳を書き写して、偉そうに説教しているものがあるが、そういうのを見かけるたびに、ニヤリと笑ってしまう。ち○ち○丸出しで演説しているようなものだ。だが素人がやる分には大して責められまい。

左伝のような膨大な典籍も、検索一発で目当ての記事が読めたり、ソフトで語義が調べられるのは、間違いなくITのおかげだが、ふりチ○サイトもまた、ITの然らしめるところである。まことに道具は使う人間次第で、ニセ論語指導士のような輩が生産されることにもなるわけだ。

ゆえにふりチ○は大いに笑い飛ばしていいのだが、教授先生方のように、世間をだまして金を取っているわけでは無いから、その罪はささいなものだ。ただし、訳本のデタラメをそのまま取り込むほかは無いから、訳者のように陰険な者の、物笑いの種になるのは避けがたい。

わははははははは。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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