2020.06.15:主な改訂内容

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前口上 戦後の詐欺師が世間に向かって、マニフェスト(英)とかシニフィアン(仏)とかゲマインシャフト(独)とかアクチブ(独?→露)とかいった...
論語本読書案内:目次 宇野哲人『論語新釈』☔ 武内義雄『論語』☁ 河北省文物研究所『定州漢墓竹簡 論語』☁ 藤堂...

復元白文

論語 子 金文論語 曰 金文 論語 人 金文而 金文論語 不 金文論語 仁 甲骨文 論語 如 甲骨文論語 礼 金文論語 何 金文 論語 人 金文而 金文論語 不 金文論語 仁 甲骨文 論語 如 甲骨文論語 楽 金文論語 何 金文

※仁・如→甲骨文

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/hatiitu/post-1301.html

復元白文

論語 林 金文論語 放 金文論語 問 金文論語 礼 金文之 金文論語 本 金文 論語 子 金文論語 曰 金文 論語 大 金文論語 哉 金文論語 問 金文 論語 礼 金文論語 与 金文論語 其 金文論語 奢 金文也 金文 論語 寧 金文 論語 喪 金文論語 其 金文論語 易 金文也 金文 論語 寧 金文論語 戚 金文

※林・放・奢・寧・喪・易・戚→未検証/儉→暫定

現代中国での解釈例

林放問禮的本質。孔子說:「這個問題十分重大!禮儀,與其隆重,不如節儉;喪事,與其奢侈,不如悲戚。」

中国哲学書電子化計画

林放が礼の本質を問うた。孔子が言った。「この問題はたいそう重大だ。礼儀とは、重々しいよりはむしろ慎ましい方がよい。葬儀は、派手よりはむしろ悲しむ方がよい。」

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/hatiitu/post-1307.html

帝国の権威が、宇野から「それは違いますよ」と言ってくれる人を奪ったのだ。元は珍妙な見せ物を事とする新興宗教だった儒教が、中華帝国の国教となったきっかけは、ゴロツキの極みだった漢の高祖に、儀式で皇帝の権威をまとわせ、誰も逆らえないようにした効能からだ。

日露戦争で、陸軍の総司令官として遠征軍を率いロシアに勝利した大山巌元帥は、戦争前、開戦を焚き付けに来た東京帝国大学の教授=七博士が帰った後、息子の柏に「今日はバカが七人来た」と言った。チヤホヤ甘やかされると、人は東大教授や団塊のように、必ず馬鹿になる。

宇野の当時、ただの人間に過ぎない天皇を、神として拝ませたのによく似ているが、その仕掛けも実は明治の初めに、九州から出てきた𠮷外儒者による発案で、儒教は妙なものを人に拝ませる代わりに、人間をクルクルパーにした。インチキ系図を欲しがるのもその一つ。

結論:日本には過去も現在も、まともな儒者や漢学者はほとんどいなかった。だが今後は分からない。 論語と日本儒教史 目次 1.日本漢学前史~...

団塊は世間から甘やかされ、学ばなかったばかりか働かなかった。今では想像も出来ないことだが、毎年ストと称して主な交通機関は止まったのだ。交通機関ばかりでは無い。あらゆる企業法人で団塊はストをやり、暇に飽かせて勝手に公共の場を占拠し、ギターをかき鳴らした。

フォークゲリラ

(c)朝日新聞デジタル

こいつらは𠮷外だ。なぜそれが分からない!

***

蛇足ながら強者は、常に「お前は本当に強いのか?」と挑戦者から問われる。だから力を尽くして打ち倒すに足る挑戦者を、強者は喜ぶ。自分が強いと実感させてくれるから。だがダニのような、ゴミのくせに数だけ多くてタカリだけする連中は、文字通りダニでしかない。

わからん者はわからなくていい。

***

実に簡単な話だ。鼻をつまむしかないボロをまとい、その朝の粥を物乞いしている子供だろうと、「12×7はいくつ?」「84。」と答えた子に、パンと教科書と教師を与えることだ。その中から医学を選んだ子を医者にし、土いじりの好きな子を建築技師にすればいい。

