2020.9.6:主な改訂内容

復元白文

子 金文曰 金文 論語 聖 金文人 金文 吾 金文不 金文得 金文而 金文見 金文之 金文已 矣金文 得 金文見 金文君 金文子 金文者 金文 斯 金文可 金文已 矣金文 子 金文曰 金文 善 金文人 金文 吾 金文不 金文得 金文而 金文見 金文之 金文已 矣金文 得 金文見 金文有 金文恆 金文者 金文 斯 金文可 金文已 矣金文 亡 金文而 金文為 金文有 金文而 金文為 金文嬴 金文 要 金文而 金文為 金文難 金文乎 金文有 金文恆 金文已 矣金文

※矣→已・盈→𡣍・約→要。「泰」は”ふとい・おおきい”と解することが出来る場合にのみ「太」と置換可能だが本章はそうでない。論語の本章は赤字が論語の時代に存在しない。本章は漢帝国以降の儒者による捏造である。

現代中国での解釈例

孔子說:「聖人,我不可能看到了;能看到君子,也就可以了。善人,我不可能看到了;能看到一心向善的人,也就可以了。沒有卻裝作擁有、空虛卻裝作充實、貧窮卻裝作富裕,打腫臉充胖子的人,很難一心向善!」

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孔子が言った。「聖人は、私が出会うことはあり得ない。君子に出会えるかどうかは、まああり得るかも知れない。善人は、私が出会うことはあり得ない。一心に善を目指す人に出会えるかどうかは、まああり得るかも知れない。持っていないのに持っているように見せかける、空っぽなのに充実しているように見せかける、貧乏なのに飛んでいるように見せかける、こういうハッタリの人が、一心に善を目指すのは、とても難しい!」


論語の本章は「恒」の語義を追い求めないと理解できない章で、申し訳ないながら、従来訳に代表される従来の論語訳はでたらめ。本章を創作した儒者は、不動心を持った人を尊敬しつつも、心を緊張させっぱなしは無理だと思ったから、「難きかな恒あること」と言った。

従来訳や中国での解釈のような誤訳の元を、いつも通り儒者の注と称する出任せに求めると、古注には「孔安國曰難可名之為有常也」(孔安国「なんと呼んだらいいか分からないものを”常有り”と言うのだ」)とあって、余計にわけが分からない。バカではなかろうか。

また「有恒謂雖不能作善而守常不為惡者也」(恒有る者は善行を行えないかもしれないが、平常心を守って悪いことはしないものだ)ともあるが、こちらはナンボか解り易い。ともあれ従来訳のような誤訳は、少なくとも古注のせいではない。

そこで新注を見てみる。

三者皆虛夸之事,凡若此者,必不能守其常也。張敬夫曰:「聖人、君子以學言,善人、有恆者以質言。」愚謂有恆者之與聖人,高下固懸絕矣,然未有不自有恆而能至於聖者也。故章末申言有恆之義,其示人入德之門,可謂深切而著明矣。(『論語集注』)

「無いのにあると言う…の三者は、どれもハッタリであり、こんな奴は誰だろうと、平常心を保てはしない。張敬夫は言った。”聖人君子は、学問を語る。善人や有恒者は中身を語る”と。愚か者である私が考えるに、有恒者と聖人とは雲泥の違いだが、平常心を失ったことが無い者は、聖人に近づくことが出来る。だから本章の最後に、有恒の話をして、徳を身につける道筋を示したのだ。まことに懇ろなことであり、分かりやすい話であるなあ。」

つまり朱子が一杯機嫌でデタラメを書き、それをいつも通り、日中の専門家が真に受けていた、というわけ。あまりにいつも通りで、面白くともなんともない。

論語述而篇(25)要約:漢文で言う聖人は、キリスト教に言う聖者ではありません。孔子先生は後世聖人と言われましたが、それがキリスト教のような意味になったのは、儒者たちが飯のタネにするため、持ち上げたからでした。

復元白文

子 金文釣 金文而 金文不 金文罔 網 金文 弋 金文而 金文不 金文論語 射 金文論語 宿 金文

現代中国での解釈例

孔子衹釣魚而不撒網、衹射飛鳥而不射睡鳥。

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孔子は魚を釣るだけで、投網はしなかった。飛んでいる鳥は射たが、眠っている鳥は射なかった。

論語述而篇(26)要約:孔子先生は動物にも情けをかけました、という弟子による思い出話。しかし語った者たちは極めて怪しい人たち。実話でしょうか?

復元白文

子 金文曰 金文 蓋 金文有 金文不 金文智 金文而 金文論語 作 金文之 金文者 金文 我 金文無 金文是 金文也 金文 論語 多 金文聞 金文 擇 金文其 金文善 金文者 金文而 金文従 金文之 金文 論語 多 金文見 金文而 金文識 金文之 金文 智 金文之 金文論語 次 金文也 金文

※論語の本章は也の字を断定に用いている。本章は戦国時代以降の儒者による捏造である。

現代中国での解釈例

孔子說:「有一種人,不瞭解情況就冒然行事,我不會這樣。多聽,向先進人物學習;多看,把細節牢記在心。就是掌握知識的最好方法。」

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孔子が言った。「ある種の人間は、事情がよく分かっていないのに行動へと突進する。私にはそのようなことが無い。多くを聞き、先達に学ぶ。多く見、細部まで把握して心に留める。これが知識を得る最も良い方法だ。」

論語述而篇(27)要約:孔子先生は知ったかぶりをして本を書きませんでした、という、先生の自分語りを記憶していた弟子の思い出話。

復元白文

論語 互 金文大篆郷 金文難 金文与 金文言 金文 論語 童 金文子 金文見 金文 門 金文人 金文論語 或 惑 金文 子 金文曰 金文 与 金文其 金文進 金文也 金文 不 金文与 金文其 金文退 金文也 金文 唯 金文何 金文論語 甚 金文 人 金文己 金文㠯 以 金文進 金文 与 金文其 金文也 金文 不 金文論語 保 金文其 金文論語 往 金文也 金文

※互→(金文大篆)。論語の本章は潔の字が論語の時代に存在しない。本章は漢帝国以降の儒者による捏造である。

現代中国での解釈例

有個地方風氣不正,那裏的人不講道理,該地的一個少年卻得到了孔子的接見,學生們都很疑惑。孔子說:「肯定他的進步,不等於認可他過去的錯誤,何必糾著別人的辮子不放呢?人家改好了,要肯定他有進步,過去的就不要提了。」

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ある地域の習俗がよろしくなく、その住人は道理をわきまえない。そこから来た一人の少年が、意外にも孔子に会いたいと言った。弟子たちは非常に怪しがった。孔子が言った。「彼の進歩を認めよう。彼の過去の間違いを知りもしないで、別人のやらかしたことを許さず責め立てるのか?他人が良くなったら、彼に進歩があったのを認めるべきだ。過去は持ち出すには当たらない。」

論語述而篇(28)要約:孔子先生はどんな出身であろうと、誰でも入門を望めば受け入れました、という、弟子による思い出話。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。

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