ジョーバンキシ読みと訳者が名づけた所の、ニセ漢文読解法がある。漢字を音読みで済ませる手抜きで、常盤貴子氏の意だと決して読み解けない。ふりチ○説教というのがある。訳の出典を隠したまま、自分で訳した風を装った原典を元にして、世間に説教する者のことである。
さて訳者は論語を研究対象にしているからと言って、論語だけ読んでいれば済むわけが無いから、『詩経』や『左伝』もその一部を訳すことになる。それはこんにちに至ってもなお、訳者にとってもよい漢文読解の訓練になる。そして陰湿な楽しみもあったりする。
例えば左伝の場合、岩波文庫から全訳が出ているから、それを参照しつつ原文を、独自に書き下していく。もちろん訳者のことだから、「旦」→つとめて、のように、しつこく漢字を和語に置き換えようとする。今何とか独力で漢文が読めるのは、この訓練を続けたおかげだ。
大学に籍があった頃、教授も含めてまわりの連中のほとんどが、「旦」→タンで済ませているのが馬鹿に見えたし、事実そういう連中は、ついぞ漢文が読めるようにはならなかった。水に顔を漬けることも出来ないのに、津軽海峡を泳いで渡るのは無理である。
さて既存の現代語訳を参照しながら新しく独自訳を作っていくと、色々面白いことに気が付くことがある。原文の数句がすっかり抜け落ちていたり、オトツイの方角に訳していたり、面倒くさかったのか、難解な漢字は無かったことになっている場合がある。
これは本に名前が載った教授先生のしわざでは無く、強制的に訳をさせられて、そのまま訳文を教授に盗み取られた学生・院生諸君のしわざだが、面倒くささは訳者にも覚えがあるから、察するに余りある。どうせ教授も監修しないから、適当なことを書いてもバレないのだ。
今はよい漢和辞典のソフトがあるから、大学受験程度の古文漢文を習得していれば、あとは根気さえあれば誰でも漢文など読めるようになる。だが冊子の辞書しか無かった時代、大漢和の一揃えを、読書室に運ぶだけで大変だった。世の和訳本が不出来になったゆえんである。
ところが世の漢文ブログやサイトの中には、臆面も無く訳本の現代語訳を書き写して、偉そうに説教しているものがあるが、そういうのを見かけるたびに、ニヤリと笑ってしまう。ち○ち○丸出しで演説しているようなものだ。だが素人がやる分には大して責められまい。
左伝のような膨大な典籍も、検索一発で目当ての記事が読めたり、ソフトで語義が調べられるのは、間違いなくITのおかげだが、ふりチ○サイトもまた、ITの然らしめるところである。まことに道具は使う人間次第で、ニセ論語指導士のような輩が生産されることにもなるわけだ。
ゆえにふりチ○は大いに笑い飛ばしていいのだが、教授先生方のように、世間をだまして金を取っているわけでは無いから、その罪はささいなものだ。ただし、訳本のデタラメをそのまま取り込むほかは無いから、訳者のように陰険な者の、物笑いの種になるのは避けがたい。
わははははははは。
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