するとみんなが助かる。教育とはそういうことだ。「子供には無限の可能性がある」それは確かに。あなたが詐欺師でない限りね。クズに余計な知恵を与えて、どうしようも無い大クズをこしらえた例は歴史にいくらでもあるよ。ヒトラーとか、毛沢東とか、ポルポトとか。

教育に悲惨を入れるな!人を食い散らかす役人と、それになりたがる詐欺師ども。

論語と日本儒教史 目次 1.日本漢学前史~江戸初期までの漢文業界と論語 2.ラーメン屋の熱血おやじ~江戸時代の漢文業界と論語 3.渋沢...

復元白文

論語 子 金文論語 曰 金文 論語 夷 金文論語 狄 金文之 金文論語 有 金文論語 君 金文 論語 不 金文論語 如 甲骨文之 金文於 金文論語 夏 金文之 金文論語 亡 金文也 金文

※夷狄如亡→未検証/諸→之於

現代中国での解釈例

孔子說:「偏遠小國有君主,不如中原各國沒君主。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「辺鄙な小国に君主がいるのは、中華諸国に君主がいないのより劣っている。」

***

ショ」(もろもろ)は、論語の時代に存在しなかった言葉で、「者」を代用させて表記した例はあるものの、その意味は「」(…を…に)であり、二文字を一文字につづめて書いたに過ぎない。上記中国での解釈を参照すると、現代中国人は自らの古語を知らないようである。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/hatiitu/post-1311.html

復元白文

論語 季 金文論語 氏 金文論語 旅 金文於 金文論語 大 金文論語 山 金文 論語 子 金文論語 謂 金文論語 冉 金文論語 有 金文論語 曰 金文 論語 女 金文論語 弗 金文論語 能 金文救 金文論語 与 金文 論語 対 金文論語 曰 金文 論語 不 金文論語 能 金文 論語 子 金文論語 曰 金文 烏 金文論語 呼 金文 論語 曽 金文論語 謂 金文論語 大 金文論語 山 金文論語 不 金文論語 如 甲骨文論語 林 金文論語 放 金文論語 乎 金文

※氏旅山冉弗救→未検証/泰→大・鳴→烏/呼→乎/如→甲骨文

泰山は漢文では太山とも書かれるが、「泰」(藤堂上古音t’ad)「太」(上古音同)ともに論語の時代には存在しなかった文字=言葉で、おそらくは”大いなるお山”という意味で「大山」(同dad sǎn)と呼ばれていたはず。


広々とした華北平原のまん中に、でんとそびえる泰山は、その名の通り大いなるお山に見えただろう。孔子の住まった魯の曲阜から真北に当たり、その距離は東京と富士山に近い。江戸の町人が聖なるお山として富士を拝んだように、泰山は山岳信仰の山だった。

だが現代の富士登山や泰山観光が信仰とはほぼ無縁のように、古代の泰山も、必ずしも禁じられた信仰の山では無かった。その手の禁令をうるさく言い始めるのは、漢帝国成立後に、儒教が帝国の支配イデオロギーとなり、むやみに人に禁止を強いてからのことである。

孔子も物見遊山をやった。家老の季氏が、やっていけないはずが無い。

旅 甲骨文 論語 旅 金文
(甲骨文・金文)
論語の本章では、”旗やのぼりを立て、大勢で出かける”こと。一人または少人数で出かかることは「遊」と言う。もとは軍事用語で、軍隊の一単位。現代でも「旅団」という。

従来は儒者のホラを真に受けて、「泰山の山神を祀る」と解したが、ホラはどこまで行ってもホラで、根拠の無い話には同意できない。論語は最古の古典だから、原則として原義で解釈出来るならそれが正解である。

旅
詳細は論語語釈「旅」を参照。推奨BGMはこちら。

嗚呼(ああ)

論語 鳴 金文大篆 論語 呼 金文
「鳴」(金文大篆)・「呼」(金文)

論語の本章では下記の理由から”馬鹿者”。一般的な漢文的には、”ああ”という嘆き。

既存の論語本では吉川本によると、”重い嘆息の意”という。だが嗚(藤堂上古mɪěŋ)の字は論語の時代には無く、呼(同hag)は「乎」(同ɦag)と区別されずに書かれた。上掲武内校訂を受け入れるなら、「烏乎」(同・ag ɦag)=”バカ者”、と孔子は言ったことになる。音メイ訓なくの漢字は『大漢和辞典』を引いても「鳴」しかないので、恐らくは武内校訂が正しいのだろう。

『学研漢和大字典』によると、感動詞で、あ、という声をあらわす。「嗚呼(アア)(あはあ、という嘆声をあらわす擬声語。感心したときにも、残念がるときにも用いる)」。

「烏乎」「於乎」「於戯」は、用字が異なるだけで、すべて上古には「あはあ」という発音をあらわした。「嗚呼」が最も普通に用いられる。「鳴」は形声文字。「口+〔音符〕烏(ウ)」。烏も、本来は「ああ」と鳴くからすの声を示した擬声語であった、という。

訳者にとってのアルテマウェポンである『学研漢和大字典』を編んだ藤堂博士に敬意を表しつつ、あえて刃向かうが、「烏乎」「於乎」「於戯」をまとめて一つとはおおざっぱに過ぎる。中国語は文字が違えば意味が違う。「於乎」は語義から”これだよ”という嘆きであり、「於戯」は”ふざけるな”であり、そして「烏乎」=「おろかものかな」という嘆きである。

詳細は論語語釈「鳴」を参照。

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論語 吉川幸次郎
既存の論語本では、間の抜けた吉川本によれば、「かつて」の意味ではなく、句の始めに位置する強めの言葉であるという。ただし「cengと発音せずしてzengと発音する」とは書いてあるが、どのように訳してよいかは書いていない。これは当時発表されたばかりの、中国政府が定めた中国語のローマ字表記=ピンインを、これ見よがしに言いふらして、”ボクちゃんしゅごいじょー”と言っているのである。

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吉川の誤訳のニオイの元は、いつも通り儒者のホラだが、念のために下記しておく。
儒者のホラ

古注『論語集解義楚』

註馬融曰旅祭名也禮諸侯祭山川在其封內者也今陪臣祭泰山非禮也

論語 古注 馬融
注釈。馬融「旅とは祭祀の名である。礼の規定では、諸侯は領地内にある山川を祀るが、諸侯の家臣が泰山を祀るのは礼に背くのである。」

新注『論語集注』

旅,祭名。泰山,山名,在魯地。禮,諸侯祭封內山川,季氏祭之,僭也。

論語 朱子 新注
旅とは祭祀の名である。泰山は山の名である。魯にある。礼法の規定では、諸侯は領内の山川を祀る。季氏がそれを祀るのは、思い上がりである。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/hatiitu/post-1436.html

やがて秦が滅び漢が興り、儒教は帝国の国教となりました。儒家の壮大なウソで固めたタテマエが、皇帝には具合の良い仕掛けだと評価されたからです。ならず者の親分だった漢の高祖は、儒者が大嫌いでしたが、儒教の儀式で家臣が躾けられたのを見て、気に入ったのです。

昭和天皇 元田永孚
これはもちろん日本人も猿真似しました。戦前、頭のおかしな神主が、「天皇は神サマじゃ」と言って日本人ばかりか、朝鮮や南洋の人たちにまで拝ませましたが、発案者は神主ではなく、やはり頭のおかしな儒者でした。あまりにひどいので、明治政府がクビにしたほどです。

論語 前漢武帝 論語 光武帝劉秀
ところで儒教のおかげで荒くれどもをおとなしくさせた中華皇帝ですが、その代わり手の込んだウソのつきかたを、儒者に学ばねばならなくなりました。シメシメ、と儒者は思ったに違いありません。自分たちの欲望一切合切を、全帝国の臣民に押し付けることが出来たからです。

以上が論語がたどってきた道筋です。現伝の論語を疑いもせずに、パクパク取り込んでしまうと、儒者の掘ったワナにはまり、我から人の食い物になるよう、脳みそが破壊されてしまうのですね。そんな不幸にみなさんが陥らないよう、心から願ってやみません